銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

シャルフベック展、尊厳の芸術展、ミリキタニの猫・・・・・そして、従軍慰安婦像

2015-07-17 00:09:28 | 文化、芸術、書物

副題1、『シャルフベック展に行って来ました』

 ところで、突然にムードを変えて申し訳ございませんが、

 この間、シャルフベック展に行ってきました。ずいぶん前なのですが、今、私のFBの頁の右側に、その宣伝が、出るのです。何度も。

::::::::::: ところで、ここで、挿入ですが、シャルフベック展の話に入る前に、少し、お断りをしないといけません。すみません(苦笑)が、FBを再開しています。FBを立脚させる基本の、メルアドは、以前とは異なっていて、以前は、AtelierCK@aol.com で、FBをやっていましたが、今は、OCNのメルアドを使ってやっています。ところで、OCNのメルアドは、日常的には、開きません。ほとんど、使っていませんので、もし、ご連絡の御用がございましたら、ひきつづきAOLの方を使っていただきたいと存じます。::::::::::

 で、『シャルフベック展のことを書くべきサインなのかしら? これは?』と思い至って、それに入っていきたいのですが、そんなにたくさん、その宣伝の頁が現れるのにもかかわらず、不思議なことに、FB用のシェアのアイコンがないのです。で、シェアは、できません。芸大って、国立大学だから、宣伝をしないつもりなのかしら? 特に『庶民様に、宣伝をしていただく必要はないです』と、お高く留まっているのかしら?(苦笑)

 ひがんではいけませんね。ところで、私は庶民ですから、この展覧会については、テレビの日曜美術館で、紹介をされて知りました。で、庶民中の庶民として、その感想を書かせていただきたいです。

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副題2、『芸大美術館に入るのは、【尊厳の芸術展】以来だった』

 芸大美術館の展覧会に行くのは、たぶんですが、【尊厳の芸術展】以来です。

ところで、【皆様は、尊厳の芸術展】を覚えておられますか? アメリカへ移民として渡った日本人たちが、1940年代に、砂漠の真ん中にあるキャンプ等に収容されました。家や財産を失ったのです。そういう季節に、物が何もない中で、美術作品を作っていた、その制作・結果を、あつめて、展覧会へと、持って行ったものです。材料は昔々、そこが海だったころの痕跡である貝殻、とか、倒木(枯れ木)を使ったものです。

【尊厳の芸術展】は、大変な反響を呼び、大勢のお客さんが、詰めかけていました。それに比べると、【シャルフベック展】は、入場者は、少ないです。でも、純粋に、芸術作品に接したという感じを受けます。いわゆる、本当の絵であって、久しぶりに、「事前の情報や、宣伝よりも、いいものを見た」という感じを受けました。会場のお客さんたちもDVD(短いもので、NHKの番組より簡単だったが)を、見てから帰る人が多かったです。『より深く知りたい。この人を』と言う思いに打たれたのだと思います。

::::::::::ここで、またまた、挿入に入らせてくださいませ。芸大美術館って、ショップが充実していますね。そこから、カフェに入れます。でも、二階のカフェではなくて、一階の学食へ向かいました。私は壁際の席で食べていたのですが、窓際の席に、7,8人の外人が居ました。若くて、美形です。で、『今の芸大って、これほど、たくさんの留学生が来ているのかなあ?』と、考えます。ただ、お客さんである様な気もします。それで、私は自分の退出時に近寄っていき、学生なのか、お客さんなのか、どちらであるかを質問してみました。するとパリのボザールの学生で、訪問客だそうです。芸大の学食はおいしいということで評判が高いので、危うく「おいしかったですか?」と質問をする処でした。もし、「おいしかった」とでも、言ってもらえたら、このブログで、それを報告できますし。ただ、芸大は、自分の母校ではないのだから、『おいしかったという感想を聞いてもねえ』と、思って、その質問をひっこめました。そして、「オーヴォア」と言って去りました。

 ただ、ここで、特記したいことは、全員がたいへんきゃしゃで、かつ美形だったということです。フランス人は、・・・・パリへ滞在した時にも感じたのですが・・・・・私の予想に反して、小柄です。アメリカ人とは違います。でも、目の前にいるボザールの学生は、それら小柄なフランス人の中でも、特に華奢でした。そして、とくに美形でした。日本でも、芸大の学生は華奢ですよね。少年少女期に、お勉強を、たくさん、やって来ているから。共通するのだなあと思いました。そして『恵まれている人々よ。幸多かれ』と心の中で、祈りました。卒業するといろいろな人生が待ち構えているでしょう。:::::::で、挿入から元へ戻ります。

