新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

医療従事者と患者の対話に関して:この医療をやるには医療従事者が足りない

2017-01-18 20:54:53 | 医療

さて、少し時間があるので記事を追加します。

 

まず、こちらの記事を紹介します。

 

故・川島なお美さんの「選択」に惜しむこと

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170117-00153665-toyo-soci&p=1

東洋経済オンライン 1/17(火) 6:00配信

 

 川島なお美さんが2015年9月24日に胆管がんのために亡くなって、もう1年以上が経ちます。同年12月には、ご主人でパティシエの鎧塚俊彦さんとの共著として『カーテンコール』が出版されました。その本の中には、川島さんがご自分の病気に対して正面から真剣に向かい合ってきた様子が詳細に書かれています。

■「納得のいく」療養生活を続けたことには意味がある

(中略)

 

 悔やむべき点があるとすれば、最初にMRI検査で1.7センチの腫瘍が見つかったときに早く手術を受けていれば、ということです。その決断をしていれば、もしかしたら現在も再発することなくお元気に舞台生活を送ることができていたのではないでしょうか。

 では、なぜ手術に踏み切れなかったのか。闘病記の中には、医師から100%がんであるとの言質を得られなかったから、がんであることを信じたくないから、女優として・楽器としての体に傷をつけたくないから、舞台の仕事を中止できなかったから……など、いくつもの理由が挙げられていました。

(中略)


医師との対話があれば・・・・・・

 渡辺さんの場合、それ以前にも白血病を患った経験があり、夫人の南果歩さんも乳がんの経験があります。こうした経験の中で「患者力」を身につけていたことが、勇気ある決断につながったのかもしれません。医師と十分に対話し、自分の中での優先順位をつけることは、「患者の力」としての大きな要素です。

(中略)

 

「コンコーダンスの医療」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。医療者の間にもまだ十分に浸透していない用語ではありますが、私はこれが、これからの時代に必要な新しい医療のキーワードだと考えています。患者と医療者の関係性を表す医療用語のトレンドは、「コンプライアンス」から「アドヒアランス」、そしてこの「コンコーダンス」へと移り変わってきました。そういっても、多くの方には何が何やらわからないでしょう。そこで、これらの用語の普及に関して、歴史的な変遷をたどってみましょう。

(中略)


アドヒアランス向上のために、たとえば、患者へ病気や治療に関する十分な情報提供を行い、処方の簡便化や剤型の工夫を進め、家族や周囲の人の協力を得るように調整し、患者が持つ固有の服薬に対する不安について一緒に考え、援助することなどが必要となります。

■患者にも努力と責任が要求される

 一方で、患者の側にも、それなりの努力と責任が要求されます。自分の病気について理解し、療養生活や治療についても十分の知識を備え、自ら決定することが要求されるのです。アドヒアランスを重視する医療は、患者がより主体的・能動的になることが要求され、患者側にも責任が生じます。同時に医療者の側も、情報提供などやるべき仕事が増え、それに対する責任も生じるのです。

アドヒアランスを高める医療が欧米諸国で普及する中で生まれてきた概念がコンコーダンスです。コンコーダンスは、一般的には一致や調和と訳されます。1996年に、英国の保健省と薬学会でつくられた薬剤パートナーグループ(Medicines Partnership Group)は、コンコーダンスを「病気について十分な知識をもつ患者が病気の管理にパートナーとして参加し、医師と患者が合意に至った治療を協働作業として行うプロセスである」と定義しています。

(中略)

患者側が変えた「治療ガイドライン」

 コンコーダンス医療では、医療者と患者が対等の協働する関係性にあります。医療者が処方を一方的に決定し、それに患者を説得して従わせるのではなく、患者も自分の状況や希望を医療者に説明し、医療者はそれに基づき、いくつかの案を提案するなど、対話と合意が大切にされます。

