映画批評&アニメ

◆ シネマ独断寸評 ◆

基本は脚本(お話)を重視しています。
お勧めできるか否かの気持を総合評価で示しています。

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映画寸評「太陽の下で ー真実の北朝鮮ー」

2017年02月03日 09時31分13秒 | 映画寸評

太陽の下で-真実の北朝鮮-」(2015年 チェコ・ロシア・独・ラトビア・北朝鮮)
 監督 ヴィタリー・マンスキー

明らかな「やらせ」の裏を撮ったとて
(以下、ネタばらし有り)

ロシアの監督が北朝鮮の庶民家庭の生活をドキュメンタリーで撮ろうとし、実際には全て北朝鮮側の監督の演出に基づくものを撮らされるので、隠し撮りをしてそれを映画にしたものだそうだ。北朝鮮の隠された真実が描かれているという宣伝につられて観たのが大失敗。

確かに、隠し撮りしたフィルムはその実態を暴いており、食事時のたわいない会話にもセリフが指示され、「アクション」という掛け声でシーンが始まるのには笑ってしまうが、そのようなシーンが続くのかと思うとそうではなく、8割がたは基になる映画を見せられるのである。主人公の幼い少女がエリートのための「少年団」に入り、その授業風景や、金日成の誕生日である「太陽節」に向けてのダンスの練習が描かれる。さらに青年たちの同儀式に向けての行進練習などを延々と見せられる。その中で物事のいちいちに「われらが敬愛する金日成大元帥様」のおかげという注釈がつけられ、街中に飾られた金父子の写真や銅像に皆が順番にお辞儀をしていくシーンが繰り返され、退屈そのものでうんざりさせられる。隠し撮りのシーンとしては、上記の食事場面の他は、工場の一つの班の成果発表の場面、少年団の一人が足を負傷したことにして皆が病院へ見舞いに行く場面、ラストで主人公の少女が思わず涙をこぼす場面、くらいのものである。

監督が2年間かけて粘り強く撮影許可の交渉をしたそうだが、そもそも監督はそれによって北朝鮮の真実が撮れると思っていたのだろうか。一般の一家族といってもそれは北朝鮮の指定した家族になるのが目に見えているではないか。不特定多数の家族を撮るのならまだしもだが。いかにもドキュメンタリー映画に見えるものが実は「やらせ」であり、その裏を撮ったフィルムなら見る価値があるが、どう考えても「やらせ」でしかないものの裏をいっしょに見せられても特に面白くはないはずだ。ついでながら、「やらせ」であるのは冒頭の食事シーンでセリフに関係なく、とても食べきれない量の豪華な食卓を見ただけで誰にでもわかるであろう。

総合評価 ①  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ヒトラーの忘れもの」

2017年01月24日 18時17分32秒 | 映画寸評

「ヒトラーの忘れもの」(2015年 デンマーク・独)
監督 マーチン・サンフリート

強いられた地雷処理の緊迫感

1945年5月、終戦後のデンマークで捕虜のドイツ兵を使って行われた地雷除去の史実を扱った映画。150万個の地雷が海岸線に埋められており、2600人のドイツ兵によって140万個が処理されたのだが半数が死亡または重傷を負ったとのこと。そしてドイツ兵の大半は15~18歳の少年兵であり、映画でもラスムスン軍曹(ローランド・ムーラー)が指揮する11人の少年兵を描く。

ナチスに対する憎しみに燃えるラスムスンが、それを少年兵たちにぶつけることで、少年兵の過酷な状況が際立つ。ろくな食料も与えられず過酷な労働を強いられる戦争捕虜の話は各国であったろうが、一つ間違えば即、爆死という作業の毎日であるということが、異様な緊張感を生ずる。全員がそれらの作業を強制されて行うということが、爆発物処理班を描いた「ハートロッカー」とは異なる、より緊迫した感覚を伝えてくる。さらに美しくのどかな浜辺の風景との対比でそれが一層強められる。少年兵たちは、「処理が終わったら国に帰す」という軍曹の約束のみに希望を託して、過酷な状況を受け入れるしかすべはないが、一人また一人と死者が出る。

