あじさいの花が色あせてきた。
やがて水気を失って干からび、土に帰るのだろう。
青、紫、白、ピンク、赤。
さまざまな色のグラデーションを楽しませてくれた、公園の片隅のあじさいを見て、人の目には見えない色について想像をめぐらす。
生き物はそれぞれ可視光線の領域が異なる。
人の場合、379ナノメートル(nm)以下の波長や761以上の波長の光は目に見えない。
紫外線や赤外線は、見えない領域の光だ。
しかし、人に見えないものが見える生き物も多い。
虫たちは赤外線が見えるものが多いから、人間には見えない線や模様を、花や葉っぱに見る。
もう10年以上も前のことだけど、ある芸術作品を構想したことがある。
ギャラリーには、白いキャンバスが並んでいる。
花や木のようなオブジェもあるけど、とりたてて特徴のあるものではない。
ギャラリーには妙な格好でキャンバスを眺めている人がいる。
背中に羽を背負って、チョウチョの複眼のようなゴーグルをしている。口には巻いたストロー。
オブジェの花の中にストローを入れて、吸い込んだりしている。
受付にそれらのグッズが用意されていて、自由に装着することができる。
複眼ゴーグルをかけて白いキャンバスを見ると、そこには線や模様が浮かび上がる。
そう、これはチョウチョのための展覧会なのだ。
展示物を見るには、人もチョウチョの真似をしなければいけない。
招待客として何匹かのモンシロチョウも会場を飛び交っている。
自分の目に見えるもの以外に、他の生物に見える世界がある。
そのことが興味深かったから、間のための展覧会を想像していたのだろう。
朝の光があじさいを包むとき、昼の光が緑の葉を照らすとき、人の目に見えない領域の光の波長も反射されている。
見える光と見えない光の境界にある微妙な波長の光は、朝の光や日中の日差しによって繊細にその姿を変えている。
強烈な夏の日差しの下で常緑樹の深い緑の表面がみずみずしく光るとき、空間がゆらめくような、葉から発光しているような、不思議な色彩感覚を味わうことがある。
薄く雲がかかった朝の光に照らされ、夜の湿り気と冷気をまとっているあじさいは繊細な色のグラデーションを鮮やかに際立たせる。
きっと、見える世界と見せない世界の教会にある光の波長は、微妙に見える世界と見えない世界を行き来し、見える世界に大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。
音も、同じだ。
物理的な音の波長は、人の聞こえる領域だけではなく、幅広く存在している。
人の聞こえる音と聞こえない音のあやふやな領域にある音は、聞こえる音の世界に干渉し、大きな影響を与えているのではないだろうか。
組織や形の境界や輪郭に興味を持つぼくは、可視領域や可聴領域の境界にも関心がある。
被差別民や芸術や犯罪者に対する興味もそれに通じる。
そのことが、いつか自分という存在を際立たせることにつながるだろうか。
まだまだ自分の輪郭はおぼろげなまま。
やがて水気を失って干からび、土に帰るのだろう。
青、紫、白、ピンク、赤。
さまざまな色のグラデーションを楽しませてくれた、公園の片隅のあじさいを見て、人の目には見えない色について想像をめぐらす。
生き物はそれぞれ可視光線の領域が異なる。
人の場合、379ナノメートル(nm)以下の波長や761以上の波長の光は目に見えない。
紫外線や赤外線は、見えない領域の光だ。
しかし、人に見えないものが見える生き物も多い。
虫たちは赤外線が見えるものが多いから、人間には見えない線や模様を、花や葉っぱに見る。
もう10年以上も前のことだけど、ある芸術作品を構想したことがある。
ギャラリーには、白いキャンバスが並んでいる。
花や木のようなオブジェもあるけど、とりたてて特徴のあるものではない。
ギャラリーには妙な格好でキャンバスを眺めている人がいる。
背中に羽を背負って、チョウチョの複眼のようなゴーグルをしている。口には巻いたストロー。
オブジェの花の中にストローを入れて、吸い込んだりしている。
受付にそれらのグッズが用意されていて、自由に装着することができる。
複眼ゴーグルをかけて白いキャンバスを見ると、そこには線や模様が浮かび上がる。
そう、これはチョウチョのための展覧会なのだ。
展示物を見るには、人もチョウチョの真似をしなければいけない。
招待客として何匹かのモンシロチョウも会場を飛び交っている。
自分の目に見えるもの以外に、他の生物に見える世界がある。
そのことが興味深かったから、間のための展覧会を想像していたのだろう。
朝の光があじさいを包むとき、昼の光が緑の葉を照らすとき、人の目に見えない領域の光の波長も反射されている。
見える光と見えない光の境界にある微妙な波長の光は、朝の光や日中の日差しによって繊細にその姿を変えている。
強烈な夏の日差しの下で常緑樹の深い緑の表面がみずみずしく光るとき、空間がゆらめくような、葉から発光しているような、不思議な色彩感覚を味わうことがある。
薄く雲がかかった朝の光に照らされ、夜の湿り気と冷気をまとっているあじさいは繊細な色のグラデーションを鮮やかに際立たせる。
きっと、見える世界と見せない世界の教会にある光の波長は、微妙に見える世界と見えない世界を行き来し、見える世界に大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。
音も、同じだ。
物理的な音の波長は、人の聞こえる領域だけではなく、幅広く存在している。
人の聞こえる音と聞こえない音のあやふやな領域にある音は、聞こえる音の世界に干渉し、大きな影響を与えているのではないだろうか。
組織や形の境界や輪郭に興味を持つぼくは、可視領域や可聴領域の境界にも関心がある。
被差別民や芸術や犯罪者に対する興味もそれに通じる。
そのことが、いつか自分という存在を際立たせることにつながるだろうか。
まだまだ自分の輪郭はおぼろげなまま。
人気女優 長澤まさみが宮木あや子原作の映画『群青 愛が沈んだ海の色』で主演を努める。
http://masamisinderera.blogspot.com/
本来は激しい絡みがあるこの作品。しかし、撮影まで行われていた期待の濡れシーンが本編ではカットされていた?!
http://masamisinderera.blogspot.com/
噂では90cmのFカップと言われる長澤まさみのオッパイが拝める期待のシーンを披露。