阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

わたしの平安を与えます。

2017-05-05 22:00:23 | Weblog

2017.4.30.わたしの平安を与えます。

聖書 ヨハネ20:19~31

題  わたしの平安を与えます。

 

暗唱聖句 ヨハネ14:27

「 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

 

はじめに

主イエスは、週の初めの日に復活されました。聖書には、復活したイエス様が現われてくださったと、10回記録しています。復活の当日に5回、そしてその後40日間の間に5回です。10回出現されたのはいつか、確かめてみましょう。

①    マグダラのマリアに(マルコ16:9~11)

②    女たちに(マタイ28:8~10)

③    エマオの途上の2人の弟子たちに(ルカ24:13~32)

④    ペテロに(ルカ24:32)

⑤    トマスを除いた使徒たちに(ヨハネ20:19~25)

⑥    トマスを含めた使徒たちに(ヨハネ20:26~31)

⑦    ガリラヤ湖畔で7人の弟子たちに(ヨハネ21章)

⑧    500人以上の信者たちに(1コリント15:7)

⑨    ヤコブに(Ⅰコリント15:7)

⑩    オリーブ山で使徒たちに(使徒1:3~12)

 

今日は⑤、⑥の使徒たちに現われたイエス様のお話です。5回目と6日目は一週間間隔があいています。どんなにイエス様の出現が待ち遠しかったことでしょう。

 

1.復活のイエス様の出現

(ヨハネ20:19~20) 

 「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』

 20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。」

日曜日の夜のことです。エルサレムのある場所で、弟子たちは食事のために集まっていました。おそらく2階座敷で集まっていたのでしょう。クレオパともう一人の弟子もエマオから急いで帰ってきました。それは復活された主イエス様に出会ったからです。その証を聞いたばかりの時、イエス様が現われてくださったのです。イエス様が皆の真ん中に立って、「シャローム、アレイヘム。あなた方の上に平安がありますように。」とあいさつをされたのです。部屋は鍵がかけてあり、誰も入ってくることができないようにしてありました。ユダヤ人の指導者たちが彼らを探して、逮捕しようとしていたからです。弟子たちは自分たちも十字架の刑にされるのではないかと恐れていました。鍵がかかっていたにも関わらず、イエス様は入って来られました。

イエス様の復活のお身体は私たちの身体とは違って、どこにでもはいったり出たりできる身体でした。しかし、私たちと同じように肉体があり、生きておられた時の特徴を見ることができました。イエス様は手の釘あと、脇腹の槍の傷を弟子たちに見せられました。

 

(ルカ24:36~43)

「24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。

 24:38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。

 24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」

 24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。

 24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、

 24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。」

弟子たちはイエス様を見て、喜びましたが、最初は幽霊ではないかと恐れました。イエス様は弟子たちの不信仰を優しく叱りました。それは復活のイエス様を見たという人たちの証を信じることができなかったからです。見たという人たちは、ここまでの間に女の人たち、クレオパとその友人、ペテロがいます。

イエス様は自分の手と足を見せて、霊ではなく肉体を持っていることを示されました。それでも、彼らは信じることができませんでした。嬉しさはありますが、イエス様を見ても信じられなかったのです。イエス様は、肉体を持っていることを示す為に、焼いた魚を召しあがられました。

 イエス様はもう一度「シャローム」といい、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言って、弟子たちにイエスの権威を授け、派遣することを宣言されました。

 

2.トマスの信仰とイエス様の愛

さて、12弟子の一人であった、トマスという弟子はイエス様が来られた時、そこに一緒にいませんでした。それで、トマスに出会った時、「私たちは主に出会った」と言いました。しかし、トマスは信じることができずにいました。

ヨハネ20:25「それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た』と言った。しかし、トマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言った。」

 

このことがあってから8日が過ぎました。弟子たちは相変わらず鍵をした部屋の中にいました。そこへイエス様が来られたのです。

イエス様は「シャローム」と言って、彼らの中に立たれました。そして、トマスに向かって言われたのです。

「それからトマスに言われた。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』」

 

