阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

良き羊飼いである救い主の誕生

2017-12-26 19:16:15 | Weblog

2017.12.24.良き羊飼いである救い主の誕生

聖書 ルカ2:1~21、詩篇23:1~6

題  良き羊飼いである救い主の誕生

暗唱聖句

(ルカ2:11)「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

 

はじめに

クリスマスおめでとうございます。クリスマスは世界で一番喜びにあふれた祝日だと思います。なぜなら、神さまがこの世に人間として来てくださった日だからです。しかも、人間の赤ちゃんと同じように、親によってお世話されなければならない赤ちゃんとして生れてくださったのです。赤ちゃんは一人では生きることができません。親に守られ、人々に愛され、また、人間としての成長段階で、いろいろな教育を受けなければなりません。

誕生はその第一歩です。人間は一人で生れて一人で死んで行かなければなりません。イエスさまもその第一歩に歩み始められたのです。神様が人になるというのは永遠に生きておられる神が、死を経験する世界に入られたということです。それは私たちに永遠の命を与えるための第一歩でした。この赤ちゃんは神の命、そのものでした。

イエス・キリストの誕生は2000年前、中東のイスラエルのベツレヘムというところで起こりました。それは誰もわからない家畜小屋で起こりました。ところが、今では世界で最も有名なお誕生日なのです。ヨセフとマリヤはイエス様のご両親です。

 

1.羊飼いへの良き知らせ

ヨセフとマリヤはナザレの町から、数日をかけて、ベツレヘムの町へやってきました。ヨセフとマリヤは、イスラエルの王であったダビデ家の子孫でした。王ダビデの出身はベツレヘムです。そこで、この町に帰って来て、住民登録をすることになりました。今で言う、戸籍調査ですね。イエス様はこのベツレヘムでお生まれになりました。それは紀元前8世紀の預言者ミカの預言が成就したからです。このように旧約聖書には救い主についての預言がたくさんあります。ファイヤーバイブルで調べてみると116の預言がキリストの誕生とその生涯の中で成就されていきました。

聖書はイエス・キリストが貧しい家畜小屋で生れたことを記録しています。神様の子どもが王宮ではなく、家畜小屋でお生まれになりました。それは、人目につかない地球の片隅での出来事でした。この片隅での出来事を天使たちは大喜びで、祝福し、賛美をしてお祝いしました。

そのお祝いの祝宴に招かれたのは、貧しい羊飼いたちでした。ベツレヘムにいた一握りの羊飼いたち、彼らは美しい天使の大軍勢を見、その歌声を聞いたのでした。それは天国にいるような出来事だったと思います。まさに天が地上に降りてきた出来事でした。

羊飼いたちは御使いが告げてくれた良い知らせを素直に信じたのです。み使いは言いました。(ルカ2:10~12)「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

 2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

羊飼いたちはこの嬉しい知らせを受けて、急いでベツレヘムに行きました。そして家畜小屋の飼葉桶に寝かされている赤ちゃんを見つけたのです。それは、それは、かわいい男の子でした。

(ヨハネ1:14)「 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」「ことば」は神です。父のみもとの「父」も神のことです。この赤ちゃんは「めぐみと真に満ちていた」のです。それだけでなく神の栄光で輝いていました。羊飼いたちは御使いが教えてくれた通りだったので、神を見上げて、賛美しながら帰って行きました。羊飼いたちはとても喜びにあふれ、魂は満ち足りて帰りました。彼らは天国がこの地上に降りてきた瞬間に立ち会えたのです。

 

2.主は良き羊飼い

この幼子は八日目の割礼の日に「イエス」と名前がつけられました。「イエス」というのは「救う」という意味です。

御使いはこのイエス様のお生まれを、まず第一番に、野原で野宿をしている羊飼いたちに告げました。「なぜだろう」と思っていました。み使いたちは天使ですから、どこへでも行くことができます。王宮にも行けるのです。しかし、王宮ではヘロデ王がイエス様の命を狙っていました。また、町の人々はローマから救いだしてくれる政治的な王を求めていました。純粋に神を求めている人々が見つかりませんでした。一般庶民は、皆、自分のことで、忙しくしていました。このような姿は、今も昔もあまり変わらないと思います。

 

イスラエルの国にはたくさんの羊がいます。羊のいる所には羊飼いがいます。今でも砂漠の中に羊飼いたちが羊を連れて歩いている姿が、よく見られます。イスラエルは世界でもハイテク産業を誇る国ですが、一方裏山の荒野に目を移すと、羊飼いの群を見つけることができます。また、羊飼いたちの住んでいるテントもあるのです。そのギャップは信じられないほどです。聖書の中には、羊飼いと羊の話が、たくさん出てきます。ヤコブも羊飼いでした。その時の苦労は大変だったようです。ダビデ王も少年の頃、羊飼いでした。ベツレヘムの野原で羊を飼っていました。その彼が巨人であったゴリアテを倒し、その後出世して王になりました。このダビデ王は神を愛して、神を第一番にしていた祈り深い王でした。それゆえ、救い主はこの家系から生まれるという預言をいただいていました。ヨセフとマリヤはこのダビデ王の家系でした。

 

