阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

罪からの救い主、イエス

2016-12-13 21:44:16 | Weblog

2016.12.11.罪からの救い主、イエス

聖書 マタイ1:18~25

題  罪からの救い主、イエス

暗唱聖句 (マタイ1:21)

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

はじめに

 昨日、子供クリスマス会を開きました。この頃の子どもたちは、いろんなイベントがあって、とても忙しく、なかなか、教会のイベントに来ることができません。いつも来ている子供たちはそれぞれに用事があると連絡してきました。そんなわけで、半分、全滅かなと思っていました。でも、みんなに祈ってもらったので、子供たちを送ってくださると半分信じて、クリスマス会を迎えました。すると、英会話教室の子供たちが2人、来てくれました。「友達と遊ぶ約束をしていたけど、こっちの方が楽しそうだと思って来ました。」と話してくれました。おうちのおばあさんが車で送ってくださったそうです。日頃、英会話を教えて、がんばっている先生たちへのクリスマスプレゼントですね。静かですが、楽しいクリスマス会を開くことができました。主は素晴らしいお方です。私たちが失望しないように励ましてくださいます。

今日はクリスマスメッセージの2回目です。

今日は夫ヨセフの決断です。

1.イエス様は私たちの救い主

マリヤはヨセフと結婚する約束をしていました。しかし、2人が一緒に生活を始める前に、マリヤのお腹に赤ちゃんが宿りました。マリヤは聖霊によって赤ちゃんが宿ったことがわかっていましたが、ヨセフにはわからなかったので、ヨセフはとても悩みました。ヨセフはマリヤを疑いました。しかし、彼女を愛していました。当時のイスラエルの法律にはこのように書いてありました。

(申命記22:23,24)

「ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、 あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」

当時のイスラエルでは婚約は結婚と同じようにみなされていました。ですから、ヨセフは本当に悩みました。そして、最終的には密かに離縁しようと考えたのです。マリヤを愛していたヨセフはマリヤが石で殺されるようなことにはなってほしくなかったのです。彼はマリヤの命を救おうと思い、密かに別れようと考えました。

このように思い悩んでいる時、ヨセフは夢を見ました。ヨセフの夢の中に天使が現われました。天使は、ヨセフに神からの特別な言葉を伝えるために、夢の中に現われたのでした。

(マタイ1:20,21)「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

 1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。』」

天使はヨセフに、マリヤの赤ちゃんが救い主であることを知らせました。「イエス」という名前は「主は救いである。」という意味です。そして、イエス様は、私たち人間を「罪から救ってくださる方」であると言いました。

2.私たちは罪を解決することはできない。

天使はイエス様の事を「罪から救ってくださる方」と言いました。「罪」とはいったい何でしょうか。「罪」というのは神に喜ばれないことです。犯罪は目に見える形の罪です。犯罪を犯せば、法律で裁かれます。犯罪のように法律で罰を受けなくても、私たちの心の中に住む自分ではしたくないこと、自分では考えたくない事を思うこと、それが罪です。聖書は教えています。

ローマ7:15「 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」

(ローマ7:17~20)

「ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。

 7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

 7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

 7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

 7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。」

(ローマ7:24)「 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」

ギャンブル依存症の方がこんなことを言っていました。「私はパチンコが楽しくてやっていたのではありません。泣きながらやっていたのです。ただ、私の身体がパチンコ屋に向かって走り出すのです。自分は止めたいのに、止められなかったのです。」この状態を罪に縛られている状態と言ってよいでしょう。

私たちがやりたくない悪いことを考えたり、やったりするのは、罪に縛られているからです。その罪のために、思った通りの良いことをすることができません。私たちは、自分の力では、罪から自由になることはできません。私たちには「罪から救う」救い主が必要です。

 

3.イエス様は私たちを罪から救うことができる。(ローマ8:1~6)

