銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

・ち・よ・こ・れ・-・と遊びは、浜銀の、東日本銀行との合併を招いたかな? そして土師淳君殺しと、絶歌も関係がある?

2017-03-04 22:36:25 | 政治

   これは、前報

記憶の中から大切な事が蘇って来た・・・・・雪の下では、・ち・よ・こ・れ・-・と遊びは、やってはいけないのだが、その真実の理由を、思い出したのだった      2017-03-04 20:26:27 | 政治

の続きです。そして今は、6日の午前十一時ですが、後半に、さらに加筆をして行きます。昨日、二日目でさえ、伊キグレをしてしまって、後半が不十分な表現になって居ると、思います。そこを加筆して行き、さらに、意味が通りやすくさせていきます。

副題1、『この章を書き始めるにあたって、お断りをしたい事』

・ち・よ・こ・れ・-・と遊びとは、子供の遊びですが、それが、きわめて政治的な意図で、攻撃策として、ここ、私の住まいのある鎌倉雪ノ下では、使われています。

 それは、40年前の出来事ですが、北久里浜において、一種のネグレクトをしている銀行マンのご家庭があって、そこから発した出来事です。母親が、男の子だけを偏愛していて、女の子の方は、幼稚園にもいかせていないというご家庭(=・J滝・家)から発した事案です。

 そして、元海軍参謀であった、益山重夫氏が、横須賀市の水道山を、自分の私有地用に、お金を支払わないで、分捕って行く過程において、重要な役割を果たした一家です。

 そして、こちらの方は、将来ともに真実が公表をされることがないでしょうが、横浜銀行と、新日本銀行の合併は、このJ滝家と、我が家の間に発生したトラブルを、起点にして、交渉が進んだと、私は推定しています。それは、後段で、詳しく語ります。

 地籍変更届を利用して、たった、一坪にも満たない、面積の土地を、1200坪に・・・・・ただで、・・・・・拡大をして行った、実質的な、犯罪を行った際に、益山惠夫氏は、J滝家には、車返し部分、3坪程度(当時の地価では、90万円程度だけれど、改築とか増築の際に、大きく自由度が増す)を、与えると、約束しました。それは、ミスターJ滝が、得意満面になって、私に語ったところなのです。(苦笑) だから、真実です。

 しかし、私の方には、

・・・・・横須賀市に、益山家が持っている私道部分を寄付するので、そのために、お宅の実印が必要です・・・・・という嘘を言って、押印を迫ったので、私が激怒をしたのです。J滝家と比較をして、こちらを軽んじすぎているからです。

 それで、委細を調べ始めて、たった三か月のうちに、この事件の隠された裏側を、詳細に、把握しています。40年後の今でも、きちんと説明ができます。

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副題2、『J滝夫人の、父親は、戦死したと、聞いている。したがって、子供のころに、貧しかった可能性があり、そのせいか、J滝夫人は、お菓子というものを、家の中に常備をしていない模様であった。お菓子と言っても、袋菓子の類だが、それを、用意していない模様だった。その為に、そこのお子さんは、我が家に、準備してある、いろいろな、種類の、袋菓子に異様な興味を示した

 J滝家というのは、奥様が、非常に、質素な家計運営をしているらしくて、お菓子を子供に買って与えていません。それだけなら、その家固有の方針だから、「どうぞ、ご勝手に」と言うしかないのですが、

 さらにお金をケチっていて、子供の、うち、娘の方を幼稚園に行かせていないのです。今の言葉で言うなら、心理的な意味でのネグレクトなのです。貧乏ならそれなりに、同情をしますが、貧乏じゃあないです。夫婦そろって、結婚前は、同じ銀行に勤務していたと、思いますよ。金融機関は、高給なことで、有名な時期でしたから。きっと、お金をさらに、貯めたいのでしょうね。それで、金銭的には、さといので、投資信託、または、国債とか社債の類でも、毎月、2~3万円分を買うつもりだったのでしょう。だから、当時は、一万円だった、幼稚園の月謝を。かわいくない方の、子供には、支払いたくは、ないのです。

 ここで、二日目に加筆をします。大量に。

 副題2の二重ガッコの中に書いた様な事情を、既に聴いていたので、私は、J滝家のお嬢さんから、大変な反抗をされて、もう、手に余して、ストレスが一杯になり、歯も、根冠・治療をしないと成らないという体たらくに陥った、数か月を送ったのですが、それでも我慢をしたわけです。

 ただね、本当のことを言うと、1950年代から、1960年代にかけては、就職差別があって、片親だと、厳しいのだと、聞かされています。ましてや、銀行です。しかし、J滝夫人は、ご主人の勤務している常盤相互銀行で、ご主人と出会い、恋愛結婚に至ったと、私は推察していましたので、よほど、頭がいいのか、親戚が、立派な人なのか? または、苦労をしたが故の、複雑な性格と、しぶとさがあるのか? などと、あれこれ、思案をしておりました。
 ともかく、就職差別を乗り越えた人なのです。そういう事を、踏まえたうえで、これからの事を語るのですが、

