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◆街道をゆく;大和・壷坂のみち(山坂四十四丁)3 

2016年10月19日 | 人生哲学(生命)

 

 イヨマンテの夜 (18).jpg

            *北海道アイヌ村のイヨマンテ祭りの光景

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 ともかくも、嶮路(けんろ)だったにちがいない。

 この城が、幕末、天誅組によって攻められたことがある。

天誅組はこの城をうばってここに籠城し、天下の倒幕の(さきがけ)をしようと企てた。

天誅組は浪士団だから兵力といえるほどの人数ではなかったが、吉野の奥の十津川卿から 800人ばかりの農民の加勢を得たので攻撃する気になったのである。

 高取城のほうは石高が2万5千という小大名だから、せいぜい500人前後を動員できるにすぎない。

 このときの防御法のひとつとして、城へのぼる山道の要所要所にびっしり竹ノ皮を敷きつめた。

登ってくる敵兵が足をすべらせてあっというまに谷へころげおちるだろうという工夫である。


 その話を須田画伯にすると、画伯のような天然自然の平和主義者さえ、唇を小さくして激しく笑い声を立てた。

笑い終えてから、

 「竹箒で掃けばいいじゃありませんか」

 と、いった。

城方がそうするなら、寄せ手は箒を持ってくればよいのである。

須田さんが天誅組の大将ならそうするにちがいなかった。

 城をまもる高取藩には、家康が大坂城攻めに使ったという大砲が、権現さま(家康)の大砲ということで江戸期いっぱい藩の宝物として大切にされていた。

家康がこれをもって大坂城の柱をへし折ったという当時最大の攻城砲が、高取城のとっておきの重火器だった。

 主な戦闘は、竹ノ皮の山道でおこなわれたのでなく、ふもとの田園でおこなわれた。

土佐の町の、いま高取町の町役場のあるあたりにこの大砲の一門がすえられていた。

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