日吉 圭の時事寸評 「やったもん勝ちとはもう言わせない」

イルミーという概念を頭に入れて世の中を見ると、目からうろこが取れたように世の中がしっかり見えるようになります。

いい加減に自立したらどうか、洟垂れ日本

2012-03-31 11:53:29 | 沖縄問題
京都新聞によると、日米両政府は29日、在沖縄米海兵隊のグアム移転費の日本側負担を、これまで合意していた28億ドル(約2320億円)から35億ドル(約2900億円)へ増額する方向で調整に入った。

米国が負担の上積みを求め日本は難色を示していたが、一定の譲歩はやむを得ないと判断した。

沖縄からグアムに移転する海兵隊の規模は4700人から4200人に縮減。

沖縄に残す海兵隊は日米合意の1万人を超過する見通しになった。

複数の日米関係筋が明らかにした。

2006年の米軍再編ロードマップは沖縄からグアムに移転する海兵隊を約8千人としており、ほぼ半減となる。

移転規模を大幅に縮小するにもかかわらず、日本の費用負担を増やすことに疑問の声が出そうだ。

両政府は09年のグアム移転協定で、日米の負担総額を102億7千万ドルと明記。

日本はグアムに海兵隊の司令部庁舎や学校などを整備するため28億ドルを負担し、国際協力銀行を通じ海兵隊の家族住宅などに計32億9千万ドルを融資、出資することで合意している。

米側は今年2月に始まった再編見直し協議で、議会の経費削減要求を理由に、日本の負担を42億ドルに増額するよう要求。

日本側は否定的だったが、日米同盟を重視する立場から負担増に方針を転換した。

一方、在沖縄海兵隊の再編は定員に基づき、その数を従来の1万8千人から千人増の1万9千人として調整。

このうち第3海兵師団の地上戦闘部隊の大半を見込むグアム移転規模は4200人になる見込みだ。

これに06年ロードマップで合意している米軍岩国基地(山口県岩国市)所属の海兵隊ヘリ部隊500人を加え、グアムに移す。

日米両政府は2月8日の共同発表で、在沖縄海兵隊を1万人にすると確認した。

そのためには、さらに4800人を沖縄から出す必要がある。

このうち3500人はオーストラリア、ハワイ、米本土へ移転。残る約1300人は沖縄県の第1海兵航空団司令部で、米側は岩国基地への移転を要求したが、地元の反発で断念。

日本が国外移転を求めたのに対し「岩国が不可能なら沖縄に残す」と譲らず、日本も受け入れた。


さて、新聞は物事をわざと曖昧に書いて国民を煙に巻こうとしているのでしょうか?

この問題は何度も取り上げてきましたが、日本は在沖縄米海兵隊の沖縄県に対する負担が重過ぎるので米側にその削減を求め、多額の金銭負担で応じようとしました。

そして米側は8千人の司令部要員を沖縄から移転すると日本側と約束していたのに、移転要員を司令部要員ではなく海兵に変更してしまいました。

これでは日本側は多額の出資に応じる意味がなくなってしまいますが、その上に米側は4700人に削減した海兵隊移転要員数をさらに4200人に減らすと一方的に通告してきました。

それに加えて、米側は日本側の出資額61億ドルの減額に応じるどころか、68億ドルに増額せよと要求し、日本側はそれを了承すると報じているのです。

まさに狂気です。

7億ドルと簡単に言いますが、この金があれば日本国は東北の被災民に対して一人当たり20万円の支援が出来ます。

その金を何故米軍にやらねばならないのでしょうか?

福島原発事故における米空母ロナルド・レーガンの奇怪な行動から判断して、もはや米軍は日本国民を敵視していると思われますが、そんな相手に金をやるとは論外ではありませんか。

それにしても、上のニュースはほんとうに在沖縄米海兵隊数が削減されることを報じているのでしょうか?

在沖縄海兵隊の総員は1万8千人から1万9千人に増えるのであり、4200人を移転しても1万人超の部分の4800人をどうするのかニュースは明快に報じていません。

そのうちの1300人は岩国に移転が打診されたそうですが、それを沖縄に戻すと言っているではありませんか。

岩国基地への移転は、日本国民の国家自立への覚醒を懸念する日本側に「寝た子を起こされるぐらいなら無理難題を飲もう」と言わせるために使われているアメリカのお決まりの外交カードと言ってよいでしょう。

しかし、山口県も沖縄県も同じ日本国ではありませんか。

沖縄県がこれだけ苦しんでいるのだから、いい加減に覚醒したらどうなのですか、鼻垂れ幼児の日本。
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気づいているのなら広めよ

2012-03-30 12:25:11 | 北方領土問題
(これはブログ人アマがえるブログに2011年2月11日に掲載された記事です)

今ロシアが、戦時中に日露中立条約を一方的に破棄して非合法に占領している北方四島の領有を正式に表明していることはご存知だと思います。

一体あんな小さな島をどうするのでしょう?

