まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

生活に必要なのは笑顔

2017-10-17 19:57:17 | 日本での生活
この数週間は19時~19時半頃まで仕事をしている。
まあ来週からは遅くても18時半までにしようかと思っているけれども。

と記すとあまり遅くまで仕事をしていないと言われるかもしれない。
ただ通勤に時間がかかるので、19時を過ぎて退社すると、帰宅は21時頃になる。
(ちなみに現在の職場では20時までいたのが最高記録である。)

本日の午後は自分の住む都市に用事があった。
定時前に終わるが、直帰でも良いと言われていた
本当は仕事が溜まっており、オフィスに戻りたかったのだが、戻るのも時間の無駄。

そこで有り難く直帰を選択し、平日でなければできないことを消化した。
そしてその後で中国に渡る前の週末に良く行っていたスーパーへ。

(本日の私は作業服であったのだが)18時前のスーパーにはけっこう作業服のおじさんも集まっていた。

そこで感じた。
「これが本当の暮らしなのかもしれない」と。

私も昔あまり忙しくない時は19時前には退社して、19時半頃家に戻っていた。
忙しくてもなるべく21時前には退社するようにしていた。
もちろん日付が変わるまで仕事をすることもあったのだが、たいていは仕事を持ち帰ってでも21時過ぎまでは事務所にいることはしないように心がけていた。
当時の通勤時間は車で平均40分。
(朝早い時は二十数分、週末など17時台に退勤すれば60分。)

今思うと、とても大変であった当時の仕事は帰国後の仕事に比べればそれほど大変ではなかった。
そう感じる理由:帰国後は以前よりも数倍ランクが上の仕事をするようになったので。
まさに「井の中の蛙大海を知らず」であった。

ただ逆に「されど空の深さ(青さ)を知る」であったのかもしれない。


帰国後の仕事。
日本語教育からは離れており、簡単にいえば以前の世界に戻った。
それでも昨年は自分が望んだ違う業界で働くことができた。
しかし今年は職種自体は違うのだが以前の業界にいる。
現場に出ることは月に数日もあれば多いほうである。
そしてそれは一日中ではない。
毎日現場に出るのは体の問題から困難なので、とても助かっている。
そして普段は私でなければできない仕事をしている。

本日同僚に言われた。
「もし過去に戻れるのならば、今現在どんな仕事をしていると思う?」

それを考えたとき、今も関係がある以前の業界であるような気がした。

ただ昔のように何か月も休まずにしゃかりきに働くことは無理だと思う。


3Kの仕事は中の仕事に比べて多少はお金になる。
しかし休みは少ない。

それは元々の体質以前に、発注するほうにも問題がある。
かといって休みがあっても、お金が少なければこの仕事をする方も少ないのかもしれない。

それを解消しない限り、新卒で3Kの仕事に就く方は増えないと思う。

それなりの休みがあり、夜(夜勤の場合は朝)はあまり遅くならずに帰宅できる。
それが本来の生活なのではないのか。

世の中仕事人間も多いのだが、私は人生仕事だけではないと思っている。
やはりバランスのとれた生活が大切だと思う。


中国での日本語教師生活。
確かに大変であった。
それは日本語教師経験者であっても、言葉で表現できない。
だが(授業以外の束縛が少ない学校の場合)自由な時間も作ることができた。

なぜそれが可能であったか。
それは仕事の中に休みが、休みの中に仕事がある世界であったので。

もし仕事が苦痛であればそれは拷問であろうが、心底楽しければ仕事と休みの境がはっきりしなくても問題はない。


私には自分の家庭がない。
今現在両親を支えるために実家にいる。

自分も家族も笑顔でいられるような生活が一番ではないのか。
そう深く感じた夕方であった。
コメント
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