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◆『街道をゆく』大和・壷坂みち (山城四十四丁)1

2016年10月17日 | 人生哲学(生命)

 



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 ◆『街道をゆく』大和・壷坂みち(山城四十四丁)
 
◎ 山城四十四丁
 
 飛鳥などの平坦地で百姓仕事をしているひとびとは、雲の通い路で晴雨をうらなう。
 
雲が、壺坂・高取山のほうへ流れてゆくときは晴れである。
 
 逆に奈良のほうをめざしているときはほどなく雨だという。
 
 「壷坂詣りは晴れで、奈良詣りは雨」
 
 などという。
 
 ふもとの土佐の町から壷坂山をへて高取山をめざし、杉木立の中を登りはじめたとき、なるほどこれは雲の通い路になるような山だとおもった。
 
 谷が深く、峠の傾斜が急で、いまでこそ自動車が走れる林道がついているが、明治以前の道路のけわしさは想像にあまりある。
 
 高取の山城はむかしから、
 
 「土佐の町から四十四丁」
 
 といわれた。一里強である。
 
寄せ手は一里強の嶮路(けんろ)を、槍を杖にあえぎながら登ってゆかねば城の石垣に取りつけぬとは、なるほど要害にはちがいないが、鉄砲伝来後、諸国の城が山城形式から平野に降りて平城になって行った趨勢(すうせい)からみると織田信長のころにはもう時代遅れだった形式といえる。
 
 南北朝時代に大和の土豪の越智氏が最初にここに素朴な山城を築いたころは弓矢のころだからまったくの天嶮だった。
 
城への小径は大手口へ達するものと搦手(からめて)に達するものと2筋しかなく、とくに搦手口へ達するみちは森林のなかを迷路のようにひきまわしてあって、よほど案内を知った者でないと2日も3日も迷い歩くといわれていた。
 
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◆『街道をゆく』大和・壷坂みち
(山城四十四丁)司馬遼太郎:著 
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