愛犬散歩と&菜園暮らし・・・気まぐれ日記

ブログご来訪に感謝!神戸湊川神社近くで産湯に浸かり現在武蔵一宮氷川神社近くの氏子、愛称金チャン宜しくです!m(_ _)m

風土記:中山道今昔物語・講演会

2015-03-06 12:15:33 | 歴史・文化・風土記・風物詩

家庭菜園・地主さんの庭で「桃の花」が開花しました~


さて、さいたま市中心ですが「中山道今昔物語」の講演会が、公民館で開催されました。
第1回目講演を受講しましたので、風土記として報告します。


講師の秦野昌明さん(埼玉県郷土文化会理事)は、さいたま市出身。
昭和50年から教育関係に奉職、市内の博物館、公民館、図書館館長などを歴任されました。



【中山道(ナカセンドウ)・整備/呼称/成立】
徳川家康が関東へ入国した天正18年(1590年)より、鷹狩り等で領内を検分し、中山道の街道整備
の必要性を固めたと想定される。

「中山道」の命名は、江戸時代・正徳6年(1716年)の御触書に記載された。
「五畿七道の中に東山道(トウセンドウ)、山陰道(センインドウ)、山陽道(センヨウドウ)、いずれも山の道を
 センと読み申し候。(中山道は)東山道の内の中筋の道に候ゆえに、古来より中山道申す事に候」

元禄7年(1694年)に岐阜県伏見宿が出来て、江戸日本橋から街道が成立した。
宿場数は、板橋~守山まで67。東海道と重なる草津と大津を加えると69。
※中山道の宿場Map借用




小生蛇足①
中山道は険しい碓氷峠や木曽路を通る山道。しかし大井川・天竜川・冨士川などの川留めや、
宮-桑名間のような海の船旅もないので、女性に人気のある女街道であった。
幕末に皇女和宮様が十四代家茂に降嫁する東下りの時に中山道を通ったのは、テレビドラマで
皆さんご存知でしょう。


小生蛇足②
江戸からの五街道整備が始まったのは慶長6年(1601年)から。
※江戸からの五街道Map借用



小生蛇足③
平岩弓枝さんの時代物小説「はやぶさ新八御用旅」が好きで読みましたが、日光/諏訪/中山道
での事件物語が全て街道沿いでした。印象的な思い出です。
※はやぶさ新八御用旅
 
 
 


【中山道(木曽街道)六十九次・大宮宿まで】
江戸時代の旅は「お江戸日本橋七つ(午前4時)発ち」と早く、夜明け前から出発した。
※日本橋七つ発ちの様子絵借用
 


第一の宿は板橋宿驛となる。板橋の地名は石神井川に架かる橋が板橋であったことから、そのまま
板橋の地名となった。
宿驛とは、公用に設けられ、早馬/本陣(今の五つ星級旅館)等が整備されていた。
宿驛の名称は、今の「駅」のルーツになります。
※板橋宿驛の絵借用
 



泊まる旅籠の料金はピンキリで、上旅籠が一泊200文(5,000円)、女性が給仕する飯盛旅籠、
持込で自炊する木賃宿一泊16文(400円)まであった。
※飯盛旅籠の絵借用
 



戸田の渡しを船で渡る。現在荒川と呼ばれる川は、江戸期「入間川」と呼ばれていた。
現在の元荒川が、江戸期「荒川」であった。
※戸田の渡しの絵借用
 



浦和宿の絵は、上木崎の六国見休息処から高台土橋/大宮宿を遠望する風景。
噴煙立つ浅間山?が構図に入っている。
※渓斎英泉_浦和宿の絵借用
 



大宮宿の絵は、東大成/土手町の庚申塔前を描く。構図に富士山が入る。
※渓斎英泉_大宮宿の絵借用
 




次回の中山道今昔物語講演が、楽しみです~! 
ご愛読を、有難う御座いました。

ブログ店主 金谷 豊  拝


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« お散歩:春の匂い~梅/桃/桜 | トップ | 菜園:3月・活動が始まります! »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史・文化・風土記・風物詩」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。