占領軍だったナチスドイツへの憎しみが捕虜個人個人への憎しみとして継続し、どこまでも赦しに繋がらないのかどうかということが一つのテーマとなっている。この場合の捕虜がナチス幹部たちであったなら成り立たないテーマかもしれない。しかし、捕虜が全て少年兵であればかなり違ってきて、毎日の生活を共にするラスムスンの気持ちも揺れ動く。「自分たちが埋めた地雷を自分で除去させるのは当然だ」という正当な理屈だが、実際に彼ら少年兵たちが埋めたという訳でもない。映画では、少年兵たちの戦歴には触れていないし、ナチスの残虐非道は自明のこととして描かれていないので、つい少年兵たちに同情しがちであるが、被占領国の兵隊であったラスムスンたちの憎しみもよく理解できる(酔っぱらって捕虜をいじめて回るデンマーク兵たちのシーンはちょっと類型的にやりすぎとも思えるが)。当然ながら簡単に結論の出る話ではなく、ラスムスンも自分なりの折り合いをつけて行動することになる。

非人道的兵器としての地雷処理を巡って、理詰めに走ることも情緒に流されることもなく、戦争の不条理と残酷さを改めて描いた傑作である。

総合評価 ⑤  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作) ⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ドント・ブリーズ」

2016年12月27日 17時40分30秒 | 映画寸評

「ドント・ブリーズ」(2016年 米国)
監督 フェデ・アルバレス

設定以外に新味は無い

荒廃したデトロイトの町に住みコソ泥を繰り返していた若者3人が、盲目の老人宅に忍び込み、思わぬ反撃に出会って恐怖を味わうという話。自堕落な親と別れて町を出るための資金が必要な女性、ロッキー(ジェーン・レビ)は、ボーイフレンド2人と老人宅に忍び込んだが、この老人はイラク戦争で盲目になった退役軍人で頑健な体と研ぎ澄まされた聴力を持っており、逆襲されて窮地に陥る。照明を消されてしまい、暗闇の中で勝手の判らない屋内を逃げ惑うことになる。オードリー・ヘップバーンの「暗くなるまで待って」と逆の設定が優れており、興味を呼ぶ。

しかし、そのドキドキハラハラ感は始めのうちだけで、後は単純な攻撃と防御と反撃の繰り返しで、取り立てての新味はない。もうちょっと暗闇における両者の立場を反映した駆け引きが描かれる展開を期待したのだが。コソ泥から強盗になったロッキーたちより、被害者たる障碍者の老人に肩入れしたくなり、ロッキーの恐怖に感情移入することができない。いくらロッキーの事情があり、また老人が隠された犯罪を犯しているとしてもだ。闘いも、明らかに殺されたと思えるように描かれた者が、実は死んでいなくて反撃に移るなど、不自然さが見られる。一番かわいそうなのは、ロッキーたちのとばっちりを受けるもう一人の登場人物であろう。したがってラストの描き方にも大きな抵抗がある。

結局、本作も設定の面白さだけが目を引く映画となっている。

総合評価 ②  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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LINEスタンプ「好きを伝えたいタヌキ君 ♥ 密かな恋心」

2016年11月26日 08時07分43秒 | LINEスタンプ

「わんぱくタヌキ」の第4弾です。 タイトルは≪好きを伝えたいタヌキ君 ♥ 密かな恋心≫です。 恋をしたタヌキ君が、自分の気持を気付いてほしく、密かに、また大胆に発信します。

下記のURLをクリックして下さい。

 http://line.me/S/sticker/1351758

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映画寸評 「64-ロクヨン - 前編・後編」

2016年11月07日 11時00分16秒 | 映画寸評

「64-ロクヨン- 前編・後編」(2016年 日本)
監督 瀬々敬久

オーバーな表現が目に付く
(以下、ネタばらし有り)

横山秀夫の「最高傑作」と宣伝されたミステリーの映画化。本作は未読ながら横山秀夫の諸作品はかなり評価しているので、期待して前編・後編を通して名画座で観たが、ちょっと期待外れであった。