またそんな問題を掘り起こして日露間の空気を険悪にしたら、特に日本からの経済協力を欲しているロシアにとって損だとは思いませんか?

そもそも北海道が日本の領土である限り、そして日米の軍事協力が緊密である以上、ロシアはあの島の活用方法がありません。

何故なら、北海道から攻撃されたら瞬く間にあれらの島々は軍事的に無力化されてしまうからです。

しかしそれでもロシアは大統領が四島を訪問する気の入れようです。

それは何故でしょう?

平和ボケしている日本人には分からないでしょうが、ロシアが四島の領有を正式に表明したことの意味は大きいと言えます。

まさかロシアは北海道を占領するつもりなのでしょうか?

そんな馬鹿げたことが・・・。

いやいやそれどころか、ロシアは「あわよくば日本全体を占領しよう」と狙っているに違いありません。

かつてのソ連邦はイルミーの国家でした。

それと歴史的に断続していないロシア連邦は、イルミーの影響力が甚大な国家であることは間違いありません。

そしてこの日本国は国政の中枢までイルミーに食われ始めています。

彼らは「頃合よし」と考えて行動を開始しているのです。

つまり遠からず戦争は予定されており、中国との日本列島争奪戦を有利に展開する為に、ロシアは四島の軍事的重要性を認め、同時に中国を牽制しているのです。

私はこのブログで「日本はかつての元寇に匹敵する亡国の危機にあり、未曾有の国難に直面している」と言ってきましたが、その意味がお分かりでしょうか?

そしてかつての元寇よりも今回の危機が深刻なのは、侵略が内外同時に進行しているからです。

イルミーの見えざる糸、すなわち秘密結社の力を使って侵略は内側からも仕掛けられています。

宮崎の口蹄疫騒動も全国の鳥インフルエンザ騒動も、「日本人を合法的に消してしまいたい」と願う圧力があればこそ引き起こされています。

このような時に、日本人の優しい心とそれが育んできた伝統文化を未来にも継承していくためには、もはやイルミーとの闘いは不可避であると言わねばなりません。

彼らはこっそり仕込む毒をはじめとして、ありとあらゆる手段を用いて野望を遂げようとする集団です。

それと戦うためには、日本人もありとあらゆる方法で、連中を国内の権力の椅子から引きずり下ろさねばなりません。

これは待ったなしの事態です。

かつて私は心臓が壊れるほど連中と戦い、純粋な日本人の手による学位を勝ち取ったことをブログに記しているのは、決して自慢などではなく、イルミーとの闘い方を示して日本人全体にエールを送っているのです。

どうか私を支持する人はもっと私に近づいてきて欲しいと思います。

特に女性たちが私を支持してくださることを願います。

何故なら「イルミーと戦う男が恋愛において有利」という法則が出来たら、ペットのように飼いならされた日本中の男子が少なからず奮い立つことは間違いないからです。

とにかく、イルミーなる存在を認識しなければ事が始まりません。

そこで、このブログが少しでも多くの人に読まれるように、まだイルミー組織に呑まれていない人は、どうか声を大にしてこのブログの存在を世に広めて欲しいと思います。
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今は静かに敗北を噛み締めましょう

2012-03-28 12:09:44 | 日記
産経新聞によると、厚生労働省元局長、村木厚子さん(56)が無罪となった郵便不正事件で、有印公文書偽造・同行使罪に問われた障害者団体「凛の会」発起人、河野克史(ただし)被告(71)に逆転無罪を言い渡した大阪高裁判決について、大阪高検が上告を断念する方針を固めたことが27日、分かった。

同事件で起訴された4人のうち、懲役1年、執行猶予3年の有罪が確定した同省元係長(42)を除き、いずれも無罪が確定することになる。

高裁判決は「捜査段階の自白は信用できず有罪が確定した厚労省元係長との間に共謀は認められない」として、虚偽有印公文書作成・同行使罪で懲役1年6月、執行猶予3年(求刑懲役1年6月)とした1審大阪地裁判決を破棄していた。


さて、いきなり私事で恐縮ですが、私のパソコンはウインドウズパソコンが本来的に有するリカバリー機能であるゼロ起動の画面が出ないようにされている上に、ディスクリーダーがDVDを読み取れないようにウイルスによって改変されてしまったので、今動いているハードディスクが駄目になればもうパソコン機能を回復する術がありません。