  J滝家の夫婦間の会話を見てきた様な嘘を言いで、語るのですが・・・・・いつも、子供が集まっている家が近所にあり、その家の、主婦は、子供たちの面倒見がよくて、子供に好かれている。だから、あの家に預けておけば、小学校に入学するまでは、持つわよ・・・・・と夫婦で、幼稚園の入園試験がある前ごろには、話し合って、居たと思います。で、私の、子育て力に、期待して、幼稚園に行かせなかったと、思います。J滝家にとって、好都合な、そのご近所の家というのが我が家です。

 しかし、という事は、我が子(特に女の子の方で、二月生まれだった)にとっては、3歳も年上の子供が毎日遊びに来るということになり、この年齢ですと、簡単に支配をされてしまって、子供の力だけでは、逆らえません。二歳児にとって、五歳児は、二倍以上の知恵と、体力を持っているのですから。

 しかも、女の子って、家の中で遊ぶのが普通です。ただ、驚いたことに、数日のうちに、二人が、10時まで待てずにいて、お菓子を盗み食いをする様になったのです。それも、我が子を誘うのですから、本当に困りました。しかも、どこに隠していても、盗んでしまうのです。「忍者か、お前は?」というほどに、すばしっこくて、しつこいのでした。

 私は、実家が裕福だったし、家を建てるにあたっても、親の援助は有ったしで、生活費に、工夫をするという感覚は無くて、『大体、自由にものを買っても、借金をしないで済む』という感覚の人間です。だから、袋菓子は、いつでも、数袋、家に用意してあります。

 むろんのこと、叱ったり、また、お菓子の方を隠したりしましたが、五歳児の、すばしっこさには、負けました。それほどに、普段、お菓子を与えてもらっては、居なかったと推察されます。珍しいし、おいしいので、どんなに叱られても、工夫の限りを尽くして、盗んでいくのでした。

 あまりにも、大変な状況になったので、ある日には、『二階の押し入れで、隠れて食べているな』と、判断をしたうえで、J滝夫人を呼びました。

 そして押し入れのふすまを開けました。すると、下の段に置いてある客・布団の中に潜り込んで東鳩のキャラメルコーンと言うのを盗み食いをしていました。白いシーツを生キャラメルで、べとべとに、汚しながら、五歳のその子と、二歳、二か月の我が子が盗み食いをしていました。

 J滝夫人が、そういう状況を、初めて見て、恥を搔かされたと、思ったの、判ります。だけど、いつも言っているでしょう。保育所に預けるのは反対だと。こういう風に自由に遊ばせている内に、子供は自由自在な行動をとります。それを見たうえで、叱ったり、教育をして行かないといけません。正しい叱り方をして行かないといけません。J滝夫人は、この女の子に対しては、この盗み食いを目の前に突き付けられるまでは、必要なことを何も行ってこなかったと、思います。

 お兄ちゃんの方は、フロイトの、言う異性の子供はかわいいの典型で、幼稚園にもいかせていましたし、面倒も丁寧に見ていたと、思います。だから、『おとなしすぎるのではないかな?』と、思う程でしたが、ちゃんと物事の判断をできる子でしたよ。妹の方は、事、お菓子への欲望に関しては、・猿・みたいな野生児でした。

 このお嬢さんに必要なことは、まず、お母さんは、真実の愛情に目覚めて、幼稚園に、一年保育でもいいから、通わせることです。そしたら、同年齢のお友達ができます。同年齢のお友達の家に行って、お菓子を盗み食いをすることはできないと思いますよ。相手のお嬢さんが、力量的に、対等だからです。そして、数人で一緒に遊べば、ちゃんとしたしつけをされて居るお子さんもいるでしょうから。
 J滝夫人は、内職もしていないし、遊んで暮らしている主婦だから、上手に、お洋服でも縫って、そこで、倹約をしたら、幼稚園代が出せないわけはないのです。お兄ちゃんの方は行かせたのですから、お兄ちゃんがすでに小学校に入学していて、幼稚園代がそちらで不要なのですから。年子ではないので、二重に支払う必要もないので、家計上、そのくらいの余裕は、十分にあるのでした。

 それから、万一、幼稚園に行かせない場合ですが、子供を遊ばせるのはそれなりに、力量が要り、かつ労働も必要です。それは、お互い様という観念がないといけません。だから、彼女も、自分の家に、三回に、一回は招かないといけません。そうすると我が子の意外な側面を発見することにもつながります。それが無くて、一方的に、我が家に預けっぱなしだったのは、何故だろうと、思います。不思議でなりませんが、世の中には計算高くて、それだけ図々しい人間もいるのだと、考えましょう。また、何度も繰り返すようですが、愛情がなかったのは確かです。

