阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

幼子を抱いて、主をほめたたえた。

2018-01-03 20:41:52 | Weblog

2017.12.31.「幼子を抱いて、主をほめたたえた。」

聖書 ルカ2:21~38

題  「幼子を抱いて、主をほめたたえた。」

暗唱聖句 (Ⅰテサロニケ5:16~18)

「 いつも喜んでいなさい。

  絶えず祈りなさい。

 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

 

はじめに

楽しいクリスマス礼拝やクリスマス会が終わり、いよいよ2017年も今日で最後になりました。今年一年の恵みを数えて、主に感謝しましょう。

今日は先週の続きです。ヨセフとマリヤに男の子が生まれました。そこへ、天使が現われ、羊飼いたちに「今日、救い主が、ベツレヘムにお生まれになりました。」と告げたのです。羊飼いたちは天使のお告げを信じて、ベツレヘムに行き、幼子を見つけ、礼拝したのでした。彼らは喜びに溢れ、家に帰りました。今日は律法に従い、神殿に捧げものを捧げに行かれた時の出来事です。

 

1.律法に従う両親

両親は律法に従って、幼子をエルサレムの神殿に連れて行きました。

21節、22節に、モーセの律法による規則というものが書いてありますね。これは旧約聖書のレビ記12章1~4節に書いてあります。

12:1 それから、【主】はモーセに告げて仰せられた。

 12:2 「イスラエル人に告げて言え。女が身重になり、男の子を産んだときは、その女は七日の間汚れる。その女は月のさわりの不浄の期間のように、汚れる。

 12:3 ──八日目には、その子の包皮の肉に割礼をしなければならない──

 12:4 その女はさらに三十三日間、血のきよめのために、こもらなければならない。そのきよめの期間が満ちるまでは、聖なるものにいっさい触れてはならない。また聖所に入ってもならない。」

これがわかると、「清めの期間が満ちた時」というのが時間的にいつのことか理解できますね。

イエス様は生れて8日目に割礼をうけ、その日に命名式があり、「イエス」という名前がつけられました。この名前は「救う、救い」という意味で「救い主」のことを指します。当時はどこにでもある一般的な名前でした。清めの期間というのは男の子を産んだ場合は40日間です。この間は外に出ることはできませんから、母親は赤ちゃんの世話のほかは、ゆっくり休むことができました。

 この夫婦は律法に従って、犠牲を捧げました。お金持だったら子羊一頭を捧げなければなりませんでしたが、彼らは貧しかったので、「山鳩一つがい、または、家鳩のひな2羽」を捧げました。(レビ12:6,7,8、)このようにして、男子の初子は、すべて、主に聖別された者となり、主から預かった子どもとして、大切に育てられることになるのです。

 

2.シメオン

ヨセフとマリヤがイエスを連れて、エルサレムの神殿にやってきた時、彼らは不思議な老人に出会いました。祭司ではありません。律法学者でもありませんでした。しかも、年をとった老人でした。彼はエルサレムに住んでいるシメオンという人でした。この人は神の前に正しく歩んでいる敬虔な人でした。そして、イスラエルが慰められるのを長い間、待ち望んでいた人でした。「イスラエルが慰められる」とは「イスラエルが救われること」と同じだと考えられます。大事な言葉があります。「聖霊が彼の上にとどまっておられた」のです。シメオンは聖霊に満たされた人でした。創造主訳は「聖霊に満たされていた。」と訳されています。その彼がお告げを受けていたのです。「救い主であるキリストを見るまでは、決して死ぬことはない。」というお告げでした。預言者マラキの後、主の御降誕まで、聖書の神は沈黙されています。ですから、シメオンが聖霊に満たされて、お告げを受けていたということは特別なことだと思います。それに、シメオンは普通の信徒です。特別に祭司の仕事をしているわけではありません。神の御計画はただ、神の前に正しく歩む人を選んで進められるのです。特別な人ではありません私たちも同じです。神様は、普通の私たちを用いて、神の御計画を進めて行かれるのです。もし特別なこととして言えるとしたなら、それは聖霊の御臨在です。聖霊の導きです。

 

シメオンはきっと「私の生きる目的や意味を教えてください。」と祈ったことでしょう。そして、聖霊に教えてもらっていたことは、「メシアに出会う、救い主を見る」ことでした。シメオンが御霊に感じて、神殿に入ると、ちょうど、幼子イエスを抱いていたご両親が宮に入ってきたのです。これこそ、大きな神の御計画でした。御計画なしには出会うことはありません。

 

シメオンにはすぐ「この方こそ、救い主であること」がわかりました。シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえました。神殿にはたくさんの人がやって来てお祈りをしています。お祭りのようなものです。そのような人ごみの中で、幼子を連れた両親に出会い、その幼子が救い主だとわかるというのは聖霊の導きです。シメオンは本当に聖霊に満たされていました。

 幼子を抱くと彼は神をほめたたえました。両親は彼の口から出る言葉に驚きました。

(ルカ2:29~32)「2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

 2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。

 2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

 2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」

 