つまり「アマがえるブログ」は長期休業に入らざるを得ません。

そんな寂しい時にぬれ落ち葉がホロリと落ちるようなニュースが飛び込んできました。

まるでもうこの世の中に、正義は存在しないかの如きです。

村木厚子局長直属の部下であった上村勉元係長も、これだけの大罪を犯しながら執行猶予の付いた判決で、司法がこの体たらくでは今後どれほど恐ろしい犯罪が野放しにされ、どれだけ多くの善良な人々がその煽りで塗炭の苦しみを味わわせられるか知れたことではないでしょう。

この4人が犯した犯罪は、日本郵便の資産に少なくとも200億円以上の損害を与えただけではありません。

マスコミによって村木厚子氏は横暴な検察の犠牲者のように報じられ、まるで悲劇のヒロイン扱いですが、彼女はすべてを知りうる立場にありながら、横行する不正を野放しにし、部下の監督も出来ず、国家に仕える高級官僚としての職責を裏切って最低の仕事をした人です。

すべてはイルミーの「やったもん勝ち」であり、闇権力の高笑いではありませんか。

私もこの3年以上、命をかけて筆を振るってきましたが、読者の誰一人その真価を認めては下さらず、ネット技術を独占するイルミーとその工作員たちに当ブログがどれほど低い評価を押し付けられようとも、見殺しにされています。

さあ、いよいよ闇の世がやって来ようとしています。

私はただ一人ドンキホーテのように、この闇の進行を食い止めようと最前線に立ち塞がってきましたが、笛吹けど人は踊らず、侮辱だけを受けて空しく放置される有様に、一体日本民族とは何だろうと思わざるを得ません。

しかし街行く人々が好む愛の歌は、「このままでは心が壊れてしまう」と歌っているではありませんか?

「心」の存在は広く社会に認められ、それが壊れ放題にされて良いはずがないのに、現実問題として人は、心がすり潰されるその現場において、目を塞いで何も見ないようにします。

そして「心の存在はまだ科学的に証明されていない」と言い訳をするのです。

分裂人間め、どっちが本当のあなたなのですか?

愛の歌を口ずさんでいる方ですか、それとも「心という曖昧な存在は認められない」と嘯いている偽善者の方ですか?

「心」が厳として存在するのであれば、それを守るために厳として行動しなければならないではないですか?

何故あなたは私のように、そうしようとはしないのですか?
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一年経ってやっと感じたリアリティ

2012-03-27 11:14:39 | 東日本大震災・福島原発事故関連

(これは2012年3月11日ブログ人アマがえるブログに掲載された記事です)

今日はあの東日本大震災発生から、ちょうど一年目にあたる日です。

テレビでは一年前の大津波を、個人が所有するカメラやビデオで記録した映像を数多く流していました。

しかし、今日まで全くと言ってよいほど、テレビでは人が津波に飲まれる映像を流しませんでした。

それは311の実況中継においてもそうでしたし、その後に流れた大津波を記録した映像においてもそうでした。

その訳は報道倫理協会(BPO)が全マスコミに徹底させている「人が遭難する瞬間を映してはならない」という規定に求められます。

ところが、ようやく今日、人が津波に飲まれる映像を見れたことで、私の心の中で「大津波は現実のもの」としっかり座標が定まった一日となりました。

もちろん何が起きたかは分かっています。

そして人々の悲しみがいかなるものかも分かっているつもりです。

しかし、リアリティが乏しかったのです。

人間は作為を加えられて改竄された映像を見せられても、心のどこかで「だまされちゃいけない。これが全てではない」と叫ぶ本能の声を聞いています。

私はその声を一年間聞き続けました。

それは不安定かつ酸素の希薄な状態でした。

そしてようやく個人が映した作為のない映像を見て、私は初めて津波の破壊力とその現実的な怖さを体験しました。

そう私は、まさに一年後の今日、大津波をリアルに体験したのです。

先の報道倫理協会がマスコミに徹底させている指針は、日々起きている小事件の報道においては妥当と言えるでしょう。

誰も殺人事件が報じられる度に死体を見たくはありませんし、いつも世界のどこかで起きている取り返しのつかない事件において、遭難の瞬間や犠牲者の被害直前の行動を見せられたくありません。

何故ならそれらはあまりにもショッキングで、視聴者の心がその報道に囚われてしまうあまり、日常生活に支障が出る場合もあるでしょうし、何よりもそれが毎日では身体がもたないからです。

激しすぎる日々のニュース報道で心が擦り切れてしまっては、いざという時にその心の用いようがありません。

しかしながら、この東日本大震災というのは民族的な大事件であり、多くの日本人が平時から養っている心を用いるべきまさにその時です。

ここで報道倫理協会の命じるままに、大きく作為の加えられた映像を見せられてしまうと、心は民族的大事件を自分のものとして体験したく思っているのに、テレビ・新聞はそれを許さず、畢竟一年間も生煮えの不愉快な状態を味わうことになってしまいます。

