徒然なる放蕩日記

ダイビングとビール、そしてタイをこよなく愛する放蕩者が不定期にてお送りするたわいのない日記です。

再開

2012年07月18日 | 日記
訳あって更新できず長々と過ぎてしまいました。

昨日、久々に外出。
お台場にあるガンダムを見たかったのでクソ暑い中行ってきました。
ガンダムの立っているDiver City Tokyoはフジテレビの裏手にあったんですね。
さて、これがその雄姿





第一印象は “思ったよりは大きくない” でした。
確か18m位だったと記憶してるけど、こんなもんなんだなぁって。
ついこういうものを見ると、水深に例えてしまって、水深18mってこれくらいの深さか、
なんて考えたりもします。

関節部分もよくできていて、このまま動かせそうな雰囲気。


Diver City Tokyoの7階にはガンダムフロントという施設?があって、歴代のガンプラがずらり。
ガンプラというと、小学校時代に大流行して、小遣いを握りしめて買いに走ったものです。





当時のものは関節がたいして動かないので、ポーズもあまりつけられなかったけど、
今売っているものはどんなポーズもOK。技術の進歩ってすごいと感じました。
売店ではガンプラも販売していて、つい買いたくなる衝動に駆られましたが、
よく考えると作ってる暇あんの?ということで断念。

有料ゾーンというのもあって、今回はカミさんの白い目もあったので行けずでしたが、
また今度かな。


お隣のフジテレビでは今、お台場合衆国なるイベントをやっていて、駅までの道すがら
ちょっと立ち寄ってみた。
どっちかというとこっちのほうが今はメインイベントなんだろうけど、今回はガンダムメインだったので。




ステージ前にはたくさんの女性陣が陣取っていて、これは誰か出てくるな、とスケジュール表を
見てみると、Leadなる歌手がでるそう。
後ろのモニターにプロモーションビデオが流れてて、あぁ、また韓流のイケメングループか、
なんて思いながらとりあえず待ってみる。
しばらくすると、元気よくイケメン4人が出てきて挨拶、あれ、なんだ日本人じゃないか。
最近のアイドルグループはようわからん。

若いころ親がよく言っていた言葉を思い出した。
「どれもこれも一緒でよくわかんない」
僕もそんな歳になったのかな、とちょっと苦笑いでした。


何とか

2012年01月21日 | 日記
相変わらず更新が遅くて申し訳ない。


カミさんのビザ申請で1月10日に入国管理局へ
行ってまいりました。

連休明けだったので混んでると思い、朝イチで
行ったのだが、思いのほか混んでおらず、待ち人数も
少なかったのですぐ手続きに。

8,000円の上納金(?)というか収入印紙を書類に貼って
パスポートと共に渡すと、ビザのページに何やらペタっと
貼って返され、手続きは終了。

これが永住ビザ。



アップで撮ったので大きく感じられると思うが、実際は
ビザのページの片隅。
証明写真サイズくらいかな。


タイにいたころは、長期滞在ビザをもちろん取得しなければならないが、
タイのビザって、パスポートのページ丸々使うのね。
(カンボジアもそうだったなぁ。今はどうなんだろう?)
なんで、何度もビザ更新してると、あっという間に
ページが埋まっていって、すぐなくなる。
増補といって、ページを約1冊分補充することもできるんだけど、
それもすぐ埋まる始末。
当時は有効期間がたっぷり残ってるのにパスポート更新なんて
ザラだった。

6年前に更新して、今じゃまだページ2枚くらいしか使っとらん。

あのころが懐かしいなぁ。





遅ればせながら

2012年01月09日 | 日記
あけましておめでとうございます。

新年は早々から仕事だったので、毎度のことながら
なかなか更新できずでした。
今年は東北の復興も含め、良いニュースばかりの年に
なりますように・・・。

早速ですが、個人的に良いニュースが一つ。
うちのカミさんはタイの人なのですが、2005年に
来日して以来、日本の滞在ビザを更新していかなくては
なりませんでした。
最初は1年、その後3年と滞在期間は伸びたものの、
更新のたびに入国管理局へ出向いて行かねばならず、
更新料も払わねばならないうえ、お役所仕事というか、
結構待たされることも多いので、朝イチから行って
早い順番で手続きを始めないと一日仕事となりかねないので
結構苦労してました。

カミさんの在日タイ人友達の情報もあり、もうそろそろ
永住許可は下りるんじゃない?とのことで、
昨年の5月に申請に行ってみました。
書類はすべて揃えたものの、審査期間は半年から
一年ということらしく、あまり期待せずに待つことに
しましたが、そのうち忙しい日々のせいか、申請していた
ことすら忘れかけていたころ、



こんな葉書が。

文面には、「申請について結果をお知らせしますので」とあるが、
この葉書が来たということはもう結果はわかったも同然。
なんとか審査は通って、許可されたようです。
これで何度も更新に行く必要はなくなり、負担も減りました。
明日、入国管理局へ出向いて永住ビザをもらってきます。


