銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

8年前の都知事は、石原慎太郎氏でしょう。彼は、豊洲の盛土問題に、どういう立場だったのですか

2016-09-14 21:50:40 | 政治

 最初にお断りを申し上げます。このブログ文は、最初期にアップした、日時は、2016-09-14 13:20:00でした。しかし、高須院長の多大な露出と言うデータが、必要になり、それを一本、夜の、9時にアップしましたので、その後に、こちらを再度アップしなおし、こちらが上に表出する様に、更新をやり直します。その時間は2016-09-14 21:50:40です。

 本当は、最初のタイミングは残しておきたかったところです。14日の午前中に、石原都知事を、責め始めたというタイミングは、重要です。が、データ(高須院長の多大な露出を示す記事)よりも、本文の、こちらが下になり、隠れるのも嫌な事なので、初出のタイミングの方を犠牲にいたしましょう。

副題1、『この盛り土問題は、石原慎太郎都知事に、責任があると思うが、それを、論証して、書いていくためにも、石原氏の人気を知る必要があった・・・・・その確認一つでも大問題があるのだが』

 昨日、2016年9月13日分の、NHKニュース録画を見ていると、築地市場関係者が、東京都の吏員であり、市場の責任者と言う男性を責めたてていました。移転賛成派の、ちょっと、目が、ロンパリである太った男性が、責めていました。

 だけど、日本社会の常識としてはトップが責任を取るのが、常識です。ここで、謝罪をしないといけないのは、石原慎太郎都知事でしょう。

 そのことは、このニュースが表に出てきた時から、感じていました。しかし、それを書く為に、当時の都知事が誰だったのかを、wikipedia で、調べたいと思いました。 

 しかし、私が、大切なことを、パソコンで、調べると、必ず、妨害を受けますので、まず、東国原氏が、いつ、都知事候補として名乗りを上げたかを調べました。彼が都知事に成ることを嫌がって、石原氏が、もう一回立候補をしたのでした。だから、それ以前に、都知事だったわけです。そう言う風に、調べると言う形を取ります。そこまで、気を使わないといけないのですよ。 で、****1罫線以下が、そのデータです。

**********1

東国原英夫 都知事立候補 

知事退任後

2011210政治団体「英(はなぶさ)の会」を設立した[18]。同年4月実施の2011年東京都知事選挙へ立候補し[19]、1,690,669票を集めたが、現職の石原慎太郎知事に90万票強の大差を付けられ、落選した。ただし、得票数は全立候補者中、石原に次ぐ2位であった[20]。なお知事退任後もテレビ出演等での名義は「そのまんま東」ではなく、東国原英夫名義である。

**********2

副題2、『石原慎太郎が、都知事であった時期は、正確には、1999年、5月ごろからであり、この豊洲の盛り土問題に、席には、絶対に在るのだ』 

  2003(平成15年)

  2004(平成16年)

  • 11月17 - 21日 - 『』テレビドラマ化。

  2007(平成19年)

  2010(平成20年)

  2011(平成23年)

  2012(平成24年)

