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●街道をゆく:大和・壷坂のみち(高松塚周辺)3

2016年10月12日 | 人生哲学(生命)

多和平1 (4).jpg

 
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 「須田さん、いかがですか」

 ときいてみたが、須田さんはちょうど飛鳥側の窓のそとを熱心に見ておられる最中で、きこえなかったらしい。

 「須田さん」

 Hさんが呼んだとき、須田さんが窓のむこうを指して、あのあたりに高松塚古墳があるんじゃありませんか、といった。
 
須田さんは若いころに飛鳥をよく歩かれたから、高松塚古墳へは行ったことがないにせよ、起伏する丘の景色を眺めているだけで、”かん”で見当がつくようだった。
                                         その言葉を幸い、寄ってみることにした。       

 道は檜前(ひのくま=檜隈)のあたりで左へまがる。

 「檜前」

 というのは、いまは小さな(あざ)の地名でしかないが、飛鳥時代以前はこのあたり一帯のひろい範囲をさし、のちに東漢(やまとのあや)氏といわれた氏族の根拠地のひとつであった。

 東漢氏という古い渡来系の氏族が古来史のなかで活躍するが、どこからきたのか、伝承がまちまちでよくわからない。

 『古事記』の応神天皇の項に、

 「この天皇の時代に、漢直(あやのあたえ)の租が渡来した」

 とあり、『日本書記』にも類似の記事がある。

 その租は、阿知使主(あちのおみ)で、この伝承の人物は朝鮮半島からきた。
 
しかし9世紀半ばに坂上(さかのうえ)氏によってつくられたらしい「坂上系図」(読群書類従)になると、漢の高祖の子孫だということになっている。
 
 朝鮮半島からきたというより文明の源泉の場所からきたというほうが、かっこうがよいと思う時代になっていたのであろう。

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大雪山黒岳 (1).jpg 
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