弛まぬ空

酷く内面的な日記

特別視ではなく個別視

2017-05-17 23:43:45 | 思考
斜視(手術済み)、漏斗胸、高校生での父との死別、東大受験失敗、親友の自殺、mECTの経験

これらー特にECTを持ち出すと、母にすぐ

自分が一番特別だと思っているでしょ。

とか言われるのだが、そうではない。
mECT以降は過去のことにこだわりはなくなった。今、苦しいのは目標を掲げながら、心身がついていかないこと。

なるほど、生まれつきに斜視と漏斗胸を持って、上に挙げたようなライフイベントを経験したのは世界に一人だろう。
だが、そういう意味だと、誰もが個別的だ。
無論、不幸の密度という意味だと、もっと不幸な人はあまたにいながら、独自の色彩を帯びている。少なくとも、誰からも根本的に理解はされないと思っている。
だが、改めて言うが、それをアイデンティティとしているというより、自己憐憫の情というより、それらがもたらした帰結として、現在が歯がゆいのだ。

(頭の中がお花畑の人は人生経験に関わらず軽蔑する。我々はあまねく死刑囚なのだから)

なので、特別視というより、自分の苦しみは自分しか分からず、それをいたわる。
他人の苦しみを理解しようだなんて傲慢な真似ももうしない。
きっとそれでいいのだろう。
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