阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

すべてのことについて感謝しなさい。

2017-02-11 21:06:13 | Weblog

題名:「全てのことについて感謝せよ!」

御言葉:第1テサロニケ 5:16~18

説教者(李デューヒョン牧師)

 

①いつも喜んでいなさい。

②絶えず祈りなさい。

③全ての事について、感謝しなさい。

これがキリストイエスにあって、神があなた方に望んでおられることです。(第1テサロニケ5:16~18)

 

こんな話があります。一頭の獅子(ライオン)の喉に骨が刺さった話です。困った獅子は,そばを通った兎と鹿に頼みました。「これを取ってくれないか!」しかし兎と鹿はすぐに断ったのです。ところが、そこに一羽の鶴がやって来ました。僕の喉に刺さっている骨を取ってくれないか?お返しはたんとするよ!」と。その時、そばで見ていた兎と鹿はすぐに鶴の方を向いて叫びました。「やめろよ、あの獅子の言うことを聞いちゃダメだよ!きっと騙されるから…」と。然し苦しみ悶えている獅子を可哀想に思ったその鶴は、長い首をその獅子の口の中に入れて、引っかかっている骨をきれいに取ってくれたのです。 しかしすっきりしたにも関わらず,その 獅子は案の定知らんぷり。不思議に思った鶴は尋ねました。「さっきのお返しはどうしたの?」すると獅子はこういうのです。「何だと􀔃􀅋!?􏿿さっきお前が俺の口の中にいた時に、お前を飲み込むことも出来たのに,それだけでも有難いと思えないのかー!」と怒鳴り出したのです。兎と鹿はそら見ろ!あいつはあんな奴だ。初めから恩返しするつもりなんか,これっぽっちも考えてないんだ!」と。鶴はこの2匹の言うことが正しかったと悟り、羽を広げて空に飛んでいきました。

 さて、世の中は同じです。困っている時の神頼みのように助けを求めますが、 上手く事が解決すると、“喉元過ぎれば熱さ忘れる”という事に! 実は世の人、人間は同じ様に、受けた恩や感謝を忘れて生きています。

 この聖書の中に出てくるパウロ先生は、三つの事を勧めてこう言ってます。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について、感謝しなさい。」と!イエス様の十字架は私達の罪を救うためです。またその三日後に起った復活は、死の滅びから永遠の生命を,天国の生命を私達に与えるためなのです。 

①いつも喜んでいなさい。

韓国には沢山の教会があり、 クリスチャンがおります。さてそこに、お金持ちと貧しい人がおりました。お金持ちと貧しい人の家はご近所同士でした。お金持ちは家も、車も、 服も物もみんな豪華で揃っていましたが、何時も不平文句が一杯で、夫婦喧嘩も絶えませんでした。一方貧しい家は、家も古く、車もなく、着る服も物も余りありません。しかしいつも仲良く明るく暮らしていました。不思議に思ったその金持ちは、ある晩こっそりその家のそばまで行来ました。すると何と笑い声が、歌声が、そして祈りの声まで聞こえて来るではありませんか?不思議に思ったその金持ちは、もうじっとして居られなくなり,戸を叩き始めました。「トントン、今晩は!」  すると静かに戸が開きました。「どなたですか?」と。尋ねると「私は近くに住む者です。ここを通ると笑い声や歌声が聞こえたので,何があるんだろうと思い,立ち寄りました。」すると貧しい家の主人は「こんな家ですが、どうぞ中にお入り下さい。」と。そして言われるがままに、中に入りました。みすぼらしい家具や道具が、置いてありましたが、お膳の上には聖書と賛美歌が置いてありました。「これは何ですか?」と尋ねると、「はい、 私たちはクリスチャンで、今夫婦で家庭礼拝をしていたのです。」そしてイエス様の話をしました。そして宜しかったら来週一緒に教会の礼拝に行きませんか?勿論その金持ちは、二つ返事をし,それから聖書の神様の事を聞き,交わりをして行くうちに、救い主を受け入れ罪赦され,神を信じクリスチャンとなり、心に喜びと平安を頂き、不満から開放されたのです。