 愛情が有ったら、毎日迎えに来て、「ありがとうございました。ご面倒をおかけしましたね。何か、悪い事でもしませんか?」とか、質問をするでしょう。そして、毎日同じ話題では、変だったら、お天気の話題でもいいので、会話を交わす必要があります。つまり、情報交換の場を作らないといけません。子供って、日に日に急変をするのですから。そうしておくと、悪い芽も小さいうちに摘むことができます。

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副題3、『それは、1974年の事だったが、すでに、その時点で、我が家は、盗聴をされて居た可能性がある。どうしてかというと、益山重夫氏は、横須賀市の水道山を、ただで、私有化しようとする策を、すでに、着々と実行に移していたので、それを、成功にもっていくためには、すべての、眼に見える範囲の、地境地主の性格と能力を知っておかないと成らないので、我が家に限らず、近隣の住民の家、すべてに盗聴を仕掛けていた可能性が強い。戦前からの諜報専門家だ。元海軍参謀とは、そういう事である。かつ、親友が、戦後最大の、エージェントである瀬島龍三だから、その可能性は強い』

 ここで、挿入となりますが、J滝夫人に、我が家に来てください。どうしても見ていただきたいものがあるので、と言ったのは、電話で呼んだのかな? その後J滝家が、鎌倉エージェント(=CIA)に、利用をされる様になるのですから、この時点で、すでに、我が家の電話は、盗聴をされて居た可能性があります。副題3の、二重ガッコ内に書いた通りであって、我が家の、西隣の原家なども、盗聴をされて居た可能性が大きいです。

 だからこそ、その時点から、すでに、40年近く過ぎているのに、北久里浜から遠く離れている、この鎌倉雪ノ下で、△木・家・のお父さんが、主導をして、道路、特にそちらのお宅の前ではなくて、我が家の前で、子供と一緒に、キャッチボールを行ったり、☐本・家・のママが、二人の男の子と一緒に、子供の声が特に響く、夜に、・ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びをやったりするわけですから。

 その二つの家に、

 命令的教唆を与えていたのは、前田家だと、推察していますが、本当のところは誰だったのかは、見たわけでもないし、電話を私が盗聴しているわけもないので、判りません。ただし、推察はできるのです。その理由や原因については、後ほど、丁寧に、語ります。

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副題4、『元海軍参謀だった、益山重夫、智恵子夫妻は、1975年ごろから、この地籍変更届を、企んでいたと、思われる。京急が池田分譲地を開発したインフラを利用して、まず、130坪程度の山林を買い、それを、30坪単位で、14区画を、建売とか更地として売り出した。つまり、130坪のところに、私道部分を入れると、600坪程度の、土地を生み出したこととなる。

 どういうからくりかというと、その時点で、既に、横須賀市の、水道山へ蚕食が開始されていたのだろう。原家というのは元からの、本当の地主であって、この場所の状況を良く知っているので、だませないと、考えられていて、地籍変更届に、実印を押してもらわないで、済むような工作をしてあった。原家は、特にご主人は、国家公務員だし、ご主人の長兄は、横須賀市の市会議員だし、次兄ははやっている歯医者さんなので、この実質的な詐欺には、巻き込まない工夫が最初からなされていた。

 どういうことかというと、青地と言う、・・・・・・もともとは、山林地主と、畑作地主の間に、誰のものでもない土地を設定して、日あたりの問題から起きる争いを避けるための緩衝地帯・・・・・で、現在では、国有地として指定をされて居る・・・・・・国家の持ち物で、原家を囲むという仕組みを作ってあったのだ。ただ、そういう工作を作り上げた果てに、当時の、公図などでは、土地のないところに、14区画もの、名義人の土地を入れたし、道路もたくさん作って入れたので、一人の持ち分が、縦、1ミリ、幅、5ミリ程度しかなかった。

 これは、土地を扱う専門家だと、よくわかる、しくみの、実質的な犯罪だと、思われる。しかも、益山氏は、更にその奥に、自分用の宅地、100坪程度と、他人に売り渡した土地との間の緩衝地帯、100坪程度を、すでに、見かけ上は私有していたので、130坪の私有地を買ったのだったが、それとは、比較にならないほどの、広大な土地を既に、私有していたのである。

 その秘密は、シェパードを飼って、自分が開墾中の、水道山には、誰も入れない様にしていたし、5メートル程度の高い塀を作って、入れない様にしていたし、

 こちらが東側の進入路だとすると、西側の進入路には、立ち入り禁止の看板を横須賀市名義で、立てていたし、あとで思うと、すべては用意周到な、手配だったのでした。

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副題5、『1974年当時の横須賀市土木課長、杉本氏には、看過の罪があると、思われる。しかし、氏は、それによって、莫大な名誉と富を手に入れて、横須賀市の税金を、自由自在に、恣意的に使う権利を得た。で、奥様の、友人である、大沼嘉津江さんの実兄である、島田章三氏は、抜群の富を得た。それと、引き換えに、島田氏は、国画会において、私の立場を、弱体化し、損失を与える様な動きを示した可能性もある』

