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◎『街道をゆく』砂鉄のみち(乾燥と湿潤)2

2017年03月20日 | 人生哲学(生命)


   李朝(1392~1910)は世界中が近代に入っていても・・・つまり各国が蒸気工場をうごかし蒸気船を走らせている時代に・・・なお本場の中国よりも模範的な古代律令体制をつづけていた国である。

*朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。

 
  その制度は土地は原則として近代的公有制(奈良・平安朝時代のように)であり、農民は先祖代々耕してきた自分の田畑を耕しつづけて、たとえば日本の平安末期から鎌倉期の荘園の武士のとうに、他人の田畑までほしがったり奪ったりする欲望は、基本としておこさなかった。

あたえられた田地で充足し、その決まりきった生産力をもって、欲望をふくめた自己表現の限界であるとし、その社会的停滞の大肯定思想と しての儒教体制をふかく信じた。

 そのことは、ひとつには、欲望を実現する道具である農具が伝統的に寡少であることによる、というのが、私の妄想なのである。

 朝鮮民族というすぐれた民族が寡少な農具にあまんじていたということは、さきの章で述べたことを繰りかえすようだが、砂鉄を吹いて鉄にするための樹木がすくなかったことによる。

きわしくいいえば、日本地域とは異なり乾燥地帯であるために山の木の自然復元力が無いにひとしいというためであり、要するに、地域が乾燥しているかあるいは湿潤であるかぬいよって、朝鮮地域にすむアジア人と、一方日本地域に住むアジア人とはが歴史の長い時間での様相を異にし、さらには民族性をことにしてしまったというところへ私の妄想はつづく。

 前記の私の韓国への族は1971年5月である。

その時の農家では、見たかぎりにおいて電灯はないにひとしかった。

日出(ひい)でて耕し日入って憩う、という古代以来の照明生活で、夜分になにか灯りを必要とすることがあれば、”かまど”榾火(ほたび)をとって照らせば済む。

  このことは日本帝国主義時代のせいかと思ったりしたが、よくきいいてみると、あの悪しき総督府でさえ電灯をつけることを農村にすすめたそうである。

が、農村は動かなかった。

 厳密には、農村の好奇心が動かなかったというべきであろう。

電灯をひくことは多少の金銭を要し、しかも農家としては直接の利益がかならずしもあるとはいえない。

つまり電灯をひくひかぬは多分に好奇心だけの問題であり、とすれば朝鮮の農村社会の好奇心の量は希薄だということであろう。

それが、独立後20数年してもなおつづいていたのである。

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                        竹田城跡
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