つまり、報道倫理協会のやったことは、お節介を通り越して、報道を通して体験したく思う民族的なアイデンティティを積極的に妨害したと言えるのです。

これが悪意でないことを願いますが、その可能性はほとんどないでしょう。

ところで当ブログの東日本大震災関係の記事は、その大部分がめっきりアクセスを減らしてしまいましたが、義援金第三次配分に関する記事だけは今もアクセスが健在で、私はその理由をいぶかしんでいます。

何故なら、私が義援金に関して書いた記事は、日本赤十字協会のアナウンスの受け売りで、特に目新しい内容ではないからです。

ところが、グーグルで「第三次配分 義援金」をキーワードにして検索を行うと、上図のように当ブログの記事が三番目に上がり、アマがえるの該当記事はいの一番に上がっています。

これは一体どうしたことでしょう?

私はグーグルの当ブログに対する悪意を経験から知っているので、「何か間違ったことを書いていないだろうか」と逆読みしてしまいますが、心当たりはありません。

それにこれほどの順位で検索に出るのであれば、どちらの記事ももっとアクセスがあってしかるべきですが、さてさて、きつねにつままれたような感じがします。
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火中の栗を敢えて拾わんとする民主党の真意

2012-03-26 13:16:06 | 日記
時事通信社によると、防衛省は、北朝鮮による「衛星」名目の長距離弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する事態に備え、迎撃の準備を急いでいる。

ミサイル防衛(MD)システムで対応するため、地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)配備先の自治体との調整に着手。

月内にも田中直紀防衛相が「破壊措置命令」を発令し、即応態勢に入る見通しだ。

2009年4月、北朝鮮が太平洋に向け弾道ミサイルを発射した時、防衛省はイージス艦を日本海に2隻、太平洋上に1隻展開。

秋田、岩手両県と首都圏にPAC3を配備し、ミサイル落下時の迎撃に備えた。

北朝鮮が4月12ー16日の間に発射すると予告したミサイルは、沖縄県の先島諸島上空を通る可能性が高い。

このため、防衛省は同諸島の周辺海域にイージス艦を配置し、先島諸島の石垣島、沖縄本島などにPAC3を配備する方針。

航空自衛隊浜松基地(静岡県)の高射教導隊のPAC3を海上自衛隊の輸送艦などで運ぶ方向で調整している。


さて、当ブログはこの4月から国際情勢は一変し、イランと北朝鮮を巡る軍事緊張が高まると予想しています。

またそれと期を一にして、日本国内で懸案の各種政治・経済問題が噴出し、軍事緊張のどさくさに紛れてそれらが矢継ぎ早に決定されていくと考えています。

懸案事項の主なるものは、消費税増税法案の今国会提出とその可決であり、またTPP参加の有無という問題です。

北朝鮮は、4月の記念式典における軍事パレード準備という名目で、全軍に動員をかけておりいつでも南下行動を起こせる態勢にあります。

しかし普通に考えると、日本がもし軍事紛争に巻き込まれるならば韓国軍が北朝鮮軍と戦闘を開始した後だと思われますが、韓国も北朝鮮もイルミーの糸によって統率されている国家と目される以上、北朝鮮軍の矛先がいきなり日本国である可能性も考慮しなければなりません。

ここで日本国が心得るべきことは、一にも二にも「紛争に巻き込まれない」ということに尽きますが、北朝鮮の長距離弾道ミサイルが日本の領空を侵したからと言っていきなり迎撃したのでは、北朝鮮が欲してやまない開戦の口実を与えてやることになります。

ところで、田中直紀防衛相は言うまでもなくその昔ロッキード問題で失脚した田中角栄自民党首相の子である田中真紀子氏の夫ですが、民主党議員でありながら日本の保守層に受けのよい政治家をこの重要ポストに据えたのは、「いざ有事の際に日本の世論をまとめようとする」狙いがあるに違いありません。

先日テレビニュースは、このパトリオットミサイルによるミサイル迎撃成功確率は極めて低いと報じていましたが、迎撃にほとんど見込みがないならばニュースをさかんに流す意味はない訳で、この場合「日本人を出来るだけ刺激せず、ミサイルを撃たせてしまえ」とするイルミー側の思惑が透けていると解釈すべきでしょう。

民主党は、「主要議員のほとんどが在日韓国人から違法政治献金を受けている」韓国に片足をかけた政党であることを今更強調するまでもありませんが、それは在日韓国人間にイルミー組織が浸透しており、その力を結集した党こそ民主党であるからです。

ではイルミーは何故長距離弾道ミサイルを1998年時のように日本列島を横切って飛ばさず、沖縄県の先端を掠めるような飛ばし方をするのでしょう?