 ここで、実は、挿入を入れます。銀座の画廊【るたん】のオーナー、中島三枝子さんが、散々に、私をいじめて来た件で、実際のところ、内心で、私がどう思って居たかというと、このバカ女目! あなたが居るから、これから先、北久里浜の、実質的な犯罪=地籍変更届=について、自由自在に書けますことね。」と、思って居たのですよ。
 何にも知らないで、飛んだり跳ねたりしていたみたいですけれどね。(苦笑)

 どういうことかというと、当時の、横須賀市土木課長は、杉本夫妻と言います。後年、横須賀市副市長に出世して行きますが、それは、私が委細を告げたのにも、関わらず、実質的な犯罪を見逃した、事へのご褒美なのです。彼ら夫婦は、名誉においても金銭においても抜群の得をして行きます。そして、杉本正子夫人は大沼嘉津江さんというママと、大の仲良しで、その大沼さんの、実兄が島田章三さんなのです。

 そんなことは、1980年代から30年以上、熟知している私が、2006年以来、彼女が誰かに教唆されて、私を、苛め抜いて来ても、「このバカ女目!」と、私の方は、思って居ただけだったという、裏の事情を、今日初めて明かしましょう。

 ここを書いてから三時間後に、また、思い出したことがありました。しっかり描きましょう。中島三枝子さんが、国画会準会員、野口いづみさんと組んで、とんでもないいじめをやって来たからこそ、私は、大沼嘉津江さんが、ご近所様たちから「馬鹿だ」と言われているエピソードを明かしました。それにはいくつかの原因がありますが、このブログで書いてよいだろうポイントは、お子さんを、亡くしていることが批判を受けているわけです。『現代の様に医療の発展した時期に、これは、母親として失格です』と、ご近所様、が思って居ます。もう一つの原因は、ごく普通の人でしかない(ただし、芸大卒ではあるが)島田章三さんに、莫大なお金が、横須賀市から渡っていることに対して、昔からの住民は「変だ」と、思って居るからです。

 彼等鎌倉エージェントは、「大勢の人を、手下として動かせる」という事を誇りにしているみたいです。が、中島三枝子さんみたいに、ぎゃんぎゃんした感じで、画廊のオーナーとしての基本を外した、いじめをする人がいると、私はその応力として、女性としては、おっとりした方である、大沼嘉津江さんについて、その弱点や、恥を書く事となります。特に大沼さんは、杉本正子さんと、親友だからです。杉本正子さんが、ひどい事をやってきていますからね。で、大勢の手下が居ることが、ここでは、自家撞着を起こしています。

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副題6、『2013年から2017年へかけての銀座で起きる緒問題から、1974年の北久里浜の問題に戻ろう。その問題の土地に、重機を入れた、実際の、開発が始まったのは、どうも、1997年だったらしい。その年に、私は、パリへ初研修に行くのだが、その準備のために、日吉の実家の近所で育った、友人に、パリでの、引受先の紹介などを頼み始めている。それらは、電話の盗聴などで、瀬島隆三たちには、判った事なので、チャンスだ。彼女(=私の事)は、日本に居なくなると、見做されて、宅地開発へ向けた銃器類の、導入が行われた時期であろう。その銃器類の、活動をさらに安全にするために、水道山を舞台にして、土師淳君は、殺され、その首が、校門に置いてあるというショッキングな、劇場型犯罪が、起こされ、酒鬼薔薇聖斗と言う少年が、実行犯として逮捕をされた』

 そして、神戸で、連続児童殺傷事件が起こります。犯人・酒鬼薔薇聖斗とされている少年(現在名は、少年Aと呼ばれている)は、無論のこと、実行をしていないダミーでしょう。それは、1997年に起きていますので、いよいよ、彼らが、水道山の、宅地開発に乗り出した時点だったと、思います。書類上、自分のものになった土地に、マンション(現在名、ルネ北久里浜、発売当時は、そらヒルズ)を、建てるためです。そして、私が、この北久里浜の、ケースを書き始めたからこそ、その私に対する、一種のからかいとして、出版をされたのが【絶歌】だと、思っています。原稿を書いたのは、いまだ生きている井上ひさしでしょう。原稿料として、抜群の、御手当てが、CIAエージェント側から出ていると思いますが、それは、内閣官房機密費だったりして!?!?!  ここらあたりは、「は、は、のんきだね」とでも、言うほかはないのですが、多分、真実を書いて居るのです。今、このパソコンに多大な、システム障害が起きていますので、真実だと、思います。

 ただね、この紫色の字で書いた部分は過去にすでに、書きぬいてあります。しかし、リンク先を見つけるのが大変なので、詳述はしないで先に進みましょう。

 さて、2013~2017年にかけての諸事情に関する挿入から元へ戻ります。 

 1974年時代の、北久里浜へ戻ります。結局のところ、益山氏が、お金を出したのは、山林130坪分だけであり、それ以外の、800坪引く、130坪イコール、670坪は、水道山への、1974年以前に、蚕食を果たして実質的に、自分のものに、してたのでした。だから彼は、土木関連の、銃器使用料としては、金銭を出していますが、京急池田分譲地ができる前の、山林何なんて、二束三文だった筈ですから、莫大な富を手中にしたのでした。

