まさか日本でカルチャーショックを!

旧タイトル:まさか私が日本語教師に!(NO.3)
9年弱中国広東省で日本語教師生活 2014年夏帰国

日本帰国の決意から3年、帰国して2年8か月

2017-03-20 17:46:33 | いろいろ
秋分の日で祝日の月曜日となった本日。
当然私も祝日モードで生活している。
ただこの1年2か月の間土日祝休みを堪能してきたが、4月からはそうもいかなくなる。
元々そういう業界にいたのではあるが、人間はいつしか楽なほうに慣れてしまうもの。

そんな最後の正式な祝日休みを堪能しているさなか、本日は友人であり日本語教育の大先輩である年下の友人の誕生日であることを思い出し、仕事中であるとは思ったのだがWeChatでおめでとうメッセージを送っておいた。

その友人は私が中国で最後の4年間お世話になった上司夫妻の片方である。

(これから記すことは既に何度もアップしている内容と重複する。)

2014年のその誕生日(金曜日)は上司も他に用事があったため、上級の学生たちがバースデーパーティーを翌日21日の土曜日の夕方から企画した。

二次会のカラオケのあと、その上司に誘われて足ツボマッサージへ。
そこで「来期(秋期)の新開講はしないこと」「学校閉鎖の準備を始める」ということを告げられた。
つまり私ともう一人雇われている中国人教師は来学期から職を失うことになる。
上司はある学校が私を迎える意思があることを教えてくれた。

しかし私は即答で断った。
そう、その瞬間にその夏の日本本格帰国を決意したのであった。
(上司はずっとどのように切り出そうかと考えていたそうだが・・・。)


帰宅したのはすでに日付が変わって日曜日となっていたのだが、私は7時過ぎには起きたと思う。

寝る前に決めて会った。
「今日から1日ひとつは必ずものを処分する!」のだと。

実際部屋の整理は7月下旬の帰国前日の朝までかかった。

赴任したときはスーツケース1つと、10kgのショルダーバッグ、パソコンバッグ、かなり経ってから届いた別送の小さな段ボール箱2つで中国生活を始めた。
だが、2010年7月に中国で8回目の引っ越しをする時はかなりの量になっていた。

それでも2013年12月の年末大掃除で思い切ってけっこう処分していた。
もちろんその頃には遅くても2016年10月に失効するパスポートで滞在できるまでには本格帰国をする決意はしていた。

だがそんなにすぐに帰るつもりはなかったのである。
それなのに処分し始めていたのは、気持ちの整理もあったのであろうが、やはり何かの感が働いたのかもしれない。

その後の春節の一時帰国で両親の様子を見たことで、いいかげんに自分も帰りたいという気持ちになった。
そこで1年から1年半以内(2015年12月~2016年8月)には帰国できるようにしたいと考えた。

だが私はそんなことは誰にも話さずに教師の仕事をしていた。
そして思い切った決断をした3年前の明日。

当時上司のひとりは既に一般企業で働いていた。
私はうすうす気づいていた。

誕生日であった上司も2014年中には日本語教育を離れた。

現在SNSの写真で見るその夫妻家族の生活は教師をしていた頃よりも華がある。
3つの言葉を簡単に切り替えて話すことができる彼らであり、妥当な報酬を得ていることは間違いない。
もちろん大変であろうけど。

私たちが日本語教師の職を失ったのは尖閣問題の影響が大きい。
もちろん生き残っている学校は生き残っているわけであり、すべてをそのせいにするつもりはない。

それでも「皮肉なものだな・・・」と思う。
私たちは日中の架橋となる人材を育てていたのに・・・。

上司夫妻は大ずっと日本語教育で食べてきた。
時々通訳の仕事をする以外は他の業界のことは知らなかったのである。
この3年の苦労は私以上であったに違いない。

だが私は日本語教師の前は違う仕事をしており、経歴も資格もある。
そう、私は恵まれているのである。

今回私は過去に2回も離れたことがあるその業界に戻る。
実際その業界自体が嫌いで離れたわけではない。
1回目は日本語教育の世界に進むためと体力的な問題、業界の人手不足からくる大きな矛盾による。
2回目に離れたのは膝の問題。

今回前の会社でも当初希望したその業界でのあまり外に出ない仕事を得ることができた。
(私もやっとSNSで華がある写真をアップできるのかもしれない?)

私の運命、いや宿命はそうなっていたのであろうか。

だからずっと日本語教育能力検定試験に受からなかったのであろうか。
昨年など自己採点でグレーゾーンにいたのだが、例年より合格点が低いのに受からなかった。
記述式の採点をしてもらえなかったところをみると、マークシートの記入ミスをしたとしか思えない。
何度も確認したのに・・・。

とにかくこの3か月、いや1年努力したが日本語教育には戻れなかった。
これからも何らかの形で日本語教育界へ貢献してゆくつもりである。
だが、そろそろ某ランキングサイトの日本語教育への比率を再度下げなければならないと思う。
(2017年3月20日現在:日本語教育30%・中国情報70%)
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