驚いた一つの事は、「救い主に出会った、だからもう死んでも良い、思い残すことはない。」と告白していることです。皆さんの中には「孫を抱くまでは死ねない。孫を抱いたから、もう安心だ。」という人もいるでしょう。シメオンは何時来られるかもわからない救い主をずっと待ち続けてきたのです。そして「救い主を見るまでは死なない。」というお告げを固く信じて、主の宮で待っていたのです。ですから、この救い主と出会った喜び、満足感は言葉では言い表すことのできないものでした。

「2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、

 2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」この言葉は、まだ成就したわけではありませんでした。十字架もまだ、復活もまだの時です。救いの業は今始まったばかりでした。しかし、シメオンは救いの業の完成を霊の目で見たのです。この救いはすべての国民の前に備えられているものです。それはユダヤ人も、異邦人も救われるという意味です。先に異邦人に福音が届けられ、後にイスラエルが救われるという、その時も来ていませんでしたが、それらの全部を霊の目で見たのです。あるいは、神の言葉が臨んで、そう告白させたのかもしれません。どういうことかわからなくても、神の言葉が臨む時、預言者はその通りに語るからです。イスラエルの民族的救いはイエス・キリストの地上再臨の前です。イスラエルが救われて、「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」(マタイ23:39)と祈る時、イエスキリストの再臨が来ます。

 

私たちは主の再臨を待ちわびている時代にいます。主の再臨の前の異邦人にリバイバルがおこる時代に生きているのです。日本にも間もなくリバイバルがおこるでしょう。私たちは収穫の準備をしなければなりません。

 

シメオンは両親を祝福します。そして、母マリヤに真実を告げました。マリヤの心を喜ばせるためではありません。マリヤに心の覚悟を決心させるためです。

「ごらんなさい。この子は、イスラエルの民を2つに分けてしまいます。ある者は信じて救われ、ある者は信じないで滅ぼされるでしょう。また、必ず、反対する者が起こるでしょう。この子のために、あなたは刀で胸が刺し貫かれるような思いをしなければなりません。そのことは覚悟しなければなりませんぞ。それは、この子の事件によって、人々の心の奥底にある思いが、はっきり現われてくるようになるのです。」刀で胸を刺し貫かれる、それは十字架の時を指していましたが、この時は、どういうことかわかりませんでした。

マリヤはこれらのことをすべて心に留めて、この幼子の成長を見守り、育てるのです。そして十字架の時も、イエスのそばに立って、我が子イエスの苦しみを一緒に味わっていました。

 

3.アンナ

シメオンとマリヤたちが出会った時、そこに女預言者アンナという人がいました。この人は非常に年をとっていて、84歳になっていました。女やもめでした。長い間、昼も夜も、断食と祈りを持って創造主に仕えていた人です。イエスと両親が清めのために主の宮に来られた時、ちょうど彼女もそこにいて、創造主に感謝を捧げました。そして、救い主を待ち望んでいるイスラエルの人々に、この幼子こそ、救い主だと語りました。

アンナは主にこの幼子と出会ったことを感謝しました。主をほめたたえました。そしてそこに来ていた人々にこの子は救い主だと伝えたのです。

 

4.主の恵みを抱いて、主をほめたたえよ

 このエルサレムの神殿にご両親がイエス様を連れて、清めの捧げものを捧げに行った時、二人の老人に会いました。二人とも祭司でも律法学者でもありません。普通の信徒たちでした。しかし、ほかの人たちと違っていたことは、主を礼拝することに熱心な人たちでした。祈りの人です。

シメオンは正しい敬虔な人で、聖霊に満たされていた人でした。預言者アンナもまた、断食と祈りを持って、創造主に仕えていた人です。二人とも聖霊に満たされていた人でした。シメオンは自分の手で救い主を抱きました。この上もない幸せなひと時だったことでしょう。きっとアンナも抱かせてもらったかもしれません。彼女もまた、預言の霊に満たされて「この子は救い主です。」と周りの人々に伝えました。シメオンよりアンナの方が有名だったのではないかと思います。だから、アンナの登場で、シメオンは確信を得たのだと思います。

 私たちも祈り、待ち望んでいたことが実現したら、どんなに嬉しいことでしょう。霊的に満足します。

今年、皆さんはどんな恵みをいただいたでしょうか。礼拝後の証の時、ぜひ、分かち合ってください。それは、主をほめたたえることです。証は礼拝になります。

幼子イエス様のことを考えながら、私たちは主がくださった恵みを抱きしめて、主をほめたたえましょう。

そして、主イエスは救い主であることをほかの人々に伝えましょう。

 今年、感謝したいことは2つあります。一つは教会の屋上の防水工事ができたことです。この工事によって、雨が降り込まなくなりました。今まで、大雨の時は急いでカーテンを窓から離して置かなければ、びっしょり濡れていたからです。これが雨漏りだとは知りませんでした。今では、大雨や台風でも大丈夫になりました。ハレルヤ!

 もう一つは8月にアグローの賛美礼拝に参加して、霊的な解放が与えられました。聖霊に満たされると聖霊が感情を支配してくださるということを経験しました。そして、自分では自制できないことでも、いつの間にか、克服できていることがあるということを経験させられました。ですから、聖霊の深い臨在のある所に身を置く、そういう所で時間を過ごすということが大切だと思いました。皆さんも、聖会などにはできるだけ積極的に参加されることをお勧めいたします。聖霊に満たされて成長して行きましょう。

主をほめたたえます。

 


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