一週間しかなかった昭和64年に起きて迷宮入りとなった小学生少女誘拐殺人事件から、14年後へと舞台が移る。警察庁長官の視察でこの事件の被害者・雨宮(永瀬正敏)宅訪問が予定され、事件当時の担当刑事で広報官に移動した三上(佐藤浩市)がその折衝に当たる。そこに新たな誘拐事件が起こり、そのつながりで前の事件の真相も明らかになる、という話。その中で広報室と記者クラブの緊張した関係が繰り返し描かれるのだが、前半はひき逃げ事件の加害者の匿名発表問題、後半は新たな誘拐事件についての報道協定問題がテーマである。

昭和64年の事件は事件発生から身代金受け渡し・逮捕失敗・死体発見の経過をじっくりと描き、現在では上司から難問を丸投げされた三上の苦境や、雨宮の事件当時からの憔悴した状態をからめて描いてなかなか見ごたえがある。しかし、対記者クラブ問題はどう見てもお粗末すぎる。ひき逃げ加害者が妊婦であるという理由だけで実名を伏せたり、誘拐事件では余りに無内容な警察発表等、ちょっとあり得ない話で、不信感を抱いた記者たちを納得させられないのは当たり前である。新たな誘拐事件の捜査を優先させるのはわかるが、そのためにも報道協定は必要であり、通常、刑事部長か捜査一課長が担当する記者会見をほったらかしで捜査二課長にやらせる意味が不明である。また、仮にも捜査二課長ともあろう者の記者会見が、資料の棒読みのみで、何の下調べもしていないなどということはあり得ない話であろう。無理に固執する匿名発表問題同様、記者クラブと警察の対立をオーバーに表現するためとしか思えない。

また、様々な警察小説で言われている、タテ社会としての警察組織のいやらしさはよく描かれているものの、警務部長や刑事部長などが、あれほど自己保身のみを最優先しているというのは、やはり大げさすぎるのではないか。またその上でも、難題を広報官一人に丸投げして知らん顔、というのもちょっとおかしい。広報官が失敗して破綻すれば、その責任は自ら問われるはずなのに。さらに、新たな誘拐事件は64年の犯人を追い込むためのものだが、二人の娘の不在を続けて利用して誘拐に見せるというのは、ちょっと都合よすぎる話であろう。

妻子を失った雨宮の孤独と、犯人を突き止め追い詰めるための執念、また、不条理な状況に追い込まれた三上の苦悩や、その中で真摯に職務を担当しようという誠実さはうまく表されている。永瀬正敏と佐藤浩市が好演し、広報室員の綾瀬剛や榮倉奈々もなかなか良い。新聞記者の瑛太はちょっと浮いているが、いやらしいキヤリア本部長役の椎名桔平や、実働部隊を指揮する捜査一課長役の三浦友和も好演である。これらの関係を丁寧に描いていることで観られる作品となってはいる。

それにしても、テレビドラマじゃあるまいし、ミステリーを前編・後編とは観客をなめた話である。約4時間の「愛のむきだし」などの例もあるのに、始めから1本にまとめるつもりがないようである。そのため、前編のひとつの山にしようと、匿名報道問題を無理に膨らませた感じで失敗している。この辺りを整理すれば3時間くらいには絞れると思うのだが。興行的にどうしても2本にしたいというのなら、せめて前編・後編とも同時公開にすべきであろう。

総合評価 ③ [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ハドソン川の奇跡」

2016年10月19日 09時56分33秒 | 映画寸評

「ハドソン川の奇跡」(2016年 米国)
監督 クリント・イーストウッド

ハッピーな事件の再現が主眼か
(以下、ネタばらし有り)

2009年1月にニューヨーク・ラガーディア空港から離陸直後にエンジン停止となり、ハドソン川に不時着して155人全員が生還し「ハドソン川の奇跡」と称えられた実話の裏の話を描いた映画。

鳥がぶつかるという不慮の事故から生還したベテラン機長・サリー(トム・ハンクス)は、世間からはヒーロー扱いされるが、国家運輸安全委員会から「川に墜落させるよりラガーディア空港に引き返すべきだったのではないか」として査問を受けることになる。その経過が描かれるのだが、素人の常識的感想だと、国家運輸安全委員会の言い分は単なる安っぽい言いがかりにしか聞こえない。現にその後のニューヨーク市民の反応もサリーを称える声が圧倒的なようである。このような話がドラマになるのかと思えるが、イーストウッド監督のさすがの作劇で、結構見ごたえのあるものになっている。