神は私たち人間が罪に縛られていて、救い主が必要であることを知っておられます。そのため、神は私たちを救うためにイエス様を遣わしてくださいました。イエス様は私たちの内から罪を取り除いてくださいます。また、イエス様は私たちを罪の力から自由にしてくださって、悪いことをしなくてもよいようにしてくださいます。それだけではなく、私たちはイエス様の力で良いことをすることができるようになります。それはイエス様の内にある聖霊の力が私たちにも与えられるからです。

4.結論:イエス様を信じて、罪から救っていただきましょう。

 イエス様は救い主です。 イエス様の名前の意味は「救い」です。そして、もう一つの名前は「インマヌエル」で、イザヤ7:14の預言の成就です。イエス様は十字架にかかって死なれただけでなく、3日目によみがえって、今も生きておられ、私たちと共にいてくださいます。インマヌエルの神は昔いまし、今いまし、またもう一度来られるお方です。

 この罪からの救いをとても簡単にわかりやすく、教えている絵本に出会いました。クリスマス・ストーリです。それは三浦綾子さんの「したきりすずめのクリスマス(ISBN978-4-907233-05-1C0793)」です。舌切雀は日本の昔話の中に入っていますね。有名な話です。その舌切雀に三浦綾子さんが考えたストーリをつけ加えて、楽しいクリスマス・ストーリになっています。英語の訳が一緒に書いてあり、みなみななみさんの絵も優しさに溢れ、心がいやされます。少し、紹介します。

 1羽の雀がおばあさんののりを食べてしまって、舌を切られてしまいます。雀は雀のお宿に帰ったきり、帰ってきませんでした。心配したおじいさんはその雀を探しに行きました。おじいさんは雀のお宿に迎えられ、市民クリスマスを一緒に楽しくお祝いしました。帰りにお土産をいただきました。「重いつづらと軽いつづらはどちらがいいですか」と聞かれ、おじいさんは軽いつづらを選びました。そして、おうちに帰ったのです。家に帰って、おばあさんに雀のお宿であったことを話し、お土産の話をしました。「重いつづらと軽いつづらがあったけど、軽いつづらを選んだよ」と話しました。すると、おばあさんは怒ってしまいました。おじいさんは知らん顔して、つづらを開きました。すると一冊の本が出てきました。「聖書」と書いてありました。おじいさんは「聖書?聞いたことのない本じゃ。珍しいのう。」と言いました。おばあさんは「本、本なんて、トイレットペーパーにもならない。」と言い、「私が行って重いつづらをもらってきます。」と言いました、お爺さんは「そんな恥ずかしいことをしないでおくれ。」と言いましたが、おばあさんはさっさと出かけてしまいました。

 そして、雀のお宿についたのです。雀たちはおばあさんを歓迎しました。しかし、おばあさんは「つづらをください。それだけで良いから。」と言って、挨拶もそこそこに欲しいものだけを要求しました。雀たちは「重いつづらと軽いつづらはどちらがいいですか。」と聞きました。おばあさんは「舌切雀のおばあさんは重いつづらに決まっています。重いつづらをください。」と言いました。おばあさんはその重いつづらを背負って山の中を歩いて帰りました。大変重くて時々休まなければなりませんでした。でも、金銀がザクザク、5億円ぐらいあるかもしれないと思ったら、気持ちがワクワクしてきました。途中で、とうとう、待ちきれなくなり、中身を開けてみようと思いました。

さあ、何が出てきたでしょう?