 それら+、まだ、自分のものになって居ない部分の水道山1200坪が、地籍変更届の仕組みによって、一気に、彼(名義上は、大建産業。そして、益山氏の急死以降は仲野通巳吉氏が、代表となって居る)の持ち分に、成るのでした。

 ただし、私が全貌を知ってしまったことにより追い詰められた益山智恵子夫人は、車で待ち伏せして、私を、轢き殺そうとしました。それを、私は、電話が盗聴をされて居ることを、わざと逆手にとって、弁護士に報告をしたのです。命が狙われたのだから、当然です。その夜に益山重夫氏は、急死しました。

 1974年の、10月11日の事だったと、記憶しています。

 自殺か? 切腹か?と、最初は、思いましたが、葬儀屋の社員が、二人で、談笑をしながら、我が家の前を通って、帰って行ったので、自殺ではないと、考えます。もし切腹だったら、葬儀屋など、呼ばないで、救急車で、病院へ運ぶ筈ですから。したがって、これは、私にひどい事をした人間に、神様の成敗が下り、その命が奪われた、最初の例となります。

 まあ、益山重夫氏は、第二次・世界大戦に、翻弄された、多分、善人の一人なのでしょう。特に、先妻が、夫が、パージで、働けない間、英語力を利用して米軍基地内で、働いておられたが、その時、米軍将校と、恋に落ちて、アメリカへ、行ってしまったとも聞いています。私を車で、引き殺そうとした、智恵子夫人は後妻です。

 そういう事情もあったので、益山氏は、居直っていて、戦前は、海軍(または、国家)の保有地だったかもしれない、横須賀市の、水道山を、私物化したのかもしれないのです。価値の大逆転を経験してきた人だからです。

 で、居直っていて、一般人がもつ価値観を、捨て去った益山氏にとって、恵まれて育ってきて、過保護な、私など、蚊か、ハエ程にも思って居なかった可能性があります。

 ところが、ここから先が、これまた、初めて書く事なのですが、私は、小さい事だと、負けておくのですが、大きな事だと、絶対に負けるモノかと、頑張るのですね。こちら、鎌倉雪ノ下でも、安野夫妻とか、前田夫妻が、何かをやって来ても、具体的なことで、喧嘩を吹っ掛けたり、復讐をするなどと言う事はありません。ただ、考えることは大好きだから、彼らがだまし討ちで、ひどい事をしてくることは分析をし抜きます。その安野夫妻を助けるために、安倍総理大臣が個人的に動いたから、大げさな問題となったわけで、私は、真剣に、書き始めているわけです。

 1974年に戻ると、海軍参謀なんて、昔だったら、横須賀一、偉い人です。それが、どう考えても、一種の犯罪に等しい事をやるわけですから、がんばっちゃいますよね。だから、財務局にも足しげく通った氏、法務局にもし重ク通いました。登記簿謄本を取るだけで、当時のお金で、数万円とは利かない費用を使いました。
 そのうえ、益山夫妻が、この案件を通すために、私よりも、J滝家を上に置いていることが分かったので、これは、真剣に、調査に入ります。益山夫妻って、私を利用するツボを外しちゃったのです。私は低く置かれたら、「あ、さいざーますか。あなたには、その程度の人間として、見做されているのですか。仕方がないから泣き寝入りをしましょうね」などと言うタイプではないのです。

 もちろんのこと、法的に、許されている調査だけですよ。法務局に行って、法的に、可能なことをするだけですが、それだけでも、ここまでの真実はわかるのです。 

 そして、主役の死亡により、弱体化した、大建産業を支えるために、瀬島龍三が乗り出してきました。彼が乗り出すと一緒に、半分の土地が、彼の名義へ、移行した模様です。ただし、個人名ではなくて、伊藤忠なにがしと言う子会社、四社だと、言う話が、向こう側の人間(東工大卒の、測量士を名乗る人間)から入って来た。 

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副題7、『J滝氏には、地籍変更届の裏側にある、本当のことを言って、味方につけ、協力すると、成功報酬を与えると言って置き、こちらには、単純に、<横須賀市に、私道部分を、寄付しますね。それに必要な書類に、実印を押してください>という嘘を言ったのは、最初は、小ばかにされて居ると、憤慨したが、

 今になって思うと、私の力量を、本当には知っていて、警戒するからこそ、嘘を言ったのかもしれない。ただし、そうすることで、彼らは、ありとあらゆる意味で、間違ってしまった。私は、軽蔑をされたり、他者と比較して、低めにおかれたりしたら、違和感を感じて、猛然と、裏側を、追及をする事となる。そして、実際に、彼等の悪の全貌を知ってしまった。

