銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ポールルイスと、王子ホール

2012-10-17 18:50:48 | Weblog


副題1、『銀座の王子ホール一押しの、ポールルイスについて』

 銀座を歩いていると王子ホールの玄関にお人形さんのような顔写真があって、それは、近寄って見ると、ギター演奏会のポスターでした。

 パクキュヒ(朴 葵姫)という若いギタリストです。で、私は、その日かな、『無理すれば、これを聞くことができるな』とは思いました。銀座の画廊巡りは、早めに始めたので、7時からそれを、聞くことは可能です。
 実は王子ホールの会員には既になっているので、予約して音楽会に行きたいとは思うのですが、これも邪魔されている可能性があります。

 どういうことかというと、イギリスの若手ピアニストで、ポールルイスという人がいます。イケメンです。スタインウェイ推薦アーチスト、1000人目に選ばれるなどというエピソードも加味していて、世界中で大人気です。ある程度以上にシンデレラボーイ扱いを受けている人ですが、「彼が表舞台に登場して光が当たったのはブレンデルに見いだされたからだ」と王子ホールの事前のチラシにはかいてりました。

 ここで、ポールルイスというピアニストについて説明をしたいのですが、グーグル検索の中で出てくる王子ホールインタビューというのが秀逸です。このブログ内URLはリンクが効かない形となりますが、あなた様がコピペしてその記事を読んでくださる場合を考えて書いておきましょう。
 http://www.ojihall.jp/topics/interview/paul_int.html

 それは家がお金持ちではなくてピアノも家にはない音楽好きの少年が、どうして、プロのピアニストに、なることができたかかを説明していて、本当に秀逸なインタビューです。
 ポールは8歳ごろから図書館で、交響曲のレコードを借りまくっていたそうです。
 「親が、音楽の専門家ではなかったという環境が返ってよかった」とポールは言っていますが、ありえます。親がすでに専門家だと、家庭的な環境はよくなるがプレッシャーも大きいです。が、愛情豊かで、子供を支援するご両親だったみたいで、心理的なサポートは十分しています。それは、幸せな少年と言えるでしょう。
で、地元の普通の学校に掛け合って学校で音楽の専門教育を受けられるように取り計らってもらいました。
 で、チェロが好きな先生のもとで、学校のオーケストラで、チェロを担当していたのですが、同時に学校のピアノを使わせてもらって、自学自習で、どんどん弾いていったらしいのです。これも海外の特徴です。
 日本って、いろいろな規制があって、学校のピアノも無論鍵がかかっているでしょう。放課後に、子供が自由にさわれるものでもありません。『時々熱心な先生がいて、子供にピアノを指導してくれるとか。だが、実際にはエッチなことが目的だった』などというニュースが日本では起こります。
 だから、日本でクラシック音楽の教育を受ける場合は、親がある程度以上に経済的な豊かさがあり、先生について、個人レッスンを幼少期から受けるということになります。

 ポールはずっと自学自習でやって来てて、12歳からピアノをはじめ、普通学級の級友から「ダサいなあ」と言われていたそうです。が、14歳で、やっとチェルトナムの音楽学校へ入りました。その後ロンドンへ転校しています。
 ともかく、海外では、純粋に、レッスンをしたい子供は、自由に学校のピアノを触れる可能性はあるのです。親と先生との関係がいいのですね。信頼し合っている。

 それが日本にはないのです。規制ばかり強くて、本当に子供、または、志の高い大人が自由に学べる環境は日本には、なかなかないのです。お金をかければなんとかなりますが、それでもどのレッスンも、二時間とかう制限をかけられていて、プロの仕事ができるわけでもないし、プロになる修行ができるわけでもありません。カルチュアセンターはおおはやりですが、2時間以上レッスン可能なお教室って少ないでしょう。版画工房なども同じです。
 それが、私が無理をしてでも、海外へ行きたいと願った本当の理由でした。三回ほど、三か月ずつ滞在した理由でした。私の仕事とは一仕事でも、10時間ぐらいはかかるものですから。

 で、ポールに戻れば、いつも自由に学校でピアノを弾いていました。それも楽譜を買ったわけでもなくて、図書館のレコードから曲そのものを耳で覚えて。そこがすごいですね。素晴らしいです。でも親に半強制的に勧められているわけでもないし、先生の料簡が狭くて、小さいことを注意し続けたということもない、主体的な勉強だから、非常に楽しい勉強時間だったと思います。だから、生き生きとした表現ができるので、王子ホールが一押しだというのもわかります。
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副題2、『ブレンデルについて、少し書きたいです』

 ここでポールルイスについてのまとめが終わっていないし、この文章の目的も展開していないのですが、でも、ポールから、離れて、ブレンデルについて語らせてくださいませ。彼については何度も書いているので、名前の変換がおかしくなります。ブレまでは、カタカナで変換されますが、ンデルという後半部分がひらがなで変換されます。つまり、バグを入れられているわけですね。
 そこが、政治を感じるところですが、ブレンデルそのものは、政治にはまるで、関係がありません。まあ、ご本人は第二次大戦とその前後でご苦労はなさっているでしょう。1931年生まれだから、その時期は10歳前後で、記憶も定かです。ただ、対私という意味では、利用をされたこともありません。
 