些細なことですが、今年初のよいニュースでした。



はや年末 その2

2011年12月28日 | 日記
さて、昨日に引き続き今年一年を振り返りつつ。

我が家の重大ニュースとして、
愛犬マック(ラブラドールレトリバー)の死去でしょう。
もともとは叔父が飼っていたのですが、
引っ越しに伴い、引っ越し先では飼うことができなく
なってしまったため、3年ほど前に引き取ったものです。

ラブラドールということもあってそれなりに巨体だったが、
座敷犬?として狭い我が家の玄関にどっしりと居座って
おりました。
非常におとなしく、まず吠えることはなく番犬としては ? な
ところもありましたが、来客等で玄関に入ってくるなり目の前に
デカイ犬がいればみなギョッとして一歩後ずさりしてしまうなど、
存在感はあったようです。

自分も母親も仕事で家を空けるので、基本的にはカミさんが
世話をすることが多く、カミさんにはよくなついていました。


これからお散歩で~す


叔父のしつけが良かったのか、言うことをよく聞く犬で、
許可しない限り居間等には入ってきません。


入ってもい~い?


家に来たときにはもう10歳くらいで、人間でいえば70~80歳位だそうですが、
散歩に連れて行くとぐいぐい引っ張られ、こちらが散歩されてるような
錯覚になります。


そんなマックでしたが、今年に入ってからは体調を崩すことが多くなり、
散歩に行くこともままならないことが多くなってきました。
お腹に水がたまってパンパンになってしまい、病院で薬をもらって
何とかおさまってきたのですが、今度は立ち上がることもできなくなり、
晩年はもう寝たきり状態でした。
13歳という年齢からすると無理もないのですが。

9月のある夜、いつも通りに寝る前にお休みを言って部屋へあがろうと
したときに、か細い声で鳴くので、水がほしいのかと思い、
水飲むの?と器を口元へ持って行っても見てるだけで飲まず、
またこちらをじっと見てるので、変だなと思いつつ、お休みを
言ってるのかなと思い部屋にあがって行ったのです。
今思うとあれは最後のお別れを言っていたのかも知れません。

その夜、カミさんが3時頃トイレに起きた時に天に召されていった
マックに気づきました。
眠っているかのような安らかな顔でした・・・・・。

一番ショックだったのは常に一緒にいたカミさんで、しばらく
その場に寄り添って動こうとはしませんでした。
夜が明けて、自分は仕事だったので母と姉で葬儀の段取りを
してくれたのですが、今はいろんなサービスがあるもので、
火葬車?なるものがあり、ワンボックスカーの後部に火葬用の
窯があって、自宅の前まで来てくれ、その場で荼毘に付してくれた
そうです。
ちゃんと遺灰は壺に入れてくれ、白い布の袋にも入れてくれるという、
人と同じように扱ってくれました。
今でも遺灰は今の仏壇の隣に置いてあり、毎日供物とお線香は
絶やさずにいます。
遺骨の一部はペンダントの中に入れてもらい、カミさんに渡されて
大事に持っています。

しばらくは朝起きた時、帰宅時等はマックのいたところをつい見てしまう、
そんな日々でした。


なんか暗いニュースばかりだった、そんな一年でしたねぇ。
来年こそは国内も、そして我が家も明るいことばかりの年に
していきたいと祈ってます。


はや年末

2011年12月27日 | 日記
え~、最後の更新から長いこと途絶えてしまっておりました。
年末の超超繁忙期に入ってしまい、朝6時に家を出て
帰宅は23時という殺人的な毎日でした。
クリスマスも過ぎ、ちょっと落ち着いた感? なわけはなく、
未だ忙しいことに変わりはないのですが、
今日は休日なのに珍しく身体が動くので、今年一年を
振り返りつつ。


今年はなんといっても東日本大震災でしょう。
発生当時は休日で自宅にいましたが、あんな揺れは
今までの人生で初めて。
自宅は東京の西のほうですが、それでも大きな横揺れで
物が倒れたりするほど。
急いでTVをつければ、各局ともキャスターはパニクった
様子で、そうこうしてる間に大津波警報という、
初めて見た言葉が画面の片隅に。
こりゃ尋常ではないと思いながら見てると、現地の映像が
入ってくるようになり、海面が大きめにうねってるなぁ、と
思ってみてたらその瞬間、堤防を越えて街を飲み込んで
いってしまった・・・・・。

リアルタイムで津波の映像を見たのは初めてだった。
ただただ唖然と見ていることしかできなかった。


2004年のスマトラ島地震の津波が以前住んでいたタイ、
プーケットを襲い、甚大な被害をもたらしたことも記憶に
新しく、その当時の映像は以前住んでいてなじみのある
場所が津波にのまれ、破壊されるという、今回とは違った意味で
ショッキングだった。
その3ヶ月後にプーケットへ行く機会があったので、現場を
見ることができたのだが、意外と復興は早く進み、ほっとした
ことを覚えている。


しかし、今回は規模、範囲ともに大きく、復興には相当の時間が
かかる見通しとのこと。
だがそんな苦境にも負けず日々笑顔で復興に向けて頑張っている
東北の人々を見ていると、こちらが逆に元気をもらっているようで、
なんか申し訳ない気もしたり。
微力ではありますが応援させていただきます。

がんばっぺ! 東北!



気が付いたら文字だらけ、しかも震災のことしか書いてないぞ。
残りはまた明日!