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副題3、『その、二つの展覧会を比較して感じた事』

 【尊厳の芸術展】は、大変な反響を呼び、大勢のお客さんが、詰めかけていました。それに比べると、【シャルフベック展】は、入場者は、少ないです。でも、純粋に、芸術作品に接したという感じを受けます。いわゆる、本当の絵であって、久しぶりに、『事前の情報や、宣伝よりも、いいものを見た』という感じを受けました。会場のお客さんたちもDVD(短いもので、NHKの番組より簡単だったが)を、見てから帰る人が多かったです。『より深く知りたい。この人を』と言う思いに、打たれたのだと思います。

 【尊厳の芸術展】は、長くても、7年間ぐらいの間の制作品です。それに、環境が劣悪です。だから、ごく少数の人を除いて、高度なものはできなかったわけで、質の高低を論じるべきではありません。だが、作品の奥に、深い精神が、見えるという意味では共通しています。

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副題4、『シャルフベックを、ハイレベルな画家とした、二つの失恋の話』

 シャルフベックは、小さい時にけがをしてしまい、学校へは、通えなかったのでした。でも、経済的には恵まれていて、大体幸せで、絵も勉強することができました。が、父親が早く亡くなります。でも、割と小さい絵ですが、詩情あふれる【雪の中の傷病兵】が、コンクールに入賞して、学費が出て、パリへ遊学します。それは、とてもいいことだったでしょう。パリだけではなくて、イギリスとか、イタリアにも行ったみたいですね。

 そして、その後は、ずっと、静かな生活に入ります。これは、若い日に出会った、イギリス人から、突然の婚約破棄をされたことが原因らしいです。このイギリス人については、後世の人には、名前さえもわかりません。それは、シャルフベックが深く傷ついて、友達にあてた手紙さえ回収して焼き捨てたらしいからです。

 しかし、シャルフベックは、やがて、この傷から回復します。自分自身を描くことではなく、病気の少女に仮託して、【快復期】と言う絵を描き、これが、大評判になるのでした。

 北欧の画家であって、北欧の森林の中で暮らします。母親とは、いっしょだったみたいですが、東京在住の日本の画家などと比較するとぐっと静かな生活だったと言えるでしょう。テレビもむろんなかった時代ですし・・・・・孤独が芸術を深めた模様です。

 シャルフベックの絵には物語が、ひそやかに込められています。この【快復期】と言う絵には、その背景にあった恋愛等が、しっかりと、解説されていますが、他の絵も、なぜか、物語がある様に感じるのですよ。
 筆のタッチとか描法は、マリーローランサン風です。が、精神性の深さと言う点では、シャルフベックの方が深いでしょう。色も深みがあります。
 マリーローランサンは、体の不自由がなかったわけで、しかも、恋愛も成就していますね。だから、生活力と言う意味で、より、たくましいし、絵もたくさん売れていたと、推察できます。
 反対にシャルフベックは、絵は、そこそこに売れていたのですが、生涯にわたり、結婚することはありませんでした。

 それは、二つ目の恋愛も、成就しなかったからです。森の中に住んでいたので、森林を管理する青年エイナル・ロイターと、恋愛が始まりました。非常に心が通っていたらしいのですが、どうしてか、相手は、別の女性と結婚をします。それは、<シャルフベックの方が年上だった>とか、<芸術家と結婚をすると大変だということを青年が解っていた>ということもあるでしょう。

 この点なのですが、やはり、創作をする人は、きついのです。深い集中をしますので、「一般の人に比べれば、きつい人間だ」ということになるでしょう。気楽に、いっしょに居る事はできないタイプです。良い、悪いは別にして、そういう事なのです。それほどの、きつさがないと、創作など、やっていられません。

 エイナル・ロイターには、それが、分かっていたとも言えますね。

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副題5、『女性芸術家には、ファンは必要だ。連れ合いは、不要でも・・・・・そして、不幸であることも必要だ』

 しかし、彼は、シャルフベックを深く理解をしていて、死後、彼女に関する本を出します。それで、シャルフベックの芸術家としての命が、長らえることと成りました。よかったですね。

