まさか日本でカルチャーショックを!

中国広東省で生活経験有り 元技術者 元日本語教師
旧タイトル:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

昔の我が教案を発見…

2017-03-15 11:24:38 | 授業全般(日本語)
この数日、日本語教育関係のもので、要らないものを処分していた。

そのとき中国に渡る前の1年と少しの間ボランティアの日本語教師をしていたときの教案や教材を発見した。

主に『みんなの日本語 初級』のクラス授業を担当させていただいたのだが、その教案がかなりマメであり、なおかつ簡略版まで作ってあった。

おまけに自作のフラッシュカード類やレアリアなどもけっこう豊富に取り揃えてあった。

(もちろんすべて個人のお金で揃えていた。)

そんなことをしながら、乏しくなった貯金を補うために工場での品質管理の交替勤務を行い、なおかつ日本語教育能力検定試験やHSKの試験勉強を行い、さらには他の外国語にも手を出していたのであるから、「それは倒れても不思議はなかったのだなあ…」と深く深く深ーく感じた。

当時は青年海外協力隊受験のための健康診断ばかりでなく、会社の健康診断もボロボロであった。

今でも健康診断の数値は決していいものではないのだが、当時は腰が抜けそうになるぐらい驚いたものであった。

それでもそこまでしっかり教案を作ってあったことは、中国に渡ってからもかなり助かった。
中国に渡る前には『みんなの日本語 初級』の中で教えたことのない部分の教案も作った。

そしてそれをA4一枚に2ページ印刷を行い、第1課から第50課までの基本教案を持って中国に赴任した。

もちろん中国では特に初級の場合、先に中国人教師が中国語を交えて教え、その後に日本語母語話者教師が主に音声部分や聴解、(学校によって違うが)読解を担当することが多い。

さらには場所が違えば教え方も違ってくるため、A5ノートに新たに教案を作成していった。

もちろん基本の教案を作っておいたことは本当に助かった。

ちなみに中国では教案はすべて手書きにしていた。
それは事務所に必ずしもパソコンやプリンターなどがあるわけでもなく、さらには田舎の場合停電も頻繁であるからである。

もっとも自作教材は個人のパソコンで作っていたが。

話を元に戻すが、中国でも最初のうちは本当に準備に時間がかかった。

けっこう無理していたようで、鏡を見なくても、自分の顔から血の気が引いているのがわかるときも何度かあった。

今も手元に残してあるのは中国での教案と新たには手に入れることが難しい中国でのテキストの一部。

『標準日本語』などはいつでも中国で買えるので、持ち帰ってはいない。

それと旧版の日本と中国での『みんなの日本語 初級』といまだに変わっていない『新日本語の基礎』やそれらの市販教材など。

他は色々と新版も出てきているので、あえて残していない。

教案もパソコンの中のものや手書きのものがあっても、次に教えるチャンスが現れたときはそれを参考にして、新たな教案を作るつもりでいる。



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