銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

日曜美術館【まどみちお】特集→ 沈む船からはすぐに逃げ出す(?)伊藤玄二郎 

2015-10-14 23:49:20 | 政治

 今から公開する文章は、翁長知事の事を書き始める前に、下書きとして、書き始めていたものです。だから、最初のアップ日付は、2015-10-13 01:30:33でした。それを、14日に、時刻変更をして、公開したいと思います。 

副題1、『私を弾圧する為に、ニュースが使われることも、もちろんだが、時にはニュース以外の娯楽番組や、教養系番組も使われるのだった』

 この副題1に書いた通りであって、いろいろな番組で、敵さんの、意思を知ることがあるのです。簡単に読み解ける場合もあれば、複雑で、すぐには、因果関係が読めない番組もあります。が、日曜美術館が、使われる場合は、おおいですよ。

 ところで、11日のそれは、【まどみちお】特集でした。ゲストが、谷川俊太郎さんであり、そこだけでも、NHKが気合を入れている週なのだとは、分かりましたが、さらに驚いたのは、【まど】さんのために、再現ドラマが用意されていたことです。

 しかも、役者が、笹野高史です。名優を使っています。その時に直観として、『この番組の裏には、鎌倉エージェントが居るな』と感じました。

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副題2、『2009年6月第4週に放映されたクローズアップ現代で、太宰治特集が組まれていたが、そこでも再現ドラマが用意されていた』

 ここは、井上ひさしと、警察が、非常に密接に協力をしあっていることの傍証づけに役立つものであるのですが、今回は、詳細には、触れません。

 ただ、まどみちお特集に再現ドラマが用いられていて、それは、日曜美術館の場合、私としては初めて、接したケースだったので、驚いたのですが、それと、クローズアップ現代が、結び付いて、『これは、裏に、鎌倉エージェントが居るわね』と、直感をしたわけです。

 で、鎌倉エージェントと言えば、伊藤玄二郎です。この場合は、彼が主導をしていると、見ています。そして、いろいろなメッセージを私に送ってきているわけですが、

 その一つは、まどみちおが周南市の出身だという事です。佐野研二郎の贋作問題が、大きくなっていたころ、それを解明する為に、私は『最初からコンクールとは名ばかりで、「佐野研二郎に、これをやらせるのだ」と、鎌倉エージェントが決めていたのだ。しかし、佐野研二郎が人間として、くずで、あり過ぎたのが、問題を複雑にした。ともかく、その決定には、何らかの形で、鎌倉在住の大物現代作家、宮崎進さんが、関わっている可能性がある』と、以前書いていますね。その宮崎進さんは、周南市の出身です。

 その宮崎進さんの、特集号も、すでに何回も、放映をされているので、宮崎進さんの番組の再放送をしても、彼らのメッセージは、私に届くわけです。それは、内容としては、違うものが何本もあるわけですし、お手軽にできるわけです。そして、それを見た私が、『お前、ひどいことを書きやがって。よく見ろよ。宮崎進とは、これほど、偉大なのだよ』と、言うメッセージが送られてきたのには気が付くでしょう。

 で、『なるほどねえ。ここで、復讐をされましたか』と、私にはわかるわけです。

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副題3、『周南市とは、竹本美鈴さんの出身地でもある』

 実は、私はニューヨークで、2002年の8月に個展をしています。場所は、Caelum gallery と言うところで、オーナーは、アメリカ人とその妻・竹本美鈴さんです。住所録を調べればご主人の方の名前もわかるのですが、今は、記憶に頼って書いていますので、ご主人の方は、Bで始まる苗字だったとしか覚えておりません。この竹本さんは、周南市の出身です。そして、同郷の、宮崎進さんに、なついて、なついて行っています。

 私は、1999年に、ブルックリンの、Pratt Institute と言う美大の大学院に一学期だけ入って居たのです。だが、その時は、まだ、美鈴さんとは、出会っておらず、次の年に、その画廊(26th W526)と、非常に近い場所(24th W9)にあった工房で、三か月過ごしたので、お散歩として、そこを訪問をする様になりました。銅版画(特に深彫り)は、腐食液の反応を待つ時間があるので、その間、2,3時間、画廊巡りをしていたのです。私は35年間にわたって、銀座、京橋、パリ、ニューヨークと画廊はめぐっているので、もし、美術評論を続けさせてもらっていたら、その場所が、月刊ギャラリーと言う小さな雑誌であっても、ものすごい良い文章を書き続けたでしょう。