 ポールルイスは、イギリス人で、ブレンデルはチェコ生まれ、クロアチア育ちで、オーストリア国籍の人です。国籍はともかくとして、音楽の印象が、だいたいがドイツ系で地味ですが、1980年代かな、私がそのころに、必ず聞いていたN饗アワーでは、際立った印象を残したピアニストで、同じく際立った印象を受けた野島稔とともに、私としては、大好きなピアニストです。
 で、そのブレンデルに、イギリスの若者が見いだされたとなりますと、ヨーロッパに住んでいる人たちの地形的な有利さを感じますね。日本とはまるで違うところです。飛行機が飛んでいる時代でも、誰か、ピアニストがブレンデル会いたいと思えば、アポを取って、スケデュールを調整して、オオゴトになります。ところが、ポールルイスとブレンデルの間柄は、それほど、オオゴトではなくて、自然な形で始まったと思います。そのころ、ポールはまだ無名だったわけですから、これは、大幸運でした。もし、ちょっとした演奏会を聴いてもらうか、CDを聞いてもらうことで、「いい才能を持っている」となって見いだされたのなら、本当に幸せでした。
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 今、丁寧に先ほど皆様にお勧めしたインタビュー記事を読むと、ポールが18歳ごろ学んでいたギルドフォード音楽演劇学院(ロンドン市立で、有名な俳優が数多く出ている)の特別クラスにブレンデルが講師として招かれていて、その後、自宅でレッスンを受けてみないかとブレンデルの方からお誘いがあったそうです。
 そして、音楽表現の魂みたいなものを教わったそうです。
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 本日の主題のひとつは、ブルジョワでなくても音楽の才能は発揮できるし、プロの演奏家になるわけではなくて、ただ鑑賞者としてなら、十分に、その才能の開花は可能だということです。CDを買う。また、私は持っていませんが、(というのも音楽が好きなだけにわざと買わないで、敬遠をしている)i-pad などを利用する。または、ポールみたいに、図書館の音楽蔵書(CDや、ヴィデオ、DVD)を利用する。それで、可能だと思います。
 ただ、プロの演奏家になるとか、なってから成功への道をたどれるかどうかは、私には、何も言えない分野となります。
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副題3、『ポールルイスの演奏会に、NHKが来ていない。変だ』

 そういう輝かしいスターが、シューベルトのピアノ曲の全曲演奏に取り組み、それを、世界ツァーで、披露すると言います。しかも、王子ホール一押しという形で、やるとのことです。これは、行きたいですね。それで、第一回目に行きました。私も入れ込んでいてね。珍しく、主人も誘いました。本当は東京まで行くのをひどく嫌がる人で、しかも夜外出するのを嫌がる人なのにです。

 申し込んだのが、1月でしたが、すでに満員で、2人でもバラバラに座り、しかも、一人は最前列です。それは、かまわないのですが、演奏会は、例の3.11のほぼ一か月後でした。

 会場は大盛り上がりです。フランス大使館および、アメリカ大使館が、自国の長期滞在者、および旅行者に、日本から脱出して自国へ帰るように勧めていた時期ですから、ちゃんと予定通り来てくれたポール・ルイスに対する感謝の気持ちもあってね。お隣の人は名古屋から来ていて、しかも、本日中に家へ帰るという音楽好き。

 ただし、ここで、しれっと言ってしまうと、私はポール・ルイスはだめですね。世界中の人がきゃあーきゃあ、言っていると聞くほど感動できません。ただし、曲目が、知らない曲だったということもあるし、私が年取って来ていて、感性が鈍くなっているかもしれませんから、ここの読者は、そんな私の評価は受け止めないでくださいませ。
 そして、ここで、この2行を書くと、朝日新聞をはじめとする日本のメディアが、盛んにポールルイスを取りあげて、大ブレイクをするかもしれません。(笑)待ちましょう。それも書いておかないと、彼女(=雨宮舜)の批評はだめだということになりかねないので、期日を記しておきます。ポールルイスのシューベルトを聞いたのは、2011年の4月17日です。
 これは、福島第一原発の爆発の一か月後であり、
 私が、このブログで、原発燃料について科学的なことを書き続けていたころです。
 ですから、読者に、申しわけない気持ちがして、このブログではあれこれを書いていませんが、その日に、『やられている』と感じた敵の攻撃はありました。
 
 それを、一年半後の今、書いておきましょう。それは、王子ホール一押しであるのに、NHKカメラが来ていないことでした。私がBSプレミアムないにクラシック倶楽部という番組があることに気が付いたのは王子ホールの音楽会を聞き始めてからです。よくNHKのカメラが入っていて、その放送日時などの案内がホールないに出ていました。それほど、熱を入れている音楽会にNHKが来ていないのはおかしいです。クラシック倶楽部では、王子ホールは常連です。
 その時に、ふと、王子ホールのパソコンに敵は侵入しているのだ。それで、私が会員であることも、今回のポールルイスの切符を買ったことも敵は知っている。で、わざとブログを書かせないがために、NHKクラシック倶楽部が、録画には来なかったと感じています。

 このブログが存在しているのが、困るのは、伊藤玄二郎だけではありません。なら、何もやらなければいいのに、総額五億円にも上る被害を与えられているから、次から次へと書きますね。でも、種々様々な手法を用いて、このブログの人気が上がらないように工夫をされています。その一つが、種になりそうなことを予防するです。王子ホールのお客さんはクラシックが大好きな通です。
 もし私がポールについて書くとクラシック好きな新しい読者がここへ参入してくることとなります。そういうケースはほかにもありました。菊池選手の西武入団前後のことです。菊池選手について書くのを阻害する目的なのか、ウエブサイトで展開する、菊池選手に関する情報がぶるぶる震えて読みにくい日や、別の日には紗がかかったように半透明で同じく読みにくいとか。
 そして、NHKクラシック倶楽部は、ポールルイスを、一回収録していて、ごく最近それを放映しました。それは、シューベルトのチクルスツアーとしては、第四回目のもので実際の演奏会は



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