昔々、都の御殿にとてもとても琴の上手な姫君、廉子様がおられました。
お若い姫様で、笑い声もコロコロと琴の音の様。
花の咲きほころぶ様な明るい笑顔をみんなが慕い、暗い御殿の中もそこだけは花が咲いたようでした。
夫の尊治様には、お后様、中宮様、女御様が既におられました。
親王様のお一人ですが、鎌倉の幕府に実権が移ってからというもの、親王様でも暮しむきは夜の明かりや冬の炭を倹約するほど慎ましく、奥方様たちもついつい愚痴が出る毎日でございました。
雅なことと言ったら、廉子様のお弾きになられる明るい琴の音が唯一のお慰みでした。
そのころ都の宮中では、貴族が二つに分かれ天皇の位をめぐって争う状態になっていました。
一方の貴族が天皇につくと、もう一方が邪魔をして、皇位を交代させる陰謀が企てられます。
鎌倉に住む武士が、二つに分かれた貴族を手玉にとり仲違いさせていたのですが、貴族自身も宮中での冠位争いに長い間明け暮れ、もう手が付けられない状態でした。
次々と新しい天皇が誕生しては消え、あさましい陰謀が都の中では渦を巻きます。
そんな中なので、意外に早く尊治様にも天皇即位の順番が回ってきました。
後醍醐天皇を名乗りましたが、甥の幼い親王様の即位までのなかつぎで、しかも、実際には天皇を経験したことのあるお父様が、法皇として院政を行われます。
若いうちから剛健な気性でいらっしゃった後醍醐天皇は、その時三十を越えたばかり。飾り物の天皇では、どうにも気持ちが収まりません。
「天皇と言えど、鎌倉の言いなり。飾り物。宮中も己の官位の栄達にうつつを抜かす体たらく!」
即位から数年して、みずからが政治を行う「親政」に踏み切り、何度か鎌倉の勢力を追い払おうと計画も練りましたが、口さがない都雀と、六波羅の監視のもとに発覚して敗走。
鎌倉幕府に反発する多くの悪党が後醍醐天皇にし、近畿各地で鎌倉方と闘いましたが、そんななか天皇は捕まり、四十五歳で退位させられ隠岐の島に流されることとなりました。