 しかし、それを、多分ですが、瀬島龍三 → 伊藤玄二郎 → 酒井忠康 → 石塚雅彦 → 柄沢斉 →、月刊ギャラリー編集長と言う流れで讒言を入れられた為、たった、一年で、連載を、止めさせられてしまったのでした。

 それ以外にも膨大な弾圧と損失を受け続けたので、『これは、たまらない、生きるためには、それを書くしかない』となって、政治評論をやり始めたわけですが、そういう裏側が見えているので、敵さんたちの事を、トカゲの脳味噌だと言っているわけです。自然に任せておけばいいのですよ。ところが、ちょっとした勝利でも、勝利をしたいとか、生かしたいと、思う近視眼的思考ばかりの人間が、鎌倉エージェントにはいるらしくて、決して、自然な形で、物事を推移させるということが無いのです。で、物事は、平衡に達するまでは、進行しますので、彼らが異常なことをしてくれば来るほど、私も鋭い分析が可能になってくるというわけです。

 ともかく、竹本美鈴さんに戻れば、彼女は周南市では、突出して優れた女性であったとみなすことができますが、東京に出て来て、そして、芸大に、入学すると、勝ち組にはなれない要素があったのです。それが、本日の後半に大きな問題となってくるのですが、それが、本当には、何を指すかは、ここでは、伏せます。が、彼女自身が芸大在学中に、すぐ、それを察して、その弱点部分を打開をする為に、コロンビア大学(もしかするとプリンストン大学だったかな? そのどちらか)へ、入学し、そのまま、アメリカで、長期滞在をすることと成ります。

 ところで、アメリカに留学した若い日本人女性が、最も望むことは、白人で、レベルの高い人と正式な結婚をすることです。それに、成功する為には、いろいろな要素が必要ですが、竹本美鈴さんは、すべてをクリアーして、学者風のご主人(体格もよい方)と結婚をしました。たぶんドイツ系の白人です。お子さんも、小・中学生が二人いましたね。順風満帆と言う処です。それは、16年も前の事だから、お子さんはすでに結婚をしていて、孫もいるという段階でしょう。

 そして、2000年、および、2002年には、相当に仲良しだったのに、2005年ごろかな? 突然に捨てられたました。友情を着られました。その陰に、宮崎進さんが居たのではないかと、考えています。宮崎進さんは、シベリア抑留の経験があるので、同じ経験をしている、瀬島龍三は、連絡を取っているはずで、そこから、「竹本美鈴と、川崎千恵子の関係を切ってください」と、頼まれた筈だからです。

 だから、竹本美鈴さんの事を思い出すと、「彼女の画廊が入っている大きなビル(元、印刷工場だったという)に、有名な写真家の、杉本博司さんが、広大なアトリエを構えている」とかいう初期の楽しい思い出とともに、後半の嫌な思い出も思い出すので、周南市は、一種の鬼門です。

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副題4、『と言うわけで、平成の八墓村事件が、周南市を舞台に選ばれたのも、意味があるのではないかと、考える私だった』

 ここは、初めて述べるコンセプトです。しかし、保見容疑者が、やってはいないと、思う私には、周南市が舞台として選ばれたのは、電話のやり取り等で、私が美鈴さんに捨てられた(または、裏切られた)様子を把握した、鎌倉エージェントがさらに、マイナスの刺激を、私に、与える為に、選んだのだとも、推察しています。電話の盗聴は、非常に昔から行われてきていたのは、知っておりますし。そう言う直感を持っているので、さらに、保見は選ばれた、犯人役であって、実際にはやっていないと、推察しています。

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副題5、『ともかく、「このまどみちお特集の裏には、伊藤玄二郎が居るはずだ」と、私は思い至る』