 聖書をたくさん書いたパウロ先生は、どうしてその様に書いたのでしょうか?その当時、今から2千年も前の事ですが、イエスキリストを信じているクリスチャン達を迫害する為、ダマスコの途上に来た時、突然天からの光が彼を照らし、サウロ、なぜ私を迫害するのか?サウロが「主よ、 あなたはどなたですか」と言うと「私は、あなたが迫害するイエスである。」 との声を聞き,その強い光の為目が見えなくなった彼は手を引かれダマスコへ。三日の間目も見えず、 飲み食いもせずにいた彼の所に,主に導かれ遣わされたアナニヤという弟子が来て,彼に手を置くとサウロの目からうろこのような物が落ち、目が見えるようになり、バプテスマを受け元気に。それから彼はクリスチャンとなって異邦人、王達、イスラエルの子孫達に、 主の選びの器として,キリストの福音を大胆に伝え歩く異邦人の使徒として宣教師として一生を主に献げ用いられたのです。(使徒9:1~19参照)

 

②“絶えず祈りなさい。”

これは神に頼り,祈れということです。赤ん坊のいる母親は料理をしている時、赤ちゃんが泣きだしたらどうしますか?私、料理で忙しいのッ!と言ってほっときますか?いいえ、そうではありません。赤ちゃんの側に行き,オムツが濡れているのか、お腹が空いたのか、赤ちゃんの様子を見て、おしめを取り替えたりミルクを飲ませたりしますよね。同じように私達を造られた神様は,祈り、泣き、叫ぶ私たちの声に聞いてくださるお方です。祈りはとても大事です。聖霊の力を頂けます。しかしこの世はサタンの攻撃が、横行しています。クリスチャンの祈りや信仰の邪魔をしに来ます。

イエス様が十字架に掛けられる前にゲッセマネという所に来て、弟子達に目を覚まして、祈るように命じました。 しかし弟子達は一時間でも目を覚まし、イエスと共に祈れなかったのです。「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい!」と聖徒の私達にも命じておられます。

③“ 全ての事について感謝しなさい。”

ドイツであったお話をしましょう。今から100年前、革靴を持っていた男性が居ました。彼はクリスチャンだった様で、土曜日に宿に泊まり、翌日近くの教会で礼拝を守ろうと思っていました。そのためにお気に入りの革靴、ー当時は高級でなかなか手に入らず、履いている人は稀(まれ)でした。その皮靴を前の晩からピカピカに磨き,教会に履いていくのを楽しみにして、その晩休みました。翌日朝になって、さぁピカピカの革靴、だれも持っていないその革靴を履く期待も膨らみ、下駄箱に取りに行くと、あらまぁ何と置いてあるはずの革靴が無いではありませんか?!宿の主人に捜させても、見つからず仕方無く自分の友達を呼んで、代わりの靴を履いて出かけました。教会に着いて礼拝の時間を待っている時から、 その紳士はあの盗まれた靴のことばかり考えています。あの靴は高くて良い靴なのに、誰が盗んだのか!断りもなくあの革靴を持って行くとは!と礼拝中ズット頭の中は靴のことだらけ!礼拝の御言葉も入らず、祈りも入らず、もういらいらが頭の頂点に登るだけ。そして辺りを見廻すと、誰かが 賛美をしているのに目が止まりました。 彼を良く見ると、驚くべきかな、脚がないのです。それも両足揃って…その時その紳士は盗まれた革靴のことばかり考えていて、自分の脚がある事を忘れていたのです。とても恥ずかしくなりました。あの青年は両足がないのに、主の御前で感謝の心を持って賛美し生きていることを、目の当たりにしたのです。紳士は主のみ前に祈り,悔い改めました。そして、その後、靴を盗まれた紳士は何になったと思いますか?ドイツ国の財務長官に選ばれたのです。

最後にこの話をして終わりにしたいと思います。私は、フィリピンのろう者の宣教をしている韓国人の宣教師の所に出かけました。その宣教師の教会員宅を訪問して大変驚きました。何故なら,そのろう者四人家族の家はとても小さくて畳一条半ほどのスペース。そこに汚れたベッドと台所、茶ダンスと本箱が一緒でした。食べ物はと言うとご飯にコーラを混ぜて食べているとの事。それでもなおニコニコしていました。

この皆さんの日本の暮しも,食べ物も豊かですね。私は、お寿司が大好きですが、寿司とともに赤だし、みそ汁、 茶碗蒸しなどを選んで色々、食べます。韓国も食生活も暮しも豊かになりました。あのフィリピンのろう者たちの生活から比べたら天国です。しかし、聖書でパウロ先生は言っています。「全ての事について感謝しなさい!」と。苦しくても、辛くても、どんな困難の中にいても感謝を持ってください!勝利します。皆さん,信仰を持って勝利しましょう。アーメン!   (2017年2月5~6日)

 徳島県阿南市の阿南神召キリスト教会にて(文責:長澤久美子宣教師)

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