 はたして、このようなコンコーダンス医療がわが国で可能となるでしょうか。私は楽天的に考えています。青山学院大学の駅伝チームも、原監督の業界の常識を疑うチーム作り、選手の自主性と対話の重視により優勝に導かれました。わが国の医療においても、業界の常識の先にあるのがコンコーダンス医療であり、遠からず(今後10年以内? )徐々に普及し始め、20年後にはそれが当たり前になるだろうと信じています。

(以下、略)

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コンコーダンスの医療という単語は知りませんでしたが、この記事の内容はある意味当たり前のことを書いています

 

患者さんが「自分の考え・希望」を伝え、それに対して医療従事者が「治療法」を提示し、治療のメリット・デメリットを理解していただいてから、医師と患者が協力して治療にあたっていく。

 

なんて・・・当たり前のことを・・・

 

ただ、その当たり前が難しいから記事になるのでしょう・・・。

 

実際に患者さんの希望は少しずつ違います。

患者さんの希望が「まずは完治する方法を」であれば、基本的には標準治療を行うことになると思います(多くの患者さんはまずここになります)し、増えてきた情報に合わせて治療法を変える(説明した上でですよ)ことになると思います。

 

患者さんの希望が「もう年齢も年齢なので、完治ではなく、自宅でできるだけ長く・・・」というものであれば、疾患によっては完治を狙う治療で「完治できたらそのあとは自宅で過ごす時間が長くなる」ことを説明して、治療に入ると思います。病気によってはある程度がん細胞を潰して、内服緩和治療ということもあるかもしれません

 

患者さんの希望が「できるだけお金をかけたくない。家族に金銭的な面で迷惑をかけたくない」というようなものであれば、家族も含めて再度話し合い、できることを探っていくでしょう。

 

自分で言うのもなんですが、僕が比較的患者さんから受けが良いのは「話をきちんと聞いて、それに合わせて対応してくれる」と思われているからだと思っています。

 

その元になっているのは「blog」で知った多くの患者さんやご家族の考え方もあります(ありがとうございます)。他に研修医の頃「青森県」での地域医療で学んだ「NBM:ナラティブ ベースド メディスン」と言うものもあるかもしれません。

 

ただ、ある意味当たり前の治療を行うには・・記事にありますように「医療従事者の情報提供」が非常に増えると言うことがあります。実際に「パターナリズム」の時代よりもすでに「情報提供」などに使用する時間が増え、人手が足りないと言われています。

僕は基本的に「受け身の患者さんが減る(患者さんが希望を言うのは普通のこと・・・と思っている世代の方々が病気になられるようになってきた)」ので、自然とこう言う医療になっていくと思うのですが、そうすると医師の数はやはり足りないのではないかと思っています。

 

僕はともかく時間外に患者さんや家族と会うことが多かったです。外来でも病棟の合間をぬって(自分の外来日以外に)どうにか時間をやりくりしていました。そうしなくてはこう言う医療はできないですし、そうすると家族との時間を犠牲にしてしまいます

 

10年くらい前に「立ち去り型サボタージュ」と言う言葉が流行りましたが、再びそう言う話になると思います。僕は仕事も好きです(医学・医療は楽しいので、好きなんです)が、自分たちの子供と野山で遊んだり、釣りなどに行ったり、勉強したりするのも大事だと思っています。ですのでシステムをいろいろ変えなくてはならないだろうと思っています。まだ、僕は若手ですので・・そう言う話はなかなかできませんが(笑

 

あ〜子供の方が未来があるので・・現状の教育制度も変えてしまいたいのに(教師の待遇を改善したり資格を難しくしたり、責任などを重くするなど)・・・(教育が国の礎だと思っているので、そう言う意味では日本は二流だと思います)。


話が脱線しましたが、これを実際にやっていくには「医療従事者」が「足りない」と思います。まぁ、医師不足は目に見えますので、患者さんや家族の希望をうまく聞くような存在や、そう言う「Narative(ナラティブ:物語的)」なところを補える職員さんをつけたりする必要もあるのかもしれませんね・・・(医師って理系が多いですが、この部分は文系のような気がするのです・・・)


そんなことをこの記事を読んで思いました。


いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

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それでは、また

 


コメント (4)
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