聖書は良い羊飼いと悪い羊飼いについて書いています。悪い羊飼いは羊の世話をしません。弱った羊の世話をせず、羊が病気になっても癒さず、傷ついていても包帯で包まず、迷い出た羊を探しに行こうともしない、かえって、暴力をふるうのです。しかし、良い羊飼いはこの反対です。(エゼキエル34:16)「わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。」神が良い羊飼いになられると約束しておられます。イエス様は良い羊飼いとして、人間の世界に来てくださいました。ですから、羊飼いたちにまずご自分の存在を現わされたのは、自然な成り行きだったのかもしれません。

 

3.良き羊飼いは、羊のために命を捨てる

イエス様は言われました。(ヨハネ10:11)「10:11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

 10:12 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。

 10:13 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。

 10:14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。」

イエス様は「わたしは良い牧者、良い羊飼いです。」と言っておられます。羊飼いは羊のことをよく見張り、良くお世話をします。そして。引き続き、こう言われました。「良い牧者は羊のために命を捨てます。」と。

イエス様はこのお言葉通り、良い羊飼いとして十字架の上で自分の命を犠牲にしてくださいました。それは人間が神に対して犯した不従順の罪を清算し、神の怒りを人間に代わって受けられたからです。それはイエス様が私たち人間に対して、なしてくださった愛の極みの出来事でした。これは悪いことをした子供が、たたかれているのを見て、「彼をたたかないで、私をたたいてください。」と進み出る母親のようなものです。母親が子供を救うために、自分の命を犠牲にするのと同じです。母親と違うところは罪人であり、イエス様と関係なく歩んでいた人にさえも、ご自分の愛を分け与えてくださるという事実です。「主よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないからです。」と十字架の上で叫ばれました。神に敵の赦しを請われたのです。

(1ヨハネ4:9~10)「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

 4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 

4.イエスの命をいただく者に与えられる恵み

イエス様は33歳の時、人類の罪を背負って、十字架にかかって死んでくださいました。それは、私たちの罪を赦し、永遠のいのちを取り戻すためでした。人間の世界に来て、「死」を経験されたイエス様は3日目によみがえって、今も生きておられます。イエス様は生きておられるので、永遠の命を私たちに与えてくださいます。私たちが、イエス様を信じる時、永遠の命が魂の中に注がれるのです。

(ヨハネ10:28)「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」

永遠の命をいただくと「たとい死んでも生きるのです。」という言葉が理解できますし、この希望によって人生まだまだという気持ちになります。永遠の命は私たちが滅び去るのを防ぎます。

イエス様を信じるとどんなことが起こるのか。

①    神の子にされます。当然、神の愛を受けます。神の子どもとしての相続権が与えられます。

②    永遠の命が与えられます。

③    神の国にはいることができます。国籍が天にできます。命の書に名前が記されます。

④    キリストの身丈まで、清められ、性格が変えられ、成長し続けます。

 

5.証

 最近、久しぶりに友人と電話でおしゃべりしました。彼女は私が救われた頃、まだ小学生でした。現在,人生の半ばを過ぎるくらいの年齢になった頃でしょうか。とても素晴らしいクリスチャンです。彼女は若い日に同じ教会の青年と結婚しました。その時、彼は教会の役員をしており,模範青年だったそうです。「良かったな」と思っていました。ところが10年ぐらい前からでしょうか、もっと前からかもしれません。彼はアル中になり、治療を受けなければなりませんでした。公務員でしたが、公務中に缶ビールを手放すことができなくなりました。断酒会などで、治療を受けることになったようですが、なかなか治りませんでした。彼の家族は彼を見放しました。唯一、見放すことなく、寄り添ったのは妻である友人だけでした。

 久しぶりに話したので、どうしているかなと思い、「働いているのでしょう?」と尋ねました。当然、彼は働いておらず、彼女が働いて、家計のやりくりをしていると思っていました。ところが、彼女は「いいえ、働いていないのです。」と言いました。私は、「彼が働いて養ってくれているの?」と聞きました。すると「そうなんです。信じられないでしょう。神様の憐れみです。」と言いました。さらに続けて、「仕事場も、彼を見捨てないで、彼のできる仕事を与えてくださいました。もう生きていなかったかもしれないのに、命があり、平和な家庭に戻ったのです。どん底の生活の時、『今が一番良い時だから、感謝しなさい。』と言われました。だから、その時を感謝して通り過ぎました。それで、辛かったというトラウマは無いのです。神様って、素晴らしいでしょう。私たちは神様に養われたのです。」私にとって、この言葉は素晴らしいクリスマスプレゼントでした。

(詩篇23:1)「 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」主は良い牧者です。一緒に歩いて、慰め、励まし、必要の一切を満たし続けてくださる方です。主は真に良い羊飼いです。

良い羊飼いは羊のために命を捨てる、イエス様は良い羊飼いとして生涯をまっとうされました。ベツレヘムで羊飼いたちにまず御子の誕生をお知らせになったのは「イエス様が良い羊飼いである。」事を強調するためだったのでしょうか。私は思いました。「『イエス様は良い羊飼い、神様も良い羊飼いです。だから、仲間である羊飼いに、まず誕生のお知らせをしましょう』とご計画されたのではないか?」と。

 (詩篇23:1~6)

「23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。」


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