それは列島を横切ったならば国際的に日本の迎撃行為が正当化されますが、かすめただけでは「軍事挑発を先に仕掛けたのは日本側である」と、国際社会から非難される可能性もあるからと考えます。

ここで、喧嘩であれ戦争であれ、先に手を出した方が負けるのが世の習いですが、私たちはミサイルが日本列島を横断する場合ならともかく、領空の端をかすめる程度では決して手を出してはなりません。

何故ならイルミーの総本家はアメリカですから、彼らは仮に真実を捻じ曲げてでも、後で北朝鮮を庇い日本の軍事行動を非難する可能性があるからです。
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どさくさに紛れて設定されようとする「帰還困難区域」

2012-03-25 11:42:29 | 東日本大震災・福島原発事故関連

21日の日本経済新聞によれば、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(会長・能見善久学習院大教授)は16日、東京電力福島第1原子力発電所事故の新たな賠償指針を決めた。

政府が3月末に実施する避難区域の再編に伴って、5年以上帰宅できない「帰還困難区域」の住民の住宅や不動産は事故前の価格で全額賠償する。

ほかの区域の住宅などは東電と所有者が価値の減少額を和解交渉で決める枠組みとする。

政府は原発事故で蓄積した年間放射線量に応じ、福島県内の避難区域を放射線量が高い順に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区域に再編する。

賠償指針では、帰還困難区域の住民には避難費用や精神的損害の慰謝料として1人600万円(5年分)を一括で支払う。

居住制限区域の住民には240万円(2年分)、避難指示解除準備区域の住民には当面1人当たり月額10万円を支払う。

3区域すべてについて、就労と営業損害に対する賠償には支払いを終える期限を設けない。

住民が転職や転業で収入を得ても、賠償額を減額しない方針も確認した。

同審査会は昨年4月から東京電力福島第1原子力発電所の事故に伴う損害賠償の指針を議論してきたが、今回で当面活動を休止する。

今後は新しい指針をもとに東電が賠償を進める。

東電と被災者が賠償額で折り合わなければ、政府が設けた原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)が和解をあっせんする。


さて、民主党政府は昨年12月から放射能汚染の激しい地域を「帰還困難区域」に定める可能性を示唆してきましたが、「帰還困難区域」をこの3月末を目処に確定するということを賠償額の報道と同時に流しています。

ところが、今月末まではもう一週間しか時間がありません。

ここで政府が「帰還困難区域」を広く取って賠償に応じる姿勢は評価したいのですが、一方で20キロの警戒区域外であっても公道をバリケード封鎖して、帰還困難区域への立入を制限している姿勢は卑しいとしか評しようがありません。

現行法では「避難区域」外に出た住民が再度「避難区域」に入ろうとするのを政府は禁ずることが出来ますが、ずっと「避難区域」内に留まっている住民を排除することは出来ません。

ところが日刊スポーツが報じるところによると、東京電力福島第1原発事故による汚染土壌などを保管するため、政府が福島県双葉郡に設置を要請している中間貯蔵施設の用地取得に当たり、環境省が事故前の土地の実勢価格を目安として買い取り額を検討していることが25日、分かった。(中略)

政府は3月末をめどに、年間被ばく放射線量が50ミリシーベルトを超える地域を帰還困難区域と定め、5年以上立ち入りを制限する方針。(後略)(共同)


これにあるように、政府は帰還困難区域での居住を制限する方針のようです。

ここで強調すべきは、政府が放射能汚染地域への居住を制限する理由は「住民の発癌率の上昇」以外にありませんが、研究者の間で確立されている常識は「年間被爆が200ミリシーベルトを超える地域では、線量と発癌率が比例する」というもので、100ミリシーベルトぐらいの地域では線量と発癌率が比例する事実(直線性)が確立されておらず、20ミリシーベルトぐらいではむしろ健康によいとする論文すら存在するということです。

ロシアのチェルノブイリ周辺地域でも年間被曝量200ミリシーベルト超の地域を「居住不能地域」に定めていますが、年間50ミリシーベルト超の地域を「帰還困難地域」に指定して居住を制限するのは度を超した対応と言えるでしょう。
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文明が文明に勝利した瞬間

2012-03-21 17:52:37 | 日記
文明とは、人が人を尊敬することによって醸成され維持されます。

西洋文明は第二次世界大戦に敗北した日本国に開かれた民主主義社会制度を教え、その有難みを知った日本人は西洋文明を尊敬しました。

もちろん幕末に鎖国が解かれ交易が開始されて以来、日本人は西洋文明の質の高さを知ってはいました。

しかしそれは優れた鉄の精錬技術であり、精密な蒸気機関であり、それらの技術を駆使して作られた汽車や戦艦といった物の優秀さに過ぎず、日本人はそれらを尊敬というよりは憧憬していたに過ぎません。

