まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

近づく別れ・・・

2016-12-06 22:29:33 | 帰国後の就職
1年前の本日、辞めると言っている私を口説いた方にメールを入れている。
12月前に退職願を郵送し、12月になってすぐに電話があり、数日後に当時の私の担当の方とふたりで現れた。
月初めでありとても忙しい状態であるのに。
その彼が持って来たオファーに対する返事であった。

それから2週間後。
会社の偉いさんと面談した結果、私を口説いた方の言う職種ではなく今の部署を勧められた。

どちらの仕事にしても私が夢を見たことのある職種であり、とても有り難い話であった。
(ただ給料を除いては・・・。)

そして今の部署で出会った仲間たちと人も羨むような連係プレーを続けた毎日。
うち上司とはまた違うところで間接的につながりがあった。

とても不思議な話。

最初の3か月はがむしゃらであった。
そのあとの2か月は娯楽を楽しんだ。
それから一昨日までの5か月と数日は勉強三昧であった。

2か月の娯楽。
決して遊び呆けていたわけではない。
ただ、帰国後の再就職後からは(遊びで)一番ネットを使っている時間が長かった。
その2か月で考えたこの秋の3つの試験。
確かに今年でなければそんな無理もできなかったに違いない。

つまりある程度の予測はあった。
10月の終わりか11月には辞めることを決意する結果になることを。

今年の1月で「社会人生活の中で一番になるのであろう年収」とさよならした。
そして今回「社会人人生の中で規模の大きさとしては一番になるのであろう会社」とさよならする。

高卒という資格で社会に出た私。
(高校を出ただけ有り難い話。)
確かに途中働きながら大学は出た。
だが(中国での日本語教師を除き)今までの仕事のほとんどは高卒の資格でやってきている。

今思えば私はとても幸せなのかもしれない。

ただこの人とは違う道を歩んで来たからには人と同じ幸せがあったわけでもない。
(逆に人が味わっていない幸せも経験しているのだが。)
人間何かを得れば、何かを失うもの。
すべてが手に入るのはバランス上よくない。

人生のバランスシートは必ずプラスマイナスになると自分勝手に思っている。



さて、明日は残りの有給休暇のうち1日を使い平日でなければできない事項をいくつか行うつもりでいる。

その必須事項には就職活動の一部分も含まれる。
(面接ではなくそれ以前の行動。)
病院も予約してある。

だが逆に休むのがとてももったいないような気がしている。

なぜならば、今の職場に通うのもすでに10日を切っているので。
この時間を大切にしたい。



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