 ずいぶん挿入が長かったと思い、お詫びしますが、この番組の裏に、伊藤玄二郎がいるかどうかを、確認したいと思いました。

 まどみちおが、亡くなった時に、グーグル検索をかけてみたら、伊藤玄二郎が、登場したことをかすかに記憶をしているからです。で、11日にその録画番組を見た後で、ネットで、検索をかけて行きました。

 伊藤玄二郎は、【詩とファンタジー】と言う雑誌を運営しております。そのどこかにあるはずだと思いました。ところがですね。昔は、充分に検索ができたその過去分の検索ができない様になっております。これは、私が何をやりたいのかを察して、瞬時にバグをかけて、それを見られない様にされているか、または、別の通路へ誘導をするために、そういう風になされているのだと、推察しております。ともかく、【詩とファンタジー】の【まどみちお】特集を確認することができませんでした。ところが、それとは別に、ものすごい情報が手に入りました。

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副題6、『伊藤玄二郎は、自民党副総裁、谷垣禎一氏の対談集、興味津々を手掛けて、自民党に、大きなパイプを作っていたのだった。それが、安倍総理が、鎌倉エージェントのいう事を唯々諾々として、聞いてしまう、源泉だったのだ。

 それは、前田夫妻に教唆されてでしょうが、散々なことをやってくるお隣さんに関して、生殺与奪の件を握る情報がネットからではなくてある人間を通じて、ひょいと手に入った時以来の、衝撃的な出来事でした。

 欣喜雀躍をせんばかりの情報でした。まったくそんな情報が手に入るとも思わずに、ネット検索をしていたら、重要な情報が手に入ったのです。しかし、その書物【 対談集、谷垣禎一、興味津々】については、ここでは、その存在が意味するもの他、一切触れません。別章を立てて語りたいからです。ここに、副題6として入れるにしては、もったいないからです。

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副題7、『ただし、アマゾンでは、買えないのだった。それで、ますます、その書物が重要である事が、私にはわかってくる』

 でね、必要な書物ですが、新刊で買う必要もないと思いました。と言うのも、私にとって必要なのは、まえがき、あとがき、奥付けだけなのです。それが、重要な政治的な解明を与えてくれるのでした。

 つまり、どこか、別の雑誌で、谷垣さんが、対談をしたものを集めて、一冊の本に仕上げたのか、対談そのものを伊藤玄二郎が、おぜん立てをしたのか、の、どちらかで、政治的な意味合いが、まったく異なってくるからでした。

 で、本文は読まないつもりですから、古本でいいと判断をしました。で、アマゾンを見ると、251円です。新刊を買う場合は定価が、税込みで、1964円ですが、アマゾンでは、安い。前書きと、奥付と、あとがきを見るだけなら、251円でいいと判断をして申し込むのですが、買えません。副島隆彦の書物が、1万円分買えなかったのに続いて、アマゾンで、飼うことを妨害された本となりました。

 これは、支払いに進むところにバグを入れ込められてしまって、支払い方法が、決定できず、したがって、それから先には進まないのでした。それで、『こういう、何度もすでに経験しているありきたりだが、有効でもある、妨害を受けるとは。は、は、は。やはり、重要な書物ですね』と、判断をして、鎌倉の街へそれだけを買いに、12日の夕方、山を下りて行きました。

 さて、帰宅して、精密に、まえがきと、あとがきを読んで、私は、自分の目的がかなったことを知りました。『良かった。よかった。ラッキー。ラッキー』と喜びました。そして、丁寧に、丁寧に、まえがきとあとがきを読みました。すると、その本は、伊藤玄二郎本人が、大きな力を入れて出版をしたことがわかりました。鎌倉春秋社発刊のものは、最近では、田中愛子名での出版が、おおいのですが、その名前ではなかったからです。

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副題8、『えっ。驚いた。伊藤玄二郎って、関東学院大学の教授ではなかったのですか❓』

 その書物が持つ、政治的意味については、別章を立てて語りますが、意外にも余得として、他の情報に接することができました。そちらも、いろいろな、意味を成しますので、追跡して行きたいと思います。