そしてそれを羨望し、技術を模倣して我が物としようとしましたが、文明の本質である文化が成熟していなかった為、その試みは猿真似の次元を脱しませんでした。

そしてその幼稚な物真似にいたずらに邁進したことは、戦争時に優秀な人材を大量に損失するという無残な結果を齎しました。

人が人を尊敬することによってのみ文明は承継されます。

かつて戦争に明け暮れた西洋諸国は、互いの長所を賞賛し合ってその文明を成熟させていきました。

一概に言って、一般人は自国の優れた所のみを吹聴し、他国を嘲ってそれを下に見んとするものですが、文明を担う知識人たちは決してそうではありません。

彼らは謙虚に相手を尊敬することによって、真に知識を交換しそれを熟成させるのです。

私は日本という国は、先の大戦で完膚なき敗北を喫したことによって、心から西洋諸国を認めその真価を尊敬し得たのだと思います。

だからこそ、明治、大正の猿真似とは別次元の優れた文明が、この日本国から生じたのです。

今や駅の自動改札や携帯電話の精密さを見ても、この日本国の文明は既に西洋文明を凌駕していることが分かります。

西洋の最先端の宇宙技術や軍事技術ですら、もはや日本の技術なしには立ち行かなくなっています。

私たちは敗戦の経験で心から謙虚になれたので、真に西洋文明を尊敬しその本質を手にすることが出来ました。

この尊敬は、現行の日本国憲法が支える民主主義制度が、昭和時代に日本人に実質的な幸せを齎し得たという事実に基づいています。

私の祖父も父も西洋文明を賞賛し、そのリーダーたちを称えていました。

そのような環境で育ったからこそ、私は科学という分野に進み、純粋に西洋人を尊敬してその教えを乞うたのです。

しかし彼らがこの私に為したことは、この尊敬を根底から裏切る行為でした。

日本人は素直に西洋人を尊敬してその文明を学んだのですが、西洋人たちはもはやこの出来のよい学童に嫉妬し、その破滅を画策し始めていたのです。

彼らは私の内にある尊敬の念を利用して、私という存在を日本文明を滅ぼす匕首として用いようとしたのですが、これは無残どうこう言う以前に、実質的に「文明の文明に対する決定的な敗北宣言であった」点を看過してはいけません。

私を採用した西欧文明の花形たる大教授は、ホンダ車に乗りそれをトヨタ車に買い替え、カシオの腕時計をしていたにも関わらず、日本人など人間の端にも連ならぬと言わんばかりに見下した態度を取っていました。

彼こそ西洋文明の代表者なのですが、「彼がハロウィーンの日にぼろ車に乗って私のアパート前のリバティ小道に偵察に来た」のを私に目撃された時点で、西洋文明は日本文明に完全な敗北を喫したのです。
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イルミーのなす経済テロルに対処する方法

2012-03-20 12:00:16 | 日記
そもそも悪しきことの始まりは、バブル崩壊後の大蔵省による日本長期信用銀行救済でした。

長銀に査定に入った大蔵省の担当官は、当初その負債総額を3千億円ほどに見積もりました。

もし本当にその規模であったなら、銀行という公共的性格を有する機関であり、民営化される前は政府系銀行であった長銀を、公的資金で救済することに大義名分がない訳でもありませんでした。

しかしこれは国民を欺く芝居でした。

そのことは、公的資金が注入される度に新たな額の負債が浮かび上がり、一旦公的資金を注入した手前引くことも出来ず、ずるずると計8兆円ほどの国民の金が長銀に払い込まれた上に、見当はずれな査定をして国家に膨大な損失を与えた大蔵省の一部門が、金融庁として独立を遂げたことからも窺い知れます。

全てはイルミーたちのやりたい放題であり、焼け太りでした。

これぞまさに、連中の好む快哉である「やったもん勝ち」の真骨頂と言えるでしょう。

さて、わが国に限るものではないでしょうが、日本国には国家の金を特定企業のために使うことを禁止する法律がありません。

その時々の政権は「公共的価値がある」と判断するだけで、貴重な国民の税金であるところの金を特定企業の救済に投入出来、そのことはAIJ投資信託の背信行為による企業年金資金の損失を、厚労省所管の厚生年金原資を使って救済しようとする民主党の姿勢に表れています。

民主党はイルミーに功あったAIJ投資信託を救済したいでしょうし、イルミーの命に従って忠実に企業年金を横流しした社保庁や厚労省の天下り幹部たちを、非難の矢面に立たせることも望んでいません。

何故なら民主党こそイルミーが操る傀儡による党であるからで、連中は厚労省所管の年金原資で損失を填補することで、責任追及を免れると同時に、問題を先送りしたく思う弱い人間の性を突いて、日本国民資産に対する経済テロルを最大効率にすることを目指しています。

さて、こうしたことはよくあることでしょうか?

