あにたん☆ぶろぐ

当ブログは『世界的音楽』『アニソン』『お馬さん』の三大ヲタネタより構成されていますwww

ウクライナより愛を込めて・・・

2007年02月15日 | Weblog
突然だが、皆さんは“ウクライナ”という国をご存知だろうか・・・。

ウクライナとは、東ヨーロッパは黒海の北に位置する国で、隣国にはロシア連
邦・ベラルーシ・ポーランド・スロバキア・ハンガリー・ルーマニア・モルド
バがあり、出身の有名人にはサッカーのアンドレイ=シェフチェンコ、陸上棒
高跳びのセルゲイ=ブブカ、総合格闘家のイゴール=ボブチャンチンやエメリ
ヤーエンコ=ヒョードル、そして女優のミラ=ジョヴォヴィッチなどがいる。

実は、内輪な話なのだが、俺と横浜ノ黒雪姫ことNTM嬢、そして社長様の三
人で昨年の夏、そのウクライナを含めたヨーロッパ5ヶ国を視察(とは名ばか
りの現地プロモーターとの契約交渉ならびに観光がメイン)訪問した際、現地
で一人の若い女性と出会っていた。

彼女の名前は“アンナ”といい、1986年生まれの当時20歳の大学生で、
独学で日本語や日本文化を猛勉強するほどのかなりの親日家でもあった。

俺たちとアンナの出会いは、首都・キエフ中心地にある有名ホテルで行われた
現地プロモーター主催の面接会場だったのだが、俺たちが会場入りした時には
すでに10代後半~30歳ぐらいまでの若いウクライナ人女性が約20人ほど
集まり、みな真剣な表情で現地スタッフの説明に聞き入っていた。

しかし、普通に考えると、何故に彼女たちのようなうら若き美しき女性たちが
親兄弟の住む母国を離れて、わざわざ日本で働きたいのだろう・・・。と、疑
問に思うかも知れないが、ウクライナだけでなくロシア、ポーランド、ルーマ
ニアなどの東欧諸国の平均賃金は驚くほど安く【成人女性で約1万円程/月】
たとえ遠く離れた国での過酷な重労働とは言え、ビザの肩書きは“タレント”
でしかも報酬も“半年”で30~50万円(我々からすれば超低賃金だが、彼
女たちにすれば超高収入)と来れば、納得できるのではないだろうか。

そんな中、やはり独学とは言え、流暢に日本語を操るアンナの存在はかなり目
立っていて「ワタシ アンナチャン」「トウキョウ ダイスキ」と社長様に猛
アピール・・・。(笑)

また、ウクライナ語やロシア語が全くわからない俺とNTM(もちろん社長様
もだが、あの人の場合は万国共通で使える“ジェスチャー⇔身ぶり手ぶり”と
いう最大の武器がある為)は会場の端のほうで、興味深そうに面接の様子をた
だ見学しているだけの“ギャラリー”と化していたのだった。



「兄ぃ、やっぱり外人ってみんな綺麗だねー!!
脚長いしー顔小っちゃいしー金髪だしー超セクシーだしー」

まるで初めて倖田●未のライブを観に来たJKのような反応・・・。(笑)

『せやなぁ・・・』

その言葉にいつもどおり適当に応える俺・・・。



と、そこへ先ほど面接を終えたばかりの“アンナ”が自己紹介?がてら、俺と
NTMのもとへやって来て、話しかけてきたのだ。

「コンニチワ。
ワタシ アンナ。アナタトアナタ、コイビトデショ?」

ヲイヲイ・・・。(笑)



『ニャー!(NO!)』

そのとんでもない質問に、唯一知っているロシア語で答える俺・・・。

「ホント?!
ゴメンナサイ デモ カノジョ カワイイ!」

俺の少しムッとした表情に気づいたのか、アンナも慌てて必死に話題を挿げ替
えようとするが、意味不明な言葉の連続はただただ俺の困惑とNTMの爆笑を
もたらすだけだった。

