まさか日本でカルチャーショックを!

中国広東省で生活経験有り 元技術者 元日本語教師
旧タイトル:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

石の上にも3年というが・・・

2017-07-23 18:58:33 | 行動計画 & 積極的思考
今度の火曜日で帰国して3年目が過ぎる。
今朝3年前に日本で買ったタイメックスのデジタル時計を手に取ったのだが、ベルトが割れていた。
タイメックスのベルトは硬いので、割れやすい。
(現場仕事と内勤仕事の時の休日に使っていた。)
仕方がないので、昨日に引き続きチープカシオをはめた。
(現在内勤仕事なので、平日は安物アナログ時計を使用している。)

タイメックスの時計のせいか、おかげかわからないのだが、3年という数字が頭の中でこだましていた日曜日であった。


中国にいたときに、日中両方の貯金が無くなったことがある。
「まったく人生は何があるかわからないものだ」と実感できる。

2014年に日本本格帰国をした晩と翌朝に銀聯カードで中国の貯金のほとんどを日本円で引き出した。
ただ持って来た現金は持ち出し限度額の2万元には届かなかった。
その理由は4か月前に一時帰国したときに、現金の両替と銀聯カードでの日本円引き出しにより、日本の貯金を30万円近くまで戻しておいたので。
この時円安であったことが幸いした。

先ほど7月下旬の帰国直後のExcelデータを見てみたのだが、貯蓄預金が34万円、普通預金口座に6万円、手持ちが15万円となっており、「よくこれで就職して安定した給料をもらうまで持ちこたえられたものだ・・・」と感じた。

「一度実家に戻ってこればいい」という母親の言葉に甘えたのが幸いであったのだと思う。
もっとも私が戻ることで、両親も安心できたのだから、これでよかったのだと思う。
(で、老いた両親をほかっておくわけにもいかず、いまだに実家にいるおじさんがここにいる・・・。)

9月初旬早々に下旬からの就職内定を決めた。
そこで思い切って中古の軽自動車(総額44万円)を購入。
そのときはローンなど組めないので、カードキャッシングを利用して2年ちょっとで返済。

10月にいただいた初月給は(9月下旬から働き始めたため)基本給の1/3のみであり、本当にきつかった。
このときの貯蓄預金残額は16.3万円、手持ちが0円という記録があるので、財布の中は微々たるもので、常に貯蓄預金から少しずつ引き出していたことがわかる。

11月にいただいた給料でやっとお金の心配がなくなったという次第。
そして11月に80時間越えの残業をしたことにより、12月の時点での貯蓄預金は一気に15万円以上増えた。

以降高めの基本給と40~80時間の残業により着実に貯金を増やしていった。

だが外の仕事から離れる2016年1月の数か月前に、若干の出費があった。
そして2016年に就いた仕事は内勤で外国人同僚と共に働くという、誠に嬉しい仕事であったのだが、形態は一般事務的扱いに過ぎず、給料は高くなかった。
いや、はっきり言って低かった。
したがって約1年でかなりの貯金が減った。
さらには3か月の就職活動により、またまた45万円近く減ってしまった・・・。

今の仕事は内勤ではあるものの、技術系であり一般事務よりは給料が高いためとても助かっている。

というのも今年から父親の年金もガタッと減ったため、実家に入れるお金だけでも一気に3倍近くにしたので。

何にしてもお金で苦労する生活は自分が招いた結果。
「日本語教師になろうと会社を辞め1年ちょっと勉強し、1年半の教師浪人生活という派遣やアルバイト生活であったこと」
「中国での9年弱に及ぶ日本語教師生活」
「膝など悪化により昨年から現場管理を離れた」
という3点セットが災いしている。

ただ本日なんとなく感じた。
風向きが良い方向に変わり出したと。

なんだかドキドキわくわくしている。
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