映画は、不時着に至るまでの機内の様子や、機長の日常や家族、機長と副機長(アーロン・エーカット)のやりとり、調査委員会の査問の内容などを交互に淡々と描いてラストの公聴会につなげていく。公聴会において、コンピューターを使ったシミュレーションでは調査委員会の言うように空港に着陸できることが証明されるのだが、サリーは方法を決断するための時間が必要だと主張し、それをくつがえす。ボイスレコーダーに残されたやりとりも再現され、結局あっさりとサリーの正当性が認められる。瞬時の不慮の出来事に対し、判断する時間が必要なのは自明の理であり、調査委員会はそのようなことも判っていなかったのか、また、公聴会の時までボイスレコーダーも聴いていなかったのかと、あきれるようなお粗末さである。したがって、法廷ものにある原告・被告のサスペンスフルな応酬など期待すべくもなく、最初に感じたように、単なるいちゃもんの話として終わりである。

ニューヨークに於いて飛行機の墜落というと、どうしても「9.11」のテロが思い出され、市民はいまだにそのトラウマから完全に自由ではないように思える。ハドソン川の不時着は、その対極にあるもので、ハリーの言うように、乗員・乗客、管制官、救助に向かった船舶・救助隊、その他それぞれの家族や市民の力が合わさった結果だと、皆の連帯感を称えてハッピーな気持ちになれるものであろう。イーストウッド監督は、調査委員会の話にことよせてその事件を再現してみせることで、その時の気分を思い起こさせ、改めて連帯感の意味を訴えているのであろうか。

総合評価 ④  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ティエリー・トグルドーの憂鬱」

2016年09月23日 07時18分50秒 | 映画寸評

ティエリー・トグルドーの憂鬱」(2015年 仏)
監督 ステファヌ・ブリゼ

閉塞感は伝わるが掘り下げはない
(以下、ネタばらし有り)

中年のティエリー・トグルドーがリストラでエンジニアの職を失い、職業訓練を受けて1年半後にスーパーの監視員として雇われて働くまでの日常を淡々と描いた映画。フランスでも格差社会が進んでおり、一度失業すると再就職は大変で、望むような職にはつけない。

トグルドーも、職業訓練や模擬面接など不愉快なことを通り抜けて、やっと就いた仕事だが、万引きを監視するだけでなく、従業員の不正をも見つけて取り締まらなければならない。万引きを見付けても、初犯だと身分証明書を見せて金を払えばそれで済ませるシステムになっているようだが、変に開き直るチンピラや、その金さえ持たない高齢者などが相手である。また従業員が、クーポン券をごまかして集めたり、カードを持たない客のポイントを自分につけたりなどの、不正行為の現場を見つけ、その結果彼女らが辞めさせられる成り行きに立ち会わなければならない。会社としても、従業員に対して特に厳しい要求をしているようではなく、チンケだがれっきとした犯罪となる行為があれば辞めさせるのも当然だと思われる。確かに憂鬱になってしまう仕事である。

特にトグルドーを憂鬱にさせるだろうと思われるのは、捕まったものたちが皆、ちまちまとしょうもない言い訳を繰り返して助けてもらおうとする、みじめな姿を見ることであろう。彼らをそうさせてしまう現状と、そんな仕事でも生活のために続けざるを得ないトグルドーを通して、確かに社会の閉塞感というものは良く伝わってくる。しかしそれ以上問題が掘り下げられるわけでもなく、それ以外は妻と障碍者の息子と暮らすトグルドーの日常が描かれるだけで、解雇された従業員が店内で自殺するということ以外、特別な出来事もない。 不条理と感じられる現実にどう対処するのか、というトグルドーの価値基準が問われるのだが、結局、最後に仕事を放り出して辞めてしまうしかない。フランスでは大ヒットしたのことで、社会派作品の傑作のように紹介されているが、憂鬱な気分は十分に感じられるものの、それ以上に面白いとは思えなかった。むしろ退屈と感じられる場面も多々ある。例えば模擬面接で、参加者同士が批評しあう場面は、無理にトグルドーの欠点を並べようとするかのようなシーンが長々と続きちょっとうんざりした。

