阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

復活されたイエス様

2017-04-20 18:00:20 | Weblog

2017.4.16.復活されたイエス様

聖書 ルカ24:1~12

題  復活されたイエス様

 

はじめに

 今日はイースターです。イースターというのは「イエス・キリストが十字架の上で死んで、墓に葬られ、3日目によみがえられた、復活された」ということを記念してお祝いをする日です。世界中のクリスチャンが「ハッピー・イースター、イースターおめでとう」と言って喜ぶ日です。クリスマスも素晴らしいのですが、クリスマスよりももっと素晴らしいのはこのイースター、復活祭です。なぜなら、最初の人間、アダムとエバがもたらした罪のすべての呪いから解放してくださったからです。アダムとエバは人間の人生に死をもたらしました。しかし、イエス様は死から復活し、死に勝利をしてくださったからです。永遠の命を取り戻してくださいました。ですから、この復活祭、イースターはクリスチャンにとって最も重要な祝日なのです。

 

1.イエス様の十字架の死

 イエス様は33歳で十字架にかかって死ぬために生れて来られました。「十字架にかかって死ぬ」というのは創造主なる神の御計画だったからです。それは私たち人間の罪を赦して、ご自分の子供にするためでした。イエス様を信じた者は神の子どもです。素晴らしい身分をくださいました。特権です。信じられますか。

そんなわけで2000年前、一番苦しみながら死ぬという十字架の刑にイエス様はつけられました。両脇に二人の犯罪人が共に十字架につけられました。一人はイエス様をあざけり、一人はイエス様を神だと認め、救われました。

イエス様は、最後に「完了した。父よ。我が霊を御手にゆだねます。」と言って息を引き取られました。朝の9時から十字架につけられ、午後の3時には息絶えておられました。とても早く死なれたのです。これはめぐみでした。普通は3日から7日ぐらい苦しむそうです。その日は夕日が沈むと同時に安息日になる日でした。しかも過ぎ越しの祭りと重なった安息日だったので、罪人をそのままにしておくことはできませんでした。そこで、早く、息を引き取らせることになったのです。そこで、兵士が2人の犯罪人は足のすねを折りました。イエス様はその時もうすでに死んでおられたので、足のすねを折る必要はありませんでした。

ここで質問がありました。「どうして、足のすねを折ったらすぐ死ぬのか」どうしてでしょうか。

十字架の上に釘をつけられている時、足には踏ん張る力がありました。足に力を入れると息を吸い込むことができました。そうして呼吸を継続できたのです。ところがすねを折られると呼吸ができなくなって、息を引き取ったのです。これは罪人にとっては苦しみからの解放であり、めぐみでした。イエス様の足が無事だったのは、早く息を引き取られたからです。これは旧約聖書の預言の成就でした。詩篇34:20「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」

 十字架の刑が終わった時、アリマタヤのヨセフという人がイエスの遺体を引き取りたいとローマの総督ピラトに願い出ました。そして、イエス様の身体を引き取って、没薬やアロエなどの香料をぬり、亜麻布にくるんで、岩を掘って造った新しい墓に納めました。入口には石を転がし、ふたをしました。翌日、さらに祭司長たちの願いによって、墓石には封印がなされ、番兵がつくことになりました。理由はイエス様の遺体が弟子たちに盗まれることのないようにするためでした。ここで大切なことはイエス・キリストは確かに十字架の上で死なれたということです。そして、墓にも完全に葬られました。誰も盗み出すことができないように厳しいローマの番兵までつけられたのです。

 

2.イエスの復活

 安息日が終わったので、マクダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメ、ヨハンナたちはイエス様に油を塗りに行こうと香料を買いました。そして、日曜日の朝早く、日が昇った時、墓に着きました。彼女たちは「あの墓のふたになっている石、どうやったら動かすことができるかしら」と話しながら、歩いていました。ところが墓に行ってみると、あの大きな石はすでに転がしてあり、中に入れるようになっていました。中には言いて見ると、きらきら輝いた衣を着た二人の人が、3人の女の人たちのところに近づいて来ました。3人は恐ろしくなって顔を伏せました。その人たちは言いました。「あなたがたはなぜ生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」と言いました。イエス様はすでに復活されて、墓の中にはおられませんでした。女たちは恐ろしくもあり、嬉しくもありでしたが、急いで帰って、男の弟子たちに報告しました。しかし、彼らは女の言うことを信じませんでした。しかし、ペテロは立ちあがって走って墓を見に行きました。そして中を覗き込みました。亜麻布がそのままになって、もぬけの空になっていました。大変驚きました。

主のみ使いは言いました。「ここにはおられません。よみがえられたのです。」簡単な言葉ですが力強く、よみがえりが伝わってきます。

 

①    復活の事実

イエス様はまだ生きている時、言われました。「わたしはよみがえりです。命です。わたしを信じる者は死んでもよみがえります。」このことが成就したのです。

イエス様は復活されました。これは事実です。誰も打ち消すことのできない歴史的な出来事でした。

②    なぜ生きている方を死人の中に捜すのか。

主のまばゆい人たち、み使いたちは言いました。なぜ、墓の中に生きている人を探すのかと。イエス様はよみがえられて、墓の中にはおられません。エルサレムに「園の墓」というイエス様を葬られたであろうと思われる墓の痕があります。これは聖書の記事によく似た地形をしています。この墓の入り口に「ここにはおられません。よみがえられたのです。」と書いてあります。これを見た時、本当に感動しました。主はよみがえられて、墓の中にはおられない!このことが全身に伝わってきたのです。イエス様は復活されました。