 その書物には、伊藤玄二郎が、深く、深くかかわっているので、なんと、著者の経歴以外にも、伊藤玄二郎の経歴が短く、記されていました。

 その時、最も驚いたことは、彼が、2014年12月の、その本の刊行時期には、関東学院大学の教授を辞めていて、星槎大学の教授になっていると、いう事でした。

 ここに彼の本質が出て居ると思うので、丁寧に私の推理を、語っていきたいと思います。

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副題9、『関東学院って、三浦半島では、長らく私学の雄だったのですよ。だけど、伊藤玄二郎の方から、捨てたのかな?』

 私立の大学って、定年が、73歳までと聞いたことがあります。で、伊藤玄二郎は、2015年10月現在は、71歳の筈ですから、充分に、勤務し続けられるはずです。

 関東学院って、ミッション系だと思うのですが、小学校から大学まであります。で、高校段階で、外部の大学へ、受験を許しているらしいので、人気のある学校の方だったと思います。感覚としては、【三浦半島にある青山学院】と言ったところでしょうか? ただし、その後、神奈川県に、新しい私学が、いくつもできたのです。だから、人気が落ちた可能性はあります。だけど、それで、伊藤玄二郎が逃げ出したわけではないと思いますよ。違う理由があるでしょう。でも、コンセプトとしては、沈みゆく船から逃げ出すという形だったはずです。

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副題10、『伊藤玄二郎とは、落ち目になり始めた人や、組織を捨てる常習犯である』

 違う理由がある可能性を感じています。それは、沈みゆく船を見放すという、要領の良さであって、これが、人生で、初めての事ではないでしょう。常に計算をしていて、少しでも、いい方を選ぶ主義なのです。

 彼は、1962年か、3年に、河出書房へ、入社しているのですが、当時、破産をしそうだった、河出を、たった、一年で、逃げ出しています。しかし、豪華本(実物がどうしても探せないので、想像でいうのだが、豪華本の筈だ)『びょんぶ』を河出書房新社から出しています。それは、ポルトガルにわたった、日本の屏風について、書かれた本であって、彼は、その本によって、ポルトガル国からエンリケ皇太子勲章を得ています。以下、延々と続きを、15日の午後に書く予定だった。しかし、突然に予定変更を強いられた。それは、

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副題11、『ここで、脅かし用、ワンギリ電話が入る。それは、2007年ごろにも、頻発した現象だった』

 上の~~~罫線のところまで書いて、以下のお断りを入れ、パソコンをシャットダウンして、主婦業へ入ろうと致しました。

 すみませんが、これ以降は続くとさせてくださいませ。外出をしたので、疲労困憊なので。その時、正確な時刻は、15日の午前零時55分ぐらいだったでしょう。その時に電話が鳴りました。ワンギリです。

 これは、2007年ごろの、真夜中、本当に頻発した現象でした。脅かし用の、現象です。それが、月刊ギャラリーの連載が急に終わらせられたころに始まったので、月刊ギャラリーの連載中止が、鎌倉エージェントの差し金であると、確信をした次第ですが、その後、原発について、活発に、第一次フェイスブックで、投稿をしていたころに、数回起きて、それ以降、ずっと収まっていた現象です。本日、ほぼ、4年ぶりに、復活したというわけです。

 私は私を弾圧する連中を、鎌倉エージェントと名付けて、何と頭脳レベルが低い事かと言い続けてきました。だけど、本日のこのワンギリ程、彼らの、単純さを示したものはありません。

さて、赤字で書いた部分を、いったんシャットダウンをした後で、起動をして入れましたが、また、また、家事に戻りたいと思います。で、今度こそ、本当にシャットダウンをして、明日15日の午後に、続きを書きますと、言わせてくださいませ。

 なお、この続きは、2015年の10月23日になって、書いています。それは、あと注2に於いておきましょう。

後注1、

アンカラ爆破事件に際して、二枚舌を使った安倍総理には、今まで以上に深く失望をする△  2015-10-12 20:10:53 | 政治

後注2、

谷垣禎一氏の対談集【興味津々】を伊藤玄二郎が企画した・・・それが、あらゆる異常なニュースを解く鍵だ  2015-10-23 07:06:22 | 政治

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