総合評価 ③ [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「ロスト・バケーション」

2016年08月01日 08時13分05秒 | 映画寸評

「ロスト・バケーション」(2016年 米国)
監督 ジャウマ・コレット=セラ

秀逸な状況設定だが難点あり

女子医大生のナンシー(ブレイク・ライブリー)が、メキシコの地元民しか知らない美しいビーチで一人サーフィンを楽しんでいる時、サメと遭遇し、岸から200メートルの岩礁に取り残されてしまう。サメはナンシーを襲おうと周回し続け、しかもナンシーの居る岩礁は満潮になると水没するもので、満潮までの時間が表示される。と、いった形で状況設定が序盤ですべて提示され、さあどうする、というタイムリミット付きのシンプルなサスペンス・スリラーである。

サメ物の傑作「ジョーズ」が、サメを追っていく過程でサメが徐々に全貌を表す不気味さを描いているのに対し、こちらはシンプルな設定で最初から主人公の恐怖心を描き、観客に感情移入させる、というところがミソである。主人公が男たちでなく、ビキニの女性というのも効いている。絶体絶命の中で、ナンシーは生き延びるための知恵を絞る。医学生の知識を活かして自らの傷へも対応し、サメの周回状況や周囲の事物への観察を続ける。また、ビーチにやってきた人間がサメに襲われるのを見る羽目にもなり、助けを呼ぶ声も届かない。この過程で観客のハラハラ感は途切れない。

ラストの成り行きは、一か八かの賭けにしても、余りに偶然の僥倖に頼り過ぎ、という感じでありもう一工夫できなかったかと、やや悔やまれる。それよりも一番の難点は、満潮までの時間である。満潮は1日2回あるので、夕刻から始まった話ならば夜中に一度満潮になっているはずである。なぜ、こんな簡単で重要な事実を無視できるのか。ついでに細かく言えば、撮影の都合があったのか、満潮までの潮の満ち方もかなり不自然である。ずっとあまり変わらなくて、満潮時間が近づいて一気に満ちてきた感じだ。せっかくの秀逸な状況設定で、よくできたサスペンスなのに、残念である。やはり「ジョーズ」の完成度の高さを再確認させられる。

総合評価 ③  [ 評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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映画寸評「追撃者」

2016年07月25日 07時31分58秒 | 映画寸評

「追撃者」(2014年 米国)
監督 ジャン=バティスト・レオネッティ

シンプルなサスペンスアクションの佳作

アメリカ南西部の砂漠でトレッキングガイドをしているベン(ジェレミー・アーヴアィン)が大富豪マデック(マイケル・ダグラス)を狩猟のために案内することになる。2人はマデックの車で出かけ狩りを始めるが、マデックが獲物と間違えて砂漠に住む老人を射殺してしまう。この老人はベンの親しい知人であり、ベンは早速、町へ知らせに行こうとするが、マデックは事故を隠蔽するためにベンを買収しようとし、それに失敗すると、銃で脅して裸で砂漠に追い出し衰弱死させようとすることから、砂漠を舞台にした闘いが始まる。

ベンは砂漠の知識を活かして何とか生き延びようとし、ベンの衰弱死を確認しようと望遠鏡で見張るマデックとの駆け引きが続くことになるのだが、マデックが自らが疑われないように、ベンを射殺しないで殺そうとする姿勢をできるだけ継続していくところがミソである。逃げるベンと追うマデックの緊張感が高まっていく。ベンは、殺された変わり者の老人があちこちに隠していた小物や抜け道を利用しつつ、しぶとく生き延び、次第にマデックに焦りが出てくる。全編かなりの部分が2人の駆け引きと砂漠の描写であり、シンプルな構成の中でサスペンスは途切れない。マデックは有能な実業家で金で何でも解決できると思っている厭な男だが、ベンも許可証なしの狩猟には金で目をつむるなど、単純な対比でないやりとりや、ベンが恋人を失うかもしれないという落ち込んだ気持であるという事情も背景のリアル感を増している。やたら大規模な仕掛けのアクションでなくとも、十分に観客を惹きつけハラハラ楽しませることができる、ということを実証したような佳作である。

ただ、もう一つ盛り上げようとしたのか、ラストの出来事は、それまでの流れから考えて余りに不自然であり無理矢理感が強い。

総合評価 ④  [ 評価基準:(⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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青いバラ・キャンドル(花キャンドル)