 

③    イエスを信じる者はイエス様と同じ命を持つ。

「イエス様がよみがえられた」と信じる者には同じ復活の命が与えられます。イエス様は人類の罪を背負って、十字架にかかり、死んで3日目によみがえられました。主イエスを信じる者は罪が赦されます。たとい緋のように真っ赤な罪でも、雪のように白くされるのです。なぜなら、イエス様がその罪を背負って死んでくださったからです。死んだだけではなく、死の中からよみがえってくださいました。歴史の中で、死からよみがえった方はイエス・キリストお一人だけです。理論では説明できません。イエス様が神の御一人子だったからです。神様だったからです。

イエス様を信じる者にはこの神の命が与えられます。この命を「永遠の命」と言います。この永遠の命を持つものは「復活の命」を持つものです。

 

④    イエス様は再び来られる。

イエス様は、今は天の御国におられますが、再び私たちの世界に来てくださいます。その時、私たちも復活するのです。なぜなら、復活の命をいただいているからです。私たちには希望があります。死んで終わりではありません。再び、イエス様のように肉体を持って復活する望みが与えられているのです。その時が、終わりの時と言われる今日、まじかに迫って来ているのです。いつかはわかりませんが、その時がやってきます。ちょうどノアの洪水の時のように、やってくるのです。その時は、ある人にとっては裁きの時であり、ある人にとっては救いの時となります。

ヘブル9:27「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」

 

3.召天者記念会

このイエス様の福音を信じて、天に召された人たちが私たちの教会にもおられます。きょうは復活祭なので、一緒に記念会をしたいと思います。パウロ先生は言いました。

 「15:3 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 15:4 また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、(Ⅰコリント15:3~4)」です。「このことを信じていれば救われるのです。私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかり保っていれば、この福音によって救われるのです。」と言っています。この福音を信じて、天に召され、復活の時を待ち望んでおられる人たちのことを思い出し、主がどんなに素晴らしいお方であるかをもう一度思い起こさせてくださる時といたしましょう。

 今年は古川トキエ姉妹(亨年101歳11カ月)が召されて、7年目に当たります。立岩浩二兄が召されて1年が過ぎました。この間、記念会を親戚の方々と共に終えたばかりです。ですから、今日はトキエ姉妹を中心に記念会をいたしましょう。

 

2017召天者記念会のOHPを開く

お祈り

1)召天者の紹介

2)故古川トキエ姉妹の証

古川トキエ姉妹の救いの証し(60歳の時)

「尊き主の聖名を賛美して証しをさせていただきます。

 わたしは40年あまりほかの神様を信仰しておりましたので、どうしても昔のことが忘れられず、一年あまり、時々教会にも、集会にもまいっておりませんが、どうしても心が決まらず、一人苦しんでおりました。そのうちに病気をしたり、大変疲れることもあって、しばらく、教会も休んでおりましたところ、秋のリバイバル特伝に京都の教会から、内村牧師さんを徳島教会にお迎えすることになって、9月19日に水のバプテスマ洗礼式が行われることになったから、わたしにも受けるようにと子供たちにすすめられましたのですが、わたしは迷っていました。まだ一年ほどしかたっていないし、まえの神様のことがどうしても心に残り、どうすることもわたしはできず、9月15日に平野牧師さんがとってもお忙しいところに私はおじゃまして色々とお話を聞かせていただいたあと、私の肩に手を置かれましてお祈りしてくださいました。その時、何かわかりませんが、ただ、身体が上に持ちあがるように感じて思わず知らず、わたしの口から、ハレルヤと声が出たと思います。それから、涙がこぼれました。先生はなおも祈り続けてくださいました。その後、私は胸のかたまりがとけて、身体が軽くなった思いで、バプテスマをうけさせていただく決心がつきました。そして、沖の洲の海岸で平野牧師さんに導かれて、内村牧師さんに水のバプテスマを授けていただき、多くのクリスチャン、先生方の賛美歌の内に洗礼式を授(さず)けていただき、ほんとに感謝いたしております。そのあといよいよ悔い改めて、今は楽しく、無学(むがく)で何もわからないものですが、毎日聖書も少しですが読ませていただき、賛美歌も歌いつつ、ただうれしく、楽しく、毎日を暮らしております。ハレルヤ 感謝です。アーメン。

尊い主イエス様のお名前によって、毎日お祈りいたします。」

 

 トキエ姉妹は小学校の頃、他の兄弟たちの世話をさせられて、学校にいけなかったそうです。字も読めなかったそうです。その姉妹が聖書を読むようになり、日記を書くようになり、祈りの器になり、多くの人々に素晴らしい影響を与えました。昨日、ろう者牧師、郡美矢先生が出演されたテレビ番組(NHK)があったそうですね。トキエ姉はこの美矢先生の日曜学校の先生もしておられたのです。葬儀の時には但馬から阿南まで、わざわざ駆けつけてくださいました。美矢先生は今や新聞、テレビ、週刊誌などに取り上げられるスーパースターです。日曜学校のご奉仕を喜んでしておられたトキエ姉妹の顔が浮かびます。主は私たちを造り変え、用いてくださるのです。

 

3)トキエ姉妹の好きな讃美歌 聖歌588主と共に歩む

4)聖書 Ⅰテサロニケ4:13~18 朗読

5)聖歌623 いつかしらねど(ユーチューブ)

6)お祈り 

7)聖餐式

 

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