 しかし、心理的に言えば、この時に使われた同じ手法が、今でも使われていて、瓜南直子さんなどは、その典型として、使役をされた人材でした。それが、勝つ手法だと、彼等、諜報専門家は、考えて、私のライバルを設定し、そちらを社会的に、上に置くことで、こちらにダメージを与えられると、考えている模様です。

 確かに、J滝家は、猛然と、いじめをやって来た。復讐にサポートが与えられたからである。それが、

 ・ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びであり、キャッチボールです。

 ここを詳述します。J滝家の子供たちは、母親がそういう人なので、萎縮をしていて、遊びのリーダーシップを取れません。むしろ、私の数ねんにわたる奉仕によって、その地域一体の、遊びの輪がすでにできており、私の子供がそのリーダーでした。

 そのグループに、入って来るか、それとも、遠くの、一人だけの友人をお兄ちゃんの方は、作っていて、妹さんは、それにくっついて遊ぶという形式で暮らしていました。

 ところが、この地籍変鼓届け事案が起きたころ、益山重夫氏に、サポートを得たJ滝家は、お父さんが、主役になって、我が家の目の前の道路を使って、お父さんが、子供を誘って、キャッチボールをしたり、お父さんが、・ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びをしたりしたのです。そして、うちの子は入れないという遊び方をしました。それが、復讐的いじめという事です。

 しかし、恥ずかしい事に大の大人が入って来て、子供社会をひっかきまわし、うちの子をいじめまくったのにもかかわらず、実際には、成功報酬は、もらえませんでした。彼が、自慢気に、言っていた、車返し部分の三坪の、公簿上の名義は、彼には、渡らなかったのです。

 自分をサポートしてくれたはずの益山重夫氏は、急死ですから、奥さんは、約束を忘れたのでしょう。それで、すごすごと言う形で、引っ越していきました。もちろん、当時住んでいた家よりも大きな家に引っ越して行ったと思いますよ。勝気だから。

 しかし、この後、2016年に、横浜銀行と、東日本銀行の合併が起きるのですね。東日本銀行とは、元の名前を、ときわ相互銀行と言って、J滝氏が、勤務していた会社です。

 ここですが、二日目には、詳細な、推測を加味します。実は、すごすごと、引っ越して行ったはずのJ滝氏ですが、鎌倉エージェントが、この人を再び利用することを考えたとみるのが、順当でしょう。子供のことで、恥をかかされたと、言う点で、恨んでいるのだから、真剣に、行動をするはずだと、見做されたわけです。それに、その銀行と浜銀が合併すると、他にも利点があると、彼らが思って居るわけです。J滝氏は、高卒だと、思うので、一般的な慣例では、重役にはなれない筈ですが、鎌倉エージェントが裏について居たら、さじ加減一つで、大出世できていたかもしれません。ここらあたりは、調べることができるのですが、今は、暇がなくて、やっておられません。 

 ただ、この合併話が、起きたのが、2002年ごろだと、思うので、J滝氏は、まだ、定年前だったはずです。

 そして、1978年では、北久里浜の丘の上で、J滝家の発想で、行われたその遊び方が、後年、この雪ノ下の山で、〇木家の坊やたちとお父さんによって、キャッチボールとして再現され、

 2016年の秋には、〇本家の、お母さんが、二人の、幼少な息子さんと一緒に、何回も、しかも夜に、・ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びを繰り返すこととなります。たぶんですが、高枝切り問題を、正確な、裏側を、分析しながら、書かれたことへの復讐として行われている事でしょう。

 ただ、行なわれてしまったことは、仕方がないとして、残るのは、〇木家へ、そうする様に告げたのは誰だ?・・・・・と、誰何しておくことなのです。ただし、ご本人に問い合わせたりはしませんよ。その点について、関心を、持って、待っていると、自然に、情報は入ってきます。過去の例を言えば、そうなっています。

 また、〇本家に、・ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びをする様に、命令的に告げたのは誰だ?  むろん、大元は伊藤玄二郎で、次が、前田夫妻か、安野夫妻でありましょう。で、その次に位置するのは、もしかしたら、大原光孝さんですか?

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副題8、『ともかく、〇本家には、忠告をして置きたい。あなたは、何も知らないで、命令・教唆された通りに動いていますね。だけど、彼等は悪魔的な、謀略を繰り返しています。そして、彼等のために、既に大勢の人が殺されています。ルビッツ副操縦士の、自殺願望説が唱えられた、アルプス激突事件を考え合わせると、150人死んでいます。周南事件で、五人、山田浩二事件で二人、熊谷事件で六人、横浜市・大口病院で、界面活性剤で、二人、上大岡の暴走老人の件で、小学一年生が、一人、など、など、延々と犠牲者が続いています。

 そして、事件ではなくて病気で、死んだ人も大勢います。特に使役をされた、人間で、善人ほど、早く死にます。瓜南直子さんなど、その典型です。だから、善人であると、ご自分を信じるのなら、彼らに協力をしてはいけません。