2016年07月24日 09時25分44秒 | 花キャンドル

青いバラをキャンドルにしました。 香りはラベンダーローズの上品な香りとフレッシュシトラスの爽やかでフレッシュな香りです。


【展示先

http://wanoma.jp/artists/interior/1320-item/

 

 

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映画寸評「クリーピー 偽りの隣人」

2016年07月13日 06時51分25秒 | 映画寸評

「クリーピー 偽りの隣人」(2016年 日本)
監督 黒沢 清

竜頭蛇尾の似非ミステリー
(以下、ネタばらし有り)

大学で犯罪心理学を教えている高倉(西島秀俊)は、元刑事で、逮捕した連続殺人事件の被疑者の取り扱いで失態を演じ退職した過去を持つ。そのことを描いた冒頭のスピーディーなシーンから観客は画面に引き付けられる。そして、一転して妻康子(竹内結子)と2人で郊外の戸建住宅に引っ越した現在の静かな生活を送っているが、かつての部下である刑事の野上(東出昌大)が未解決である6年前の一家3人失踪事件を相談に来たことから、「個人的興味」としてその事件を調べ始める。一家のただ一人の現存者であり、当時は中学生だった長女の記憶を呼び起こそうとする聞き取りは、陰影を強調した画面で不気味な雰囲気を演出しつつ、隠された謎への興味を深めていく。

一方、引っ越し先の隣人、西野(香川照之)明らかに変人で、人懐こく近づいて来たり、奇妙なクレームをつけたりしつつ、気味悪さを漂わせている。西野は中学生の娘、澪と病気で姿を見せない妻の3人暮らしらしいが、何か隠された秘密が匂ってくる。やがて、過去の事件と西野に何らかの繋がりが有るらしく思われてきて、野上が西野を尋ねるのだが、その後、野上は隣の空き家から焼死体で見つかることとなる。

過去の事件共々、西野が犯人であろうし、やがてそれが暴露されるだろうと、当然のように推察されるのだが、それまでに康子たちの身に降りかかる危険をどう回避して、どのように謎が解かれるのかと、惹きつけられ、ミステリー的な興味は増していくのである。ところが、親しくなった西野の家を康子が訪問する前後から、一挙の馬鹿馬鹿しいネタばらしが始まり、ホラーとして、ご都合主義ともいえないほどの独りよがりのラストへ進んでしまう。3分の2以上までミステリーとして引き付けておきながら、このつじつまの全く合わない展開は余りにひどい。

まず、康子は西野宅訪問の前に公園で西野から、唐突に「僕とご主人とどっちが魅力的ですか」と迫られており、明らかに気味悪がっているとしか思われないのに、なぜに訪問したのか。そして、澪の母親の射殺体を見せられて驚愕するのだが、なぜに、進んで死体処理に協力することになるのか。どうやら、西野のマインドコントロールに次第にはまったということらしいが、そのような描写は一切なく、西野も全く魅力的な面は描かれていない。唯一、康子が家で高倉に隠れて西野に電話をかけているらしい場面があるが、これ自体が唐突で全く浮いている。結局、西野が持っている魔法の薬を打たれるとみんな西野の言いなりになるというのが全ての究極のトリックらしいのだが、そんな馬鹿ばかしい落ちがありうるのか。澪の母親にはなぜ中途半端にしか効いていないのか。それなのにそれまで何のために生かしておいたのか。澪は薬を打たれていないようなのに、どのようにマインドコントロールしているのか。澪は高倉に「本当のお父さんではない」と口走りながら、それ以上は何もせず西野に協力しつつ普通に学校へ通っている。西野はラストで康子の愛犬を処分しようとし、それを薬でぼんやりした高倉にやらせようと拳銃を渡し、高倉に射殺されてしまう。いくら薬の効能を信じていたにせよ、直前まで敵対し,自分に危害を加えようとしていた相手に拳銃を渡せるのか。現に澪の母親には十分に効かなかったのに。

