雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月31日(日) 天竜区の秋葉ダムの北、旧「峰之沢銅山」跡へ

2010年11月01日 13時41分41秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月31日(日) 天竜区の秋葉ダムの北、旧「峰之沢銅山」跡へ

 天竜川をさかのぼって、秋葉ダムの付近まで行ってきました。
 目標は、戦前から1969年(昭和44年)まで銅鉱山として栄えた「峰之沢銅山」です。
 依然かなり前に、N子さんと船明(ふなぎら)ダムの付近まで行ったことはありますが、それより北へはさかのぼったことはありません。

 場所は、現在の住所で言うと、天竜区龍山町下平山で、合併前は磐田郡龍山村でした。ところが、普通の地図を見ても、旧「峰之沢銅山」跡という印さえありません。
 何か、宣伝しないという「負の遺産」という地元の皆さんの、あるいは自治体の位置づけなのでしょうか?

 なにしろ位置もわからないので、天竜区の知り合いにお願いをして、現地ガイドをしていただきました。午前9時半に天竜区役所の駐車場に集合して、車に2台に乗り換えて天竜川をさかのぼりました。

 台風が通り過ぎたのに曇り空、最初は雨がポツポツしていましたが、だんだんと上流に行くと、山の上は白い霧でおおわれていますが、だんだんと霧が晴れてきました。

 船明ダム、秋葉ダムを過ぎてから東岸へ橋を渡り、細い山道(舗装されてます)をどんどん車で上っていきます。
 ガイドのAさん、yさんに、山の上の旧「下平山小学校」跡地(公園)や、鉱山入り口(閉鎖されている)や、山の上の廃墟「アパート」2軒、上から川の付近まで人を運んだ「インクライン」の跡、銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設、中国人強制連行の「慰霊碑」など、貴重な物をいっぱい見せて頂きました。
 ありがとうございました。

 いちばん感じたのは、巨大な「産業遺跡」ともいうべき「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」など、産業史跡として保存をして、後世にきちんと伝えるべきではないかということです。

 それと山の上の方を秋葉街道が通っていて、山の上から見る景色は素晴らしかったです。秋葉街道に接して建てられたお寺「妙蓮寺」は、昔は秋葉街道を歩く人たちのために宿泊施設だったそうです。

 いろいろ学ぶことの多かった旅でした。

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