  • 10月25日 - 15時から都庁にて緊急記者会見を行い「本日をもって(東京都知事を)辞任し、新党を結成する」と表明[23][24]。会見後に都議会議長に辞表を提出した[24]
 と言うデータを得て、盛り土をしないで、豊洲のたてものを建てようと、建議したのは、完璧に石原都知事時代だったと、言う事になります。
~~~~~~~~~~~~~
 今は、2016年の9月14日の、夜九時ですが、続きを書き始めます。
 
副題3、『日本ではトップが、部下の責任を負うというシステムになって居る。それを再確認しておきたい。血肉を削って、それを書いておこう』
 
 私は、私の息子が、給料とか勤務先を失う様な激しい罠にひっかけられたという話を途中までしております。(後注1)それには、大前研一、大前勇介、西原理恵子などが、新しく関与した人物として挙がってきていますが、まだ、最後まで、書いていません。それを書かせないが為でしょう。激しい攻撃を受けております。
 しかし、そこで大問題なのは、武かが行った失敗を謝罪する為に、高知県まで、上士である息子が、謝罪をしに行ったのですが、【顧客が、熨斗紙を間違えただけなのに、四国まで来いと主張をしたからですが】、その際、ホテル代も会社が出さないし、交通費も出さなかったのです。しかし、私が息子のお嫁さんを訪ねたり、会社のホーム頁をシェラトンホテル(横浜駅西口に在る)で、三国屋善五郎の、ホーム頁を開いて、社長の名前を確認したりしたので、その後、ホテル代と、交通費は出ることとなりましたが、部下が、熨斗紙を間違えたのは、わざとだったと、主会われます。会社ぐるみで、社員である息子を苦しめる方向で、罠を書けたのでした。それは、まだ、掛けておりません。しかし、部下の女性が間違えたことで、交通費も支給もされずホテル代も出ないのに、息子が謝罪をしに行かなければならなかった相手とは、多分ですが、西原理恵子さんであって、大きな罠だったのです。そして、その謝礼として、高須院長は、フリーメーソンに加入をする事ができました。
 そして、最近、高須院長に関するネット上の大きな記事が出たりしている(後注2)のも、すべて、この問題と関係があります。その陰にマッキンゼイと言う組織が大きく関与しているのです。
 ただし、部下が、熨斗紙を間違えたぐらいの、総額、15万円から、20万円の罠で、店長であった私の、息子が、私費、5万円ぐらいを出して高知県にまで、謝罪に行き、また、この失敗を、原因として、減給され、階級も落とされたのでした。
 私にとっては死活問題です。金額は小さいですが、大変な暴力行為にさらされたと言う事でした。
 
 だから、思うところは大です。
 でね。鎌倉エージェントと言う現代最高の、闇の権力者と、仲良しだと、責任逃れができます。その典型が、石原慎太郎元都知事なのです。
 しかし、反対に、鎌倉エージェント側が、こいつを被害者として、使おうと、思った側は、大変な被害をこうむります。
 これは、法治国家ではない仕組みです。まことに、今の日本は、司法がめちゃくちゃなことになっており、それは、伊藤玄二郎、鎌倉春秋社社長が、一方で、最も優秀な勝特権の大きいエージェントであり、
 もう一方で、中央大学法学部政治学科出身と言うコネを、利用しまくって、そういう状況を作り出したのでした。
 それが最も象徴的に表れているのが、死刑執行問題なのです。
 私が死刑執行問題に、すぐ、注目して、きつい論評を浴びせるのは、ひとえに、それが、レオスカラックス監督に最悪の反日映画、【TOKYO(第二部。メルド)】に結び付いているからです。単純な人道主義で、モノを言っているわけではありません。(後注3)
~~~~~~~~~~~~~~
 
副題4、『私の息子の問題は、個人的なものだと、皆様は、お考えになるだろうか? しかし、旭化成杭うち疑惑問題は、どうだろう。あれも、ひどい罠だった。旭化成建材のスタッフとして、問題の、マンション、らら横浜の、基礎の杭を打った男性は、まったく悪くないのだ。あれは、業界の常識の範囲だった。ただ、ただ、鎌倉エージェントが、旭化成の株価を下げてやろうとして、起こした一種の犯罪であったのだ。ただし、鎌倉エージェントが、起案した脚本の中に組み込まれてしまった演技者は、彼等の意図通りに動かないといけない模様だ。
 
 旭化成建材の上級会社である、旭化成は、責任を激しく追及をされ、とうとう謝罪記者会見を開く羽目になった。社長は悔し涙に暮れていた。それを、私が保護し、擁護したために、会社を辞めないといけなくなった模様である。本当に人権無視である。あの社長が、悔し涙にくれたのは、会社が、決して悪い事はしていないことを知っていたからだ。
 
 では、なぜ、杭うちの担当者が謝罪をしないで、しかも
旭化成建材の社長どまりで、謝罪会見が収まらなかったかと言うと、炎上させたかったからだ。さして、たいした事案でもないし、ほぼ、業界の慣習だったのにもかかわらず、犯罪仕立てにして、炎上に次ぐ炎上をさせた、鎌倉エージェントは、脚本の効果上、現場労働者が、記者会見するのは、役・不足だと、考えたのだった。
 しかも、現場労働者に、報道カメラが向いたら、彼は、窮鼠猫を噛むの類で、真実を発表するかもしれないではないか? 「こんなことは、業界の慣習の一つです」と言い出すかもしれないではないか。だから、隠されたのだった。
 そして、この問題は、問題の初発のマンションである、横浜都筑区の【らら横浜】の販売元である、三井不動産レジデンシャルの、『建て替えはしない』と、言う短い発表で、終止符を打ったのである。(後注3)』
 ここは、二重ガッコ内の副題だけで置いておいて、その中に、詳細な、説明を加えないまま、先へ進みます。
 ~~~~~~~~~~~~~
 
副題5、『初版の社会的、観衆から考えて、ここは、絶対に、石原都知事に責任がある。彼は、カメラの前で、謝罪をすべきである。しかし、三日間も謝罪会見をしないで、住んでいる理由は何故か? 彼もまた、すでに、鎌倉エージェントの中に組み込まれているからである。それについては、後日、詳細に語ろう』
 
 この章は、ここで、止めとしておきます。先があふれるほど、頭の中にありますが・・・・・体力の温存のために、本日は、ここまでとしておきます。
 この文章は、後で、リンク先を見つけて、注を、完成させ、それから、誤変換を直し、文章を推敲して、その後、署名と書いた日付を入れます。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3673067です。 
 
後注1、 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 16-9-14に、ネットに、高須院... | トップ | 加藤紘一の葬儀映像を見なが... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事