 女性芸術家にとって、結婚することは難しい要件です。両立しがたいと、私は思っております。でも、誰かが、事跡を継承してくれた方がいいのです。姪、甥でもいいのですが、彼女の様に、純粋に理解をしてくれる、ファンが居たのは、本当に良い事でした。

 そして、結果として大芸術家になる人たちは、ある程度以上に不幸です。ご本人たちは自分の事を、幸福だとも不幸だとも判断をしておらず、ただ、必死に生きた、人生だったと思います。だけど、一般人から見たら、不幸です。
 しかし、傑作ができたという意味で、神から愛された人たちなのです。

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副題6、『最近、シカゴに従軍慰安婦像ができたと聞くが・・・・・韓国人はニューヨークで、<世界で一番、自分たちが偉い>というぐらいに威張っているのだ』

 ところで、16年間、パソコンを利用して文章を書き続けてきている私の文章は、最初期には、芸術の問題が多かったのでした。しかし、最近では、社会の事、政治の事へ傾いています。それは、自分の身に数々の異変と不幸が押し寄せているからですね。『どうしてこうなるのだ』と言う理由を、解明したいという願いからです。

 それで、シャルフベック展を見ても、思いは、【尊厳の芸術展】に向かい、日米関係に向かい、日米韓の、三国関係に向かいます。

  この間、シカゴに、『従軍慰安婦像が建てられた』と言うニュースが飛び込んできました。朝日新聞がね「従軍慰安婦問題は、自社のねつ造だった」と言っているのに、全米では、従軍慰安婦像が、何度も話題になっています。

 私はニューヨークに、三か月ずつ二回滞在をしているので、芯からわかっているのですが、韓国人とは、とても激しい情感を示す、人間たちです。私は、57歳の時に、PRATTと言う美大の大学院で、現代美術の講義を取っていたのですが、それが、一学期分2000ドルです。当時のレートで、26万円ぐらいだったと覚えております。大体10回分ですから、一回分が、2万6千円です。そこへある日、韓国人が二人やってきました。教授は彼らが、どういう人間であるかは、分かっていらしたみたいで、丁寧に対応をなさっていましたが、24人ぐらいいる他の学生は、あっけにとられた二時間でした。彼らは、非常に背が高くて、英語はペラペラでした。180cmを超えていると思われます。

 美大に通学している学生と言うのは、上の方で言ったパリのボザールと同じで、アメリカでも、小柄で華奢な人間が多いので、その二人の韓国人には体型的に圧倒をされます。30cmぐらい彼らの方が高くて、骨格もまるで違うからです。が、さらに異常だったのは、二時間、あたりを全く気にせずに、教室をハイジャックしてしまったことです。彼らはまるで速射砲みたいに英語をバンバン発して、他の学生には論議に参加させないのです。そして、教授をも独占します。教室で一番賢いスペインからの留学生(女子)が、必死になって口を挟もうとしますが、二人の韓国人の、特に女性の方が、背の低いスペイン人女子学生を一顧だにしないのです。しかも、授業終了の鐘がなっても、他の学生に「失礼しました」とか、「迷惑をおかけしましたね」と言う種類の、言葉はともかくとして、so long とか see you later  とか take care(=さよならを簡単にいう場合の用例)と言う、あいさつさえしないのですよ。なんという傲慢ぶり。

 これは、1999年の美大での話ですが、街へ出ても、韓国人は威張りかえっています。移民第一世代は、グロサリーストア≪食品関係の何でも屋)を開いていて、地下一階で、メキシコ人に調理をやらせているケースが多いのです。よく見ています。メキシコ人って家族関係がきちんとしていて、誠実なのです。南の国の人たちですが、きちんとしています。だから使います。一方でアフリカンは、エリートは抜きんでてエリートですが、下層階級は、家族関係も崩れていて、したがって、働き者ではないのです。よく見ています。そして、バンバンお金をもうけて、二代目や三代目をエリートへと仕立てていきます。

 一方で、日本人は、駐在員と、元からいる移民系の人と二種類いるわけです。駐在員の方ですが、内心では、威張ってはいるのですが、目は日本に向いていて、在ニューヨークでも、日本人社会の中にいて、アメリカ人の中に、入って行こうとしないので、影が薄いです。もう一つ、移民から、アメリカ市民権を得ていった人たちも、次に述べる理由からおとなしめです。それは、第二次大戦中に、砂漠の中に設立されたキャンプに強制収容をされて、いったん財産や、身分をすべて失った経験があるので、控えめの極地で暮らしていると、見えます。

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