天照ス AMATERASITAL  ~ 言葉の万華鏡は千変万歌す ~

回文歌「まわりうた」表裏歌「ともゑうた」 鏡歌「かがみうた」「いろはうた」等を創作してます
~言葉は万華鏡~

はれあれは

2017-02-25 05:50:10 | まわりうた~96音勾玉外組~

はれあれは
しらくむくうの くとらくと 
またきとくをは さきわかち
すさなるわすら よみにおし
はてしなしては たちまちよ
よちまちたはて しなしては         
しおにみよらす わるなさす
ちかわきさはを くときたま  
とくらとくのう くむくらし
はれあれは

はれあれは
至楽無窮の 苦と楽と 
全き徳をば 裂き分かち
荒なる我すら 黄泉に押し 
果てし無し手は たちまちよ(断ち間千代) 
輿地待ちた果て 私無しては(死生しては)
死鬼見寄らず 割る(悪)成さず
地渇き沢を(知が湧き多を(爽を)) 愚解き魂         
十座得(徳)の有 汲む(組む)暮らし
はれあれは 



解説

5・7を8回り96音(勾玉外組)。前後の合いの手10を足して106音の、まわりうた~長唄ヴァージョン~です。前半と後半で、反転しますがその「渡し」を付けるのに少し時間がかかりました。96音になったのですが、ちょうど「の」が反転した「96」反転関係の歌に出来ているのが脅威的です。
はれ…( 感 )驚いたり,感嘆したりして発する語。ああ。まあ。
さわ さは:爽…さわ やか さは- 【爽やか】ほどよく冷たくさっぱりしていて気持ちがよいさま。/はっきりしているさま。明快なさま。 /鮮やかなさま。見事なさま。 /いさぎよいさま。から送り仮名をとったもの。
さわ さは :多▽…たくさん。 多く。
はれあれは…前に置いたものは「おや、あれはなんだ?」という奇異を指すニュアンスで、奇妙な、という意味会いで、最後のは「妙(明)致」を見て。ですが、これを前後に置いた意味は、ほんの少しの あれ?という、そうなったのも気が付いたら自覚無くそうなっていたように、同じように気が付いたらそう立ち戻っていたという一瞬のことの、意識に起こる一転の話なので、この反転は起これば、あれ?という一瞬の変化でその反転が起こるそれが起こった瞬間のことをこの言葉で表現しました。見ている景色は同じなのに今までの景色が一転するからです。
たち まち :忽▼ち…〔「立ち待ち」の意かという〕事態や状況が短時間のうちに著しく進展するさま。またたく間。
に重なる「断ち間千代」は、自分○の周囲を立ち回って=断ち間割って、我が空間を認識し割り出し=時間を無数に生じさせた、の意が出てあると思います。この音列から「たちまちに時間を生じさせた」という意味合いです。ものすごくニュアンスが伝わってきます。
「荒なる我すら 黄泉に押し」は、荒れて傷ついている自分すら嫌がり避け、または人生を放棄し、という様相と、スサノオ大神すら黄泉に押し込め、という意味合いが重なって感じます。
よち:輿地…〔輿(こし)のように万物を載せる地の意〕大地。地球。全世界。
「私無しては(死生しては)」は、私心を無くしては。死は存在しない、死んでも生きていると「死」を生きているものと悟れば、生で死を渡れば、生きることと死ぬ(自死除く)ことは同じ生命の生かされた結果だ、という意味合いだと感じます。また私心を無くす、無私=無死となる(死が無くなる=元から生死も無かったただ在るだけだったという意識状態を維持する)ことは、自我の死でもあることが出ている言葉だと思います。
「死鬼見寄らず」は、死や鬼も見もいないし寄りもしない、存在していないも同然。という意味合いです。
「地渇き沢を(知が湧き多を(爽を)) 愚解き魂」は、雨が降らず沢を枯らすような時にも、逆に知恵が湧いてきて工夫を凝らしなんとかし、あるいは、全体にとっての自然(至善)を知っている境地なのでこれも仕方がないと潔くいつものようにまるでそこに沢(爽)があるように「爽」の境地でいられて、ただ自分個人にとっての快不快や利益や不利益に良いや悪いと右往左往するだけの愚、利益不利益から良い悪しと分割し小さな良いを取り続けることで悪いを生み出し続けている愚、悪態愚痴を述べるだけような境地から解かれ抜け出している。
とくら:十座…神の依り代となる岩を磐座(いわくら)といいます。人の胸の神の座が十の状態を実現することを陰陽和合としてその完成を想います。
「十座得(徳)の有 汲む(組む)暮らし」は、心を十座としたそんな得(徳、解く(解脱))の有る暮らしの、またそのように良いも悪いも大全と十座と組もうと神の意に寄り(糸を撚るように)自神の心を汲み上げ実現(組み上げ)する生活の、はれ?あれは、と気が付くとちょっと違う趣きの妙であり光っているように気が付かれることだよ。
というような感じです。

有限で落差(楽差‥楽に差を見る楽。楽に程度を見て楽の大小を生み出す、他人の楽と比べて一喜一憂する比較出来る楽)のある、たったの楽 のために苦を排除しようと押しやりながら永遠に苦を生み出し続けカルマ(生死の輪廻)を作り続け同時にそんなものを超えた至楽至善を永遠に遠ざけ続けている事へ想っていて出来ました。

これは前の回文俳句の考察をしていて、陰陽で一つのものを楽だけを選び取りたい、取れると思い込んだのか苦や楽を見るようになり苦を嫌がり楽だけを選び取りたいと苦(陰)を葬ろうとする我良し(割れよし)が永遠に苦を生み出し続けることに成った地上を作り出している昔から変わらないこの姿勢、苦(陰)など受け取りたくないとした我(割れ)良し意識の真相と、スサノオ一人に罪を被せ黄泉に押し込めたあの話が結びつき、なんとそうだったのかと、古事記のスサノオ追放はまさにこの事を言っていたのかと、久しぶりに大きな気付きが起こり、その記念に作りました。久しぶりに頭が大きく覚めました。
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