ホラーだからそのような説明はどうでも良く、雰囲気さえ出ていれば事足れりとされるのか。私がホラー嫌いだから余計に目につくのかとも思えるが、良く出来たホラーはその内部においてはそれなりの整合性があるはずである。特に、ミステリーとして引っ張っておきながらこのありさまでは詐欺といってよいのではないか。また、へたなミステリーによくあることだが、6年前から隣の空き家の押し入れに有る死体に気づかなかったり、元刑事の有力な証言に耳を貸そうとしないなど、警察は全くの無能に描かれている。確かに、香川の、何とも言えない気持ち悪さを全身で表現する演技は特筆もので、それのみで持っている映画といってよい。

総合評価 ②  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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ローズチューリップ・キャンドル(花キャンドル)

2016年06月13日 09時07分11秒 | 花キャンドル

私のオリジナルデザインのローズチューリップ・キャンドルです。 ホコリ防止のフィルムを外すと、香りが漂いますので、玄関などに飾ってインテリアにもなります。 次回の作品はサザンカ・キャンドルかバラ・キャンドルか迷っています。 

【展示先】

http://wanoma.jp/artists/interior/1320-item/

 

 からだに優しい天然ワックスを使っており、カラーごとに香りがちがいます。 

<カラー> ライトローズ

<香り> ローズ、グレープフルーツ

<カラー> イエロー

<香り> ジャスミン、レモン

<カラー> ピンク

<香り> ラベンダーローズ、グレープフルーツ

<カラー> ホワイト

<香り> プリメリア、フレッシュシトラス

<カラー> パープル

<香り> ラベンダー、ローズマリー

 

 

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映画寸評「ヘイル、シーザー!」

2016年05月25日 07時30分56秒 | 映画寸評

「ヘイル、 シーザー!」(2016年 米国)
監督 ジョエル・コーエンとイーサン・コーエン

映画への愛情のみは伝わる失敗作

(以下、ネタばらし有り)

1950年代のハリウッドの内幕を描写したもの。大物俳優ウィットロック(ジヨージ・クルーニー)が撮影現場から誘拐され、映画製作に関わるあらゆるトラブルの解決を請け負うマニックス(ジョシュ・ブローリン)が調査を請け負う。これが一応メインのストーリーとなるが、大した意味を持たず、撮影現場や裏側の様々なやり取りや、映画のシーンが断片的に積み重ねられる。

映画全盛期の情景が生活き活きと描かれそれなりに魅力的ではあるが、ユーモアをベースにした個々の話の面白さはいまいちで、余り笑えない。ちょっと面白かったのは、ハードボイルド風のいでたちと語り方のウィットロックが、妻との禁煙の約束をしたにも拘らず煙草を2,3本吸ったと教会の懺悔室で懺悔を繰り返すシーンと、西部劇俳優で売り出し中のホビー・ドイル(オールデン・エアエンライク)が正装してパーティ会場に登場する役ながら、ガンマン風のしぐさになってしまうシーンくらいだ。他は特別な奇人・変人が出てくるわけでもひねった話がある訳でもなく、登場人物のごくまっとうなやり取りのように思え、惹きつけられることは無かった。誘拐の件は、脚本家たち共産主義者グループの犯行なのだが、海岸の別荘に連れてこられたウィットロックに対し、脚本家たちが稚拙な「共産主義」を断片的に繰り返し、ウィットロックが簡単に洗脳されてしまうのもお粗末すぎる。背景にはマッカーシーの赤狩りがあるのだろうが、あまり意味をなさない。結局、そのグループの第一目的は、もう一人のスターであるバート・ガーニー(チャニング・テイタム)を、沖合に来たソ連の潜水艦で亡命させることだ分かり、それは成功するのだが、このシーンのみやけにシリアスに描かれており荒唐無稽感がぬぐえない。スター一人の亡命のためにアメリカ海岸までソ連の潜水艦が出動しなければできないのか、なぜそのために十数人がわざわざ手漕ぎボートで漕ぎ着けなければならないのか、また、海に落ちた10万ドルもの身代金入りトランクが海中に沈もうとする時に、誰も飛び込んで防がないのか、釈然としない。帰ってきたウィットロックがマニックスに資本主義の搾取を主張し、平手打ちで罵倒されて目を覚ます、というのも馬鹿馬鹿しすぎる。