イエス様はトマスの言葉を聞いておられたのです。まっすぐ、トマスの疑問に答えておられます。それだけで十分説得力がありました。おそらく、手の傷跡を見るまでもなく、目の前におられるイエスさまをみて、大満足だったと思います。

トマスはイエス様を見て、イエス様を礼拝したのです。トマスはイエス様が神だとすぐにわかったので、礼拝しました。イエス様はトマスの不信仰を赦して、トマスの礼拝を受け入れてくださったのです。イエス様はトマスを受け入れてくださいました。イエス様は私たちの不信仰も赦し、受け入れてくださるのです。

しかし、トマスのように疑ってばかりいると、真理を見失います。科学者でも見えないものや触れることが無いものを信じています。

イエス様は言われました。「あなたはわたしを見たから、信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」この言葉は有名ですね。覚えましょう。

 

3.ヨハネの福音書を書いた目的

30~31節にはこのヨハネが福音書を書いた目的が書かれています。ヨハネの福音書は、20章で終わりでしたが、21章が後で追加されたのです。

 ヨハネの福音書はマタイ、マルコ、ルカの福音書の後で書かれました。ヨハネはこの3つの福音書、共観福音書に書いてある奇跡をよく知っていました。これらの四福音書には35の奇跡が記録されています。ヨハネはその中から7つの奇跡(しるし)を選んで、記録しました。現代人は奇跡を信じない人が多くいます。そして合理的に説明しようとします。しかし、イエス様の時代には実際に多くの奇跡が起こされ、弟子たちは、数多くの奇跡を見て、イエス様を信じたのです。

ヨハネがこの福音書を書いた目的は2つです。

①      イエスが神の子キリストであることを信じるため。

②      信じて、イエスの名によっていのちを得るため。

 

4.結論

①           信じない者にならないで、信じる者になりなさい。

イエス様は「見ずに信じる者は幸いです。」と言われました。トマスも含む使徒たちは、全員が復活されたイエス様を見たので信じました。イエス様は、私たちの信仰を励ます為に、私たちがわかるようなところまでへりくだり、降りて来て、信仰の体験をさせてくださる事があります。トマスの体験は、主の恵みにより、主が近づいてくださった良い例です。

イエス様は言われました。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)

(ヘブル11:1)「 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」「さて、信仰とは将来に起こることを確かなものとしてつかむ手であり、まだ見ていないものの確実な証拠を見る目である。(2節)創造主を信じた昔の人々は、この信仰によって良い評判を得た。」(創造主訳ヘブル11:1~2)

 

②わたしの平安を与えます。

イエス様は復活後弟子たちに現われた時、「シャローム、アレイヘム(平安があなたがたにあるように。)」と、19節から31節の短い間に3回も「シャローム」と声をかけておられます。シャロームは普通の日常的なあいさつです。しかし、イエス様は生前、特別なことを約束されました。(ヨハネ14:27)「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなた方は心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」と言われました。ここにある平安は死を打ち破り、永遠に続く平安です。困難があっても、苦しみがあってもこのイエス様が与えてくださった平安、「イエス様の平安」は、だれも取り去ることができません。復活の主は特別にこの平安を持って一人一人を祝福されたのです。恐れおののいている弟子たちに、愛と平安を持って、現われてくださったのです。「わたしの平安を与えます。」という言葉はなんと力強い言葉でしょう。

 

(ヨハネ16:33)

「 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」世とはサタンの支配の世界のことです。この世界を主イエスは十字架の死によって打ち破り、打ち勝ってくださいました。そして、よみがえられたのです。誰にも縛られない、自由、解放があります。

 

イエス様が私たちと交わりをされる時、「シャローム」と声をかけ、この特別な平安を与えてくださる事を信じましょう。目には見えませんが、主は私たちと共におられるのです。イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちは神との平和、和解を持っています。この和解によってもたらされる平安こそ、イエス様が言われる「わたしの平安」なのです。この平安を単純に信じて受けとりましょう。主の愛の恵みによって、平安をいただくことができるのです。どんなに不信仰なものであっても、悔い改めて、主を礼拝するならば、主はトマスのように受け入れてくださいます。心から主をほめたたえ、礼拝いたしましょう。

 

 

 

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