 「特に大切なお子さんを、道具として彼等に、提供するのなど、もってのほかです」 あなた方の用途は、すでに、莫大な、金銭的な損害を追っている、私に真実を語らせないがための緩慢なる暗殺の、道具として使うという道ですから、非常にあくどい目的に使われているというわけです。おやめなさいと、言っておきたい。

 もちろんのことお子様方が、遠くから遊びに来た学校のお友達と一緒に、自発的に・ち・よ・こ・れ・ー・と・遊びおやりになるのなら結構ですよ。子供の遊びは、無限でありますし。ただし、昼間、おやりなさい。都も、言っておこう。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3927898です。

 2017年3月4~5へかけて、これを書く、そして、さらに6日にも加筆をする。

        雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

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記憶の中から大切な事が蘇って来た・・・・・雪の下では、・ち・よ・こ・れ・-・と遊びは、やってはいけないのだが、その真実の理由を、思い出したのだった

2017-03-04 20:26:27 | 政治

副題1、『この章を書き始めるにあたって、お断りをしたい事』

 朝五時に、布団の中に入り、どうしてか、明るくなるまで、覚醒していて、しかも朝の8時45分には、目覚めたので、久しぶりに、非常な、レベルの睡眠不足です。しかし、外で、社交的な会食があったので、それは、果たして帰ってきました。しかし、夜の、8時には、猛烈な睡魔に襲われました。で、夕食のお茶碗を洗っただけで、布団に入ったのです。しかし、本日やるべきことを、あれこれ、やっていない時には、布団に入っても、実は、熟睡には入れないのです。義務簡易襲われるからでしょう。結構、私は誠実な人間なのらしいです。で、先ほどのは、不十分な、形での睡眠であり、結局は、覚醒して、布団から出て来る事となり、今、夜の九時ですが、新しいブログを書き始めているところです。

 しかし、その手の不思議な形の睡魔に襲われれているときには、人間は、半覚醒状態にあるわけで、したがって、記憶の奥底から大切なことがよみがえってくることがあります。

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副題2、『2017-3-4の私は、不思議な状態の半覚醒状態に、陥っていた。その際に、記憶の奥底から、真実が、蘇ってくることがある。それは、・ち・よ・こ・れ・-・と遊びに、関する政治的な悪の事だった。そして、それが、この雪ノ下で、行われる時には、このやまが、CIA,もしくは、その手下となって居る日本の警察庁内部の特殊部隊の、支配下にあることを示唆しているのだった』

 ・ち・よ・こ・れ・-・と遊びとは、子供たちが道路で遊ぶ、普通の遊びだと、皆様は、お考えでしょう。そして、階段とか、石段がある処では、とても適切な遊びだと、見做されていると、思います。ここ、鎌倉・雪の下の我が家近辺では、テレビ東京の特番、ドリームハウスで報道をされた通り、そちらのお宅までだけで、130段の石段があります。そして、我が家は、そちらよりもさらに、10mぐらい上がっているし、二階で、普段生活をしているものですから、私が、今、このパソコンを打っている場所までだと、160段も山ノ下から、上がってこないといけません。

 で、一見すると、このやまは、石段遊びをするのに、まことに適切なものと、見做すことができます。そして、昨年の、秋から、最も新しく、引っ越してきた、S家の奥様と、その二人の幼子(=小学区の英学年と学齢前のお子さん)が、なんどもそれをやっています。

 また、数年前は、前田家が、奥様が孫を使ってやりましたし、時には、息子さんに、その子供を使わせてやらせていました。前田家のケースはすべて夜でした。

 夜に子供を使って、大声を上げて、石段を使う遊びをする。それは、意味深なレベルで、政治的な攻撃でありました。しかし、その理由を丁寧に、書いて居なかったので、皆様には、何のことやらお分かりにならなかったと、思います。それを、本日は、これから書くわけです。

 副題2に続く、二重ガッコ内に書いた通り、ここ鎌倉・雪の下の、山の中では、特に、やってはいけないことの一つなのです。

 しかし、こういう些細なことに、神は宿るのですね。これを丁寧に解説することによって、現代日本と、日本政治を見事に照射できるでしょう。

 つまり、現代日本を総べているのは、CIAの恣意なのです。安倍総理大臣の裏に居るのも永田町の、他の党の議員の裏に居るのも、鎌倉エージェントと、私が呼んでいる連中の、恣意の発露に他ならないのです。CIAエージェント側の謀略と、攻撃性が、顕現しているのが、この子供を使った・ち・よ・こ・れ・-・と遊びなのです。しかし、これは、なかなかに、説明が厄介な事であり、完成まで、相当な、時間がかかるでしょう。それで、この更新に気が付いた方も、あす、午前10時ごろ、ここを、もう一度覗いて、やっていただけますと幸いです。

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副題3、『前田家が、孫を使って、これをやったころにも、恐ろしい罠と謀略が、私に向けて、仕掛けられている最中であったと、記憶している。そして、特に、その事案につき、原因やら、いきさつを見破った時に、彼女が孫を使って、その遊びを、夜に行ってきた』

