『西郷隆盛』 人を魅きつける力 (PHP文庫) – 2017/5/2
童門 冬二 (著)
2/1超速読 #西郷どん ㈢ 写真左 ツタヤで今日思いがけず発見
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2017年6月29日
海音寺の緻密な史実評価による無駄のない、そして説得力ある筆の運びとは違い著者の人物解釈が前面に出る。しかし西郷が島に来た当初、大久保らに宛てた手紙の、島に対する蔑みや差別意識に触れている。原文は示されてないが。続く pic.twitter.com/HVWkiIOkWy
2/2超速読 #西郷どん ㈢ しかしその西郷を改めさせ、組織人として成長させたのは他ならぬ島の人々であったと。これは別の場面でも語られる。
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) 2017年6月29日
私はまとめすぎとは思わない。西郷は分からないのに人気があるのはナゼか。
バニラのニュースもよく私はわからないのだから、解釈まとめでよいと思う
これは、
西郷隆盛 人を魅きつける力 (PHP文庫) 文庫 – 2017/5/2
童門 冬二 (著)
童門 冬二 (著)
の改題本です。
童門 冬二と言えば都庁職員。
在職中は、美濃部亮吉都政3期12年を知事のスピーチライターとして支え、都庁首脳として活躍した、とある。
氏の、歴史を「死体解剖する」のではなく「生体解剖する」という歴史観や、歴史を「360度方位から光を当てることのできる多面的な存在だ」という考えは本書速読でもうかがえた。
一方、海音寺潮五郎は鹿児島で中学の教師の経験がある。
海音寺潮五郎は司馬遼太郎の才能をいち早く見抜き、
圧倒的知識の海音寺を、大いに尊敬し、二人は肝胆相照らす仲であった。
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先週、名瀬の書店に行ってみたら、西郷どんコーナーが特設になって充実していた。
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どこかキリストに似ているp255西郷は、「情」に棹さして流され、大久保は「知」働いて角を立てて死を招いたp273。
薩摩藩名義で長州藩のために軍艦や大砲や銃を買ってくれと坂本龍馬に働きかけた際、
亀山社中で、坂本らが使う船も、その中に一隻もぐりこませるよう知恵をつけた
西郷の悪知恵。
P143清濁併せ吞む知恵と悪知恵もけっこう西郷にあったという指摘。
悪知恵という捉え方が新鮮だ。
鹿児島で西郷の悪口を言えば、ただでは帰れない、などと
本当とも冗談ともつかないことが昔からいわれている。
今でもそうなのだろう。西郷どん熱は去年から続いている。
昼前に聞くNHKラジオの鹿児島放送からのお知らせでは、
西郷どん関連の催し物や、講演会のはなしがよく流れている。
しかし、それ一色というわけでもないだろう。
『横目で見た郷土史』―言いたい放題でごめんなんせ – 1996/11 片岡 吾庵堂 (著)
2017年02月03日 | 本と雑誌
http://blog.goo.ne.jp/amami_kaifuso/s/%E6%A8%AA%E7%9B%AE%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%9F
という本もある。
悪知恵という表現で思い出した西郷の悪評について書いておきます。
江戸時代後半から、維新後もつづいた苛烈な黒糖収奪の歴史をもつ
奄美大島では、主に知識層の間では反西郷意識がいまでも強い。収奪に多少の差があった沖永良部島や与論島などと比較してのことなのだと思うのだが、そう言われている。
改定名瀬市誌 第一巻
西郷の奄美大島P495~517には
龍郷時代から沖永良部時代までの西郷の様子が詳しく述べられ、島の迷信打破に努めたり、役人の横暴を懲らしたりする西郷の姿。
それとは、別に明治前期の奄美の経済について
勝手世(かってゆ)騒動P557からは
西郷にたいする手厳しい批判
遠島中大島の砂糖専売の過酷な搾取に憤慨し、島民のために奔走した西郷の姿とは
裏腹に、維新後政府の要職にありながら、県が島人の無知と従順につけこんで作り上げた専売制度による二重の搾取を改めることに動かない西郷の姿が描かれている。
西郷と連絡を取りながら桂が作りあげた独占商社のあまりに理不尽な仕打ちに抵抗し、鹿児島へ直訴に向かった陳情団は、かつての西郷を頼みにしていたのだが、鹿児島でとらえられ投獄、おり悪く、ついには西南戦争に従軍させられ、ある者は戦死、あるものは帰りの船で遭難し、命を落とし、総勢50人余のうち無事に島に帰り着いたのは半数だった。
(このコメントは時間があるときに詳しく加筆したい)