「アー ダカラ ダイジョウブデス。
ワタシ ニホンスキ。アナタ オコラナイ ダカラ カノジョ チガウ。
ワカル。ワタシ ンー ナニスル?」



・・・・・・・・・・。(爆)



そんなオチャメで、はちゃめちゃながらも頑張って日本語を話そうとするアン
ナと俺たちはすっかり意気投合してその日の夕食を共にすることになった・・・。



午後7時すぎ、アンナに言われたホテル近くのレストランまでタクシーで行く
と、すでに入り口では彼女が待ってくれていた。

現役の大学生っぽく、Tシャツにジーンズというラフな格好で現われたアンナ
は、昼間とは全く違う雰囲気でむしろ“まだ幼い”という印象で、その姿を見
るやNTMなどは「超カワイイー」を連発・・・。ぶっちゃけ、NTMとはか
れこれ3年近くの付き合いになるが、この女が他の女性を誉めることなどそれ
まで全くと言っていいほどなかったので、やはり“外国人恐るべし”といった
感じだった・・・。(笑)

ロシア料理のボルシチを食べ、ウオッカを飲みながら、仕事の事を忘れ、勉学
の事を忘れ、プライベートな悩みや愚痴を忘れ、国境や年齢、性別をも越えて
腹を割って、俺とNTMとアンナは何時間も語り合った・・・。


いつしか、NTMが俺を“兄ぃ”と呼ぶのを真似て、アンナも俺のことを「オ
ニイチャン」、NTMのことを「オネイチャン」と呼ぶようになり、NTMも
アンナのことを“妹分”と呼んでいた。



そして、アンナは貧しい家庭を助ける為に、大学を辞めてでも日本で働きたい
のだと打ち明けてくれた・・・。



そんな話を聞くと、俺もNTMもなおさらアンナのことをどうにかしてあげた
いと思ったのだが、正直なところ、俺とNTMに面接結果や契約等に関して、
どうこう言える権限など(当たり前のことだが)全くなかったので、その時は
『また会えるといいね!』『頑張って!』みたいな感じでお互い笑って別れる
ことしか出来なかったのだ・・・。





あれから、約半年・・・





先日、横浜に住むNTMから突然電話がかかってきた。


「久しぶりー♪
兄ぃ、実は今、渋谷に来てるんだけどー。」


用件は俺の今カノSY【NTMの妹分】に某ブランドの春物のジャケットをプレ
ゼントしたいから、どんなデザインが欲しいか直接聞きたかったとの事・・・。



つか、それならSYの携帯に直接かけろよ!!!(笑)



と、いつものごとく心の中でぼやく俺・・・。





やがて、NTMとの会話が終わったSYが俺のもとへ来て、

「兄やん、代わってやって。」

何故か顔には不敵な微笑み・・・。ある意味、コワイ・・・。(苦笑)



『・・・・・・・・・ハァ?』

どうせNTMが姐御風吹かせて“もっとSYと仲良くしろ”だの“ケンカしち
ゃダメ”だのとお節介をカマしてくれるのだろうと、半ばふてくされた感じで
電話に出てしまう俺(´・ω・)




すると・・・





ハーイ!
オニイチャン!!






その声はまぎれもなく、あのウクライナ娘。アンナだった・・・





実は、アンナはあの時、無事、面接に合格し昨年11月に念願の来日を果たし
ていた・・・。


その後、社長様が経営する東京のロシアンパブを経て、年明けから横浜(そう、
NTMのお膝元)の外国人パブに転籍していたのだ。



そして、もともと陽気な性格と、美しい容姿、はちゃめちゃだが流暢な日本語
のおかげで人気ナンバーワンのダンサーに成長・・・。ビザが切れる4月には
一旦、母国ウクライナに帰国するものの、再取得後の夏頃には二度目の来日が
すでに決まっているとのこと・・・。




アンナは言う・・・





「ワタシ ニホン ダイスキ。
ダカラ ニホンジン ケッコンシタイ アタリマエ。」





・・・って、





アニータか!!!





ヲイヲイ・・・。(笑)






【筆・兄様】

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