 前田家が、孫を使って、謀略と攻撃の一手段としての、・ち・よ・こ・れ・-・と遊びをやってきたのには、驚きません。ただし、「前田清子さんが、こういう行動をするから、鶴岡八幡宮の、大銀杏が、倒壊したのだった」と、何度もここで書いて居ます。鎌倉随一の、宝物を倒壊させたのは、他の原因もありますが、前田清子さんの行動と、性格が、為せる業です。どうしてかというと、白井宮司の時代でしょうが、鶴岡八幡宮様が動いて、彼女を、國學院大學の講師にしています。

 そういう恩恵を受けたのなら、身を慎み、他人に迷惑をかけない態度をとるのが普通でしょうが、彼女は、どうも保育所で、子供を育てたらしくて、母親として、忍耐力を養うという様な過去がないうえに、極端な、強気と極端な弱気が、混在している人間なのです。その上、都会の一戸建ての住宅街で、暮らす人が守らないといけない、最低の、マナーも知りません。前に住んでいたところは、大規模団地(いわゆる公団)だったと推察しています。そこでは、彼女は、他者から浮き上がっていたと、思います。決して好かれてはいなかったと、思います。で、ここに来たら、新しく、いい生活をしようと思って、前の生活のわだちは踏まないと、考えていたとは思います。

 それが、「ボスには、逆らわないで、やって行こう」という主義です。この山は、たった20戸しかない小さな住宅街ですが、それぞれ、個性と、高い資格を持ったエリート女性が集まっています。で、金持ち喧嘩せずであり、過去の生活歴、学歴、資産状況などから、考えて、平均より、優れていると、見做される人ほど、おとなしくしています。ご近所づきあいをする為の目的では、外へ出てきません。それぞれ、家の中で、独自に、やることがあるからです。たとえば中谷夫人などは、必ず、午後、2時ごろ外出して、大和証券・鎌倉駅前支店に居るので、『は、ハーン、株式投資をして居るのですね』と、判りました。そんな人には、安野夫人主宰の、井戸端会議など出るわけもないです。

 しかし、安野夫人と言う女性は、まったく異なっているのです。非常につよい、自己存在証明の欲求があり、また、それを遂行していく、動物的、能力の高さがあります。つまり、ボスになりたがっているし、ボスに成れる政治力もあるという事です。

 しかし、彼女には、他人に容易に、誇示しうる、「これは」と言った、長所がありません。経歴や学歴にも、さして誇るものがありません。それで、「このやまで、唯一の、三人の子供を育てている母親であります」と、言うポイントを強調しています。今、若い世代が、貧困に陥っていて、結婚もできないし、子育てにも自信がないと言われていますね。1970年代は、そうではありませんでした。普通の人はみんな結婚をして、二人ぐらいの子供を育てていたものです。しかし、三人も育てているとなると、それは、平均値以上でありますから、それが長所として、梃子になって、他人に対して、威張ることができると、彼女は思っているみたいです。

 しかし、フェイクの母です。偽装の母です。本当のお子さんではありません。ここに引っ越してくる前に、在園児が、450人もいるマンモス幼稚園で、PTA会長をして来た私から見ると、『嘘ばっかり、あなたって、略奪婚の人でしょう。お子様方が、あなたを恐れているみたいだから、前の奥様は、あなたの存在のせいで、すでに、亡くなっていますね』と、判ってしまうのです。引っ越してきてからたった2週間で、それが、判りました。

 そういう安野夫人が最初に籠絡して、友としたのは、もっとも稼ぎの多い女性である、石川和子さんです。この人は、鎌倉春秋社の社長である、伊藤玄二郎の、元愛人で、それで、彼に、サポートしてもらっています。自分が主宰する、かまくら春秋窯に、常時、お弟子が増える様な、手配をして貰っている(たとえば、公民館で、陶芸教室を炒らくことができるという形)のも、その一つで、「一時期は、200人の弟子を持っていた」と、豪語している女性です。という事は月収が200万円に達するというわけで、高収入なのです。性格としては、わりと、おっとりとしているというか、ヌーボーなところもある女性で、『さすがに、伊藤玄二郎は、眼が高いなあ』と、思いましたよ。神経質そうな彼とは対照的で、まあ、性格も鈍重だが悪気はないといったたぐいの女性です。だから、伊藤玄二郎は接していて、楽だったのでしょうね。
 しかし、正夫人は、どこかのお嬢様であるらしくて、彼女は、一種の慰謝料として、彼の会社の名前をもらったのだと、推察しています。

 しかし、安野夫人と前田清子さんの、むすびつきは、だいぶ、様相を異にしているでしょう。安野夫人は、自分より学歴的には、二段階上である、前田清子さんをそれなりに、建てて、気分良く振舞える様に、計らっていますが、実際には、前田清子さんの方が、すり寄って行って膝下に下ったのだと、私は、見ています。

 この続きは、明日書きます。ただ、少し間を抜かして、次の章(後注1)へ、続いていきます。

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