妖精のつぶやき

きたのじゅんこ先生絵の世界の魅力をお伝えするページです

愛と創造の天使への返礼〜クリスマスに寄せて〜

2010-12-23 23:03:39 | 絵画
たまにゃ硬いこと書かせて下さいな。
 
キリスト教では「天使」に9つの階級があると考えます。いやそれは恐らく人間が理解しやすいように低次元の了見で便宜的に分けただけで、天使に言わすと全く異なるのでしょうが。
曰くその最上位に位置する存在をセラフィム(Seraphim)と呼びます。日本語では熾天使(してんし)と書かれ、字面から炎・燃えるイメージを受けますが、その姿は人間より神に近く、「意志を持った光の塊」に感ぜられるそうで。なるほど、と。

ここで。

天使は皆何らかの守護者ですが、熾天使の場合「愛と創造」を司るとされています(想像力とされる場合もあり)。もってして「神の傍らに座することを唯一許される」(ミカエルなどの大天使は「御前」)存在であると。このことは「愛」と「創造」は神に最も近い…至高の存在であることを示唆しています。
 
「愛」が至高か否かは論を俟たないでしょう。愛がなければ次世代の命は育まれない。命のリレーは地球生命の根本であり、その源が愛です。
では「創造」がなぜ愛に比肩する存在なのでしょうか。それは生命が、生命以外に「何か」を生み出す行為は、創造以外で生じ得ないから、と言えると思います。そして「創造」は現状、人間以外その能力を持ちません(サルや鳥が道具を使うのは「工夫」)。このことは「創造」こそが人間を他の地球生命と異なる人間たらしめる価値、レゾンデートルを意味しているのではありますまいか。だからこそ、神の傍らに置くべき、セラフィムに守護される価値があると。転じて
 
創造を伴わない人間の活動は人間である意味が無い。
 
「もらうだけ」は人間じゃない。人間だと思うならそれをやってはいかん、と。その行動は単なる搾取に他ならず、人間という種・存在に対して、人間の存在を許した神に対する冒涜、とこうなるわけです。
 
「創造、って何だ?」
何かの職に就くってのは創造の一つだと言えます。利を提供するのは創造に他なりません。但し、その利は別の利に繋がる内容であるべきと考えます。享楽も利ではありますが、そこで消費されるのみであって次の利とはなりません。天使に対する「魔」が貪欲と怠惰の権化なのは、それらが、創造から次の創造へと繋がる循環を断ち切るからでしょう。このことは、魔のシンボルに死と破壊が伴うこととシンクロしています。命の循環を断ち切る…生命の根本を否定しているわけです。セラフィムの守護対象はすべからく魔の攻撃対象なのです。
 
いじめ、子殺し、搾取による格差など、共食い的な世相が言われて久しく経ちますが、いずれも「欲しい物をむさぼるだけ」の心理の為せる技であって、「還元・循環」の欠如が根底にあるのではないでしょうか。
 
月はあまねく人々を照らします。でも、人々が月を見ようとしない限り、月の光は受け取れない。
 
(すのぴ)
ジャンル:
ウェブログ
キーワード
セラフィム レゾンデートル
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« いちご狩り | トップ | 人類は極超新星の... »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。

あわせて読む