権力者が横暴を極めるのは世の習いで、弱い民草は息を殺してじっと耐えるしかないのでしょうか?

もし、そのように考える者がいるならば、「その者は民主主義制度を担う国民の名に値しない者である」と言わねばなりません。

このような問題を真剣に考え、時の政権に対してものが言えることこそ、納税義務にまさる国民の国家に対する義務なのであり、今そうしなければ、そうなりつつあるように、日本国から民主主義制度が消滅してしまうのです。

性懲りもなく繰り返されているのは、「善良な人間が正しく蓄積した富を、悪しき者がなした愚行を填補することで損傷する」ということで、これを際限なくやられたら受け取り年金額がほとんどなくなるだけではなく、民主主義国家である日本国自体が消滅してしまうのです。

そうならぬために私たちが成さねばならぬことの第一は、「責任を追及する」ことです。

甘えの空気の中で増長し、全てを飲み込もうとする悪に対して、「そんな身勝手は許さぬ」と断固宣言しなければならないのです。

そうは言っても、「企業社員は年金運用者を信頼していたであろうし、官庁から天下ってきたOBの意向に逆らえるはずもなく、年金資金消滅に関して責任がないではないか」と人は言うかも知れません。

しかし、企業経営者には天下りOBの業務をチェックする責務があったのであり、社員は経営者の愚劣さを抗弁に用いることは出来ません。

何故なら、資本主義制度とは、能力ある者が栄え能力なき者が滅びることを、当然の前提として成立している制度だからです。

侍が仕える君主を過てば、共に滅ぶのは当然と言えます。

そこをお涙頂戴で、魔に属する者たちの横暴を許したならば、私たちは遠からず国を失い、それは自分や子孫の命を危うくすることに直結するのです。
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AIJ問題を日本国資産に対する武器として使う民主党

2012-03-19 10:53:03 | 日記
毎日新聞によると、AIJ投資顧問の年金消失問題を受け、政府・民主党は16日、厚生年金基金の公的年金部分の積み立て不足について、厚生年金加入者全体の保険料で補填する検討に入った。

同社に委託している同基金は一つを除き、中小の同業者らでつくる「総合型」。

加入企業の連鎖倒産が懸念され、救済措置が必要と判断した。

前提として基金側の自助努力を求めるほか、救済対象範囲を慎重に検討する意向だが、当該基金とは無関係のサラリーマンらの反発は必至で、導入が難航することも予想される。

厚年基金は国が運営する厚生年金の一部も国に代わって運用、給付している。

加入者は厚生年金保険料の一部も厚年基金に納める。

基金はその保険料も含めて運用する仕組みで、好景気のころは国より高い年金を支払うことができた。

それが株価低迷、超低金利時代を迎え、厚生年金の給付に必要な資金さえ確保できない「代行割れ」の基金が続出。

そこで大企業などは代行部分を国に返し、別の制度に移行を終えた。

ただ、それには国から借りていた厚生年金の資金を返す必要があり、財政難の基金には困難だ。

総合型基金では構成企業の1社が負担に耐えられずに倒産すると、残る加入社が分担して責任を負わねばならず、連鎖倒産につながりかねない。

慎重論もあるが、政府・民主党内では「先送りはよくない」(民主党政務三役経験者)との声が大勢。

「保険料で運営している厚生年金の問題に税を投入すべきではない」(厚生労働省幹部)として、財源は全額厚生年金の保険料とする意向だ。【鈴木直、石川隆宣】


さて、民主党がまた狂気のたわ言を言い始めました。

こうした愚論を打破するために、一つ一つ丁寧に議論していく姿勢を、人類の進化と幸福を願う神様が、本当に望まれているのか私はいつも自問自答しています。

それよりもまず、原理原則を理解することが肝要で、それを理解出来ない阿呆に何を言っても無駄であり、積極的に水掛け論を展開して論者の英気を削ごうとするイルミー構成員たちに仕事をさせてやるだけとなります。

理解すべき原則の第一は、「民主党は西洋イルミー本体に主導される傀儡部隊によって構成されている党である」ということです。

そして原理原則の第二は、「イルミーは、日本国の財政を破綻させ、善良な市民を貧窮の極みに突き落とそうとしている」ということです。

最後に原理原則の第三は、「イルミーはその傀儡がみっちり仕込まれた悪党集団に裏切り行為を行わせておき、護送船団方式でそれらを救済することによって、全ての良き者たちの財産に打撃を与えようとしている」ということです。