監督の映画に対する愛情は十分に伝わるが、それゆえに古き良き映画の興隆期をノスタルジックに描写しただけの映画となっている。コーエン兄弟作品ということで、世の評価が甘くなっているのではないか、と思える失敗作である。

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映画寸評「エベレスト 神々の山嶺」

2016年03月27日 16時19分25秒 | 映画寸評

「エベレスト 神々の山嶺」(2016年 日本)
監督 平山秀幸

原作での感動は呼び起さない
(以下、ネタばらし有り)

1990年代のエベレストに挑む男を描いた、夢枕獏原作の山岳小説を映画化したもの。山岳カメラマンの深町誠(岡田准一)は、1993年にネパールのカトマンドゥで中古カメラを目にするが、それが1924年にエベレスト初登頂を目指す過程で行方不明となったイギリスのマロリーのものではないかと思い、初登頂成否の謎を解く期待を持つ。それがきっかけで、かつて天才クライマーといわれながら消息を絶っている羽生丈二(阿部寛)と出会い、彼の過去と現在を追求することにとらわれる。かつての羽生の恋人・岸涼子(尾野真千子)も巻き込んで、羽生の住まいを突き止めるが、その結果、羽生の目指しているのがエベレスト南西壁の冬季単独無酸素初登頂であることを知り、それを記録しようとのめり込む。

撮影も演技もそれなりに良く出来ているのだが、見終わっても10年以上前に原作を読んだ時のような感動は起こらない。不思議に思い改めて原作に目を通してみたが、結局分かったのは、文庫本で1000ページ以上の量の原作に対する凝縮の仕方に問題があるということだ。当然のことながら、映画は大量のエピソード類を省いているのだが、それでももっと枝葉を省いて、羽生が挑む厳しく困難な登攀に焦点を当てるべきだったろう。現在においては、エベレスト登頂だけで言えば毎年何百人の人が達成しているのであり、エベレスト=最高レベルの登山、という印象は無くなっているので、当時の登山状況とルートの説明、登山のディテールをもっと説明しなければ、羽生の行為の重みは伝わらない。特に「無酸素」の過酷さの説明が足りない。原作では、羽生が登攀2日目に6900メートル地点まで行けるのにあえて2泊目を6500メートル地点にと留めたり、深町が事故の後、撮影を放棄して逃げ出すかのように下山していく理由が説得力を持っている。装備や氷の状態なども含めて、ナレーションを入れてでも掘り下げが欲しかったと思われる。エベレストの撮影も、巷で言われているように良く出来ているが、この点に関していえば、昨年の「エベレスト 3D」には遠景、近景ともにその迫力は遠く及ばない。本作は羽生の手記に現われるような心理ドラマにより重心を置いたものだから、単純な比較は無意味だが、そのためにもやはり登攀のディテールは省きすぎである。

もう一つ大きな難点は、映画のクライマックスを無理してラストに持ってきたことである。原作のクライマックスは、羽生の姿がエベレスト頂き付近に消えるまでであり、その後すぐに羽生の手記が載ってまとめられている。その後、深町がエベレスト登頂に挑むまでは長めのエピローグなのであり、長めといってもそこまでの膨大な内容と分量に対してのものなので、違和感はない。映画はその部分に時間を割きすぎである。それでありながら肝心の深町の帰国後の羽生に関するルポ発表の説明がないし、トレーニングの様子もなく、唐突なエベレスト挑戦となり、トランシーバーでの制止の声を無視して死へと突き進み、偶然羽生の遺体を発見して我に返るという、全て心の動きの問題に解消されたかのようで、ますますリアル感がなくなった。音楽であおり立てられても冗長感が増して、作品全体を傷つけてしまっている。羽生の手記の重みも伝わりにくくなったはずだ。

確かに、阿部、岡田は熱演しているし、撮影の努力も伝わるが残念な出来である。やはり原作小説をお勧めしたい。

総合評価 ③  [ 評価基準: (⑥まれにみる大傑作)⑤傑作 ④かなり面白い ③十分観られる ②観ても良いがあまり面白くはない ①金返せ (0 論外。物投げろ)]

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走るチーター(アニメ)

2016年03月18日 10時10分10秒 | アニメ・絵本

朝日を浴びて、草原をチーターが走ります。

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