 

お化けです。おばあさんは「たすけて~」と叫びました。

「おばあさん、どうしましたか。」「助けてください。お化けが・・・」

「おばあさん、よく見てください。あれはお化けではありません。あれは、あなたの心の姿です。」

「何だって、あれが私の心?私の心があんなに恐ろしい姿をしている、じょうだんじゃない。」

「そうです。じょうだんではありません。」

「この3つ目小僧をごらんなさい。これは欲張りの心です。目は二つで十分なのに、3つもあるでしょう。あなたは欲深くありませんか。」「よくは深くない。でも重いつづらをもらってきたので、よく深いかもしれない。」

「つぎの口裂け女は、いじわるの姿です。いじわるした覚えはありませんか。」

「はいあります。雀の舌を切りました。」

「次の焼きもちのおばけは、やきもちの心の姿です。」

「わかりました。申し訳ありません。私は本当に悪い女です。やきもちやきでおこりん坊です。だから雀の舌を切りました。ああ、やっと気が付きました。私がどんなに悪い恐ろしい心の人間か、今やっと気が付きました。私は何と罪深い恥ずかしい人間でしょう。」「どうぞ、お許しください。今から心を変えます。」

「いいえ、あなただけが罪深いのではありません。大人も子供もみな同じです。自分だけ良ければよい。自分の家族さえ幸せなら良い。人より少しでも良い学校に入りたい。出世したい。お金がほしい。自分より優秀な人間が憎い。重いつづらと軽いつづらを出されたら、誰もかれもが重いつづらをもらいたいと、思う人ばかりです。皆さん、そうではありませんか。」

「ところで、あなたはどなたですか。」

「わたしはイエス・キリストです。」「聞いたことのない名前ですが、ご商売は何ですか。」

「人をつみの重荷から救うのが仕事なのです。人の罪を代わって背負って、救ってあげるのが仕事なのです。」

「私の重い罪のつづらも背負ってくださいますか。」

「もちろんあなたの代わりに背負ってあげますとも。すべて重荷を負っている者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。罪を悔い改めた人は、みんな救われるのです。」「わたしは人の罪を背負うためにこの世に生れました。」

おばあさんが悔い改めると、イエス様はおばあさんの罪を赦して下さいました。他に人殺しや子供たちが出てきて悔い改めました。悔い改めた人はすべてイエス様の友達になりました。

そこへ、お爺さんがやってきました。「イエス様、今日はあなたのお誕生日のお祝いをしましたよ。私はおばあさんのように悪いことをしたことはありません。欲深くも無く、意地悪でもありません。私は何一つ、罪を犯したことも無く、正しく生きてきました。」

それを聞いたイエス様は悲しそうに言いました。「世界中探しても、誰ひとり正しい人はいません。」

おじいさんは言いました。「しかし、わしがおります。昔から舌切雀のおじいさんは良い人じゃとみんなが言います。まるで神様みたいだと。・・・」

イエス様は「後ろを見てごらんなさい。」と言いました。

おじいさんがふりかえってみると、なんと大きな天狗のお化けが立っているではありませんか。

「これがあなたの本当の姿です。ごうまんの姿です。この罪はおばあさんの罪よりも大きいものです。」

・・・「罪が大きい?・・・無茶な。」「・・・・・・わかりました。私は長い間一緒に生きてきたおばあさんをバカにしていました。おゆるし下さい。」

すると、天狗のお化けもイエス様が背負った大きなつづらの中に吸い込まれて行きました。

イエス様はみんなの罪の入ったつづらを背負って、雪の坂道を上って行かれました。すると不思議な光景が見えてきました。十字架です。イエス様がつけられた十字架が見えました。いったいどうしたことか?

「それは、私たちの罪のためです。本当は世界の人々が自分の罪のために十字架にかかるはずでした。けれども、イエス様が代わって十字架にかかってくださったのです。この事は聖書の中に詳しく書かれています。おじいさんがもらった聖書こそ、私たちに本当の幸せをもたらす、この世で一番の宝物だったのです。」

「本当にありがたいことです。今日は、そのイエス様がお生れになったクリスマスなのです。イエス様は、私たちを救うためにこの世に来られたのです。自分たちの罪を思い出して心から悔い改めてお祈りしましょう。」

「クリスマスおめでとうございます。みんなで、キリストのお誕生をお祝いして歌いましょう。」

「歌いましょう。」「歌いましょう。」「歌いましょう。」              

 

 

 

 

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