この基本がしっかり理解出来ていれば、「何故民主主義の伝統のある日本国で、企業財産と国家財産が混同されているのか?」という疑問に答えることが出来ます。

資本主義社会において高利回りを求める企業年金運用者は同時に、ハイリスクという問題と向き合わねばなりません。

AIJは野村證券にいたイルミー構成員が始めた会社であることは、イルミーの巣となった社会保険庁や厚生労働省の幹部がこぞって天下った先の企業年金をAIJに託したことからほぼ明らかです。

まともな神経を持つ者ならば、ここが唱えていた運用益が嘘であることは分かるはずで、にもかかわらずこのような所に虎の子の年金を託した運用担当者の愚劣さを、日本中のまじめに働いている者たちが被って、痛み分けしなければならない謂れは全くありません。

これは議論する以前の問題で、「こうしたことを論じ始めた」というだけで、民主党幹部は民主主義制度に敵対する共産主義者として、本来なら逮捕・投獄されてしかるべきなのです。

天下った先で企業年金を食い物にしたイルミーの鼠族は、その全財産を提供して損失の填補に充てねばならず、そのための立法をこそ時の政権は模索すべきでしょう。
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鬱病寸前の私は楽観的過ぎますか?

2012-03-17 11:27:12 | 日記
私は厳しい春の鬱的気分の中にいます。

女性は概して鬱になりやすく、私も長年、妻の春の鬱には気をつけてきたつもりですが、今年は自分がそうなっています。

その理由は恐らく、昨年度の大発作によって服用が義務付けられた厳しいベータ・ブロッカー的作用を持つ薬のせいでしょう。

この薬の導入期は鬱的気分で苦しかったのですが、今はこれまでの服用のつけがどっと出ている感じです。

ところで話は変わりますが、読者はこの世界がイルミーによって制覇されるのを当然と思っていませんか?

イルミーは中世ドイツで細々と命脈を保っていたようですが、産業革命の勃発と共に、イギリスとフランスの経済発展の波に乗り爆発的に世界に広まりました。

イルミーの毒から逃げた理想主義者によって建国されたアメリカは、瞬く間に追いかけてきたイルミー勢力にその政治中枢を奪われ、第二次世界大戦以降はイルミーに完全に制覇された結果、偽善(悪魔)の帝国と呼んでも差し支えないような状態です。

そのアメリカにおいて、イルミーの本質を誤解していた理想主義者たちの時代は、朝鮮戦争を指揮したマッカーサー元帥の本国召還によって幕を閉じ、フォレスタル初代国防長官とケネディ大統領の暗殺によって完全に終焉しました。

一方、ロマノフ王朝を倒したロシア革命によってユーラシア大陸に展開したイルミーは、その鬼子である中国共産党を産み落とし、それは中国大陸を手中に収めました。

この日本においても戦後爆発的に増殖したイルミーは、バブル景気を示し合わせて崩壊させる大芝居によってその支配力を飛躍的に高めました。

政権と高級官僚に増殖した彼らは、日本国の富を積極的に西洋イルミー幹部に進呈し、西洋イルミー幹部はもはや一銭も自分の金を使うことなく、日本人から巻き上げた税金を使って自分たちの勢力を列島の津々浦々に移植している状態です。

「もう駄目なのでしょうか?」

「それでもまだイルミーに逆らっている奴は、間抜け極まりない阿呆なのでしょうか?」

その問いに鬱病寸前の私が答えましょう。

「それはイルミーたちが描いている世界征服の夢を、なぞってやっているに過ぎない」と。

イルミーが世界各国の政権中枢に深く浸透したことは事実です。

世界中の富は彼らによって刻々と占有されています。

そして政治体制まで連中の思いのままになった暁には、世界中の富がイルミーに独占されるでしょう。

ですが、この世界は何一つかつての状態から変遷していません。

世界中の街角では愛の歌が流れているではありませんか?

この日本列島においても人々の友情は何一つ否定されておらず、「絆」という言葉が震災復興のスローガンになっているように、むしろ心の連帯が強調されている程ではありませんか。

イルミーはいつの間にか各国の権力組織に浸透してその財力を高めていますが、それだけのことです。

連中の永続的繁栄を可能にする価値観は、何一つ世界の人々の心に浸透していません。

例えば、この世界で「卑怯さは賢さだ」と断言出来るのは、イギリス人と一部のフランス人だけではないですか。

残りの人々は「卑怯さは賢さだ」と言われたら、白い目で相手を睨んで即座に軽蔑するだけのことです。

世界中の人々が「卑怯さは賢さだ」と合唱しない限り、イルミーの拠って立つ基盤は脆弱極まりなく、もしここで連中の本質に関する知識が広まれば、明日にでも彼らの帝国は崩壊するでしょう。

つまりイルミーは非常に不安定な統治システムを世界中で確立しつつありますが、人々の覚醒と同時に一気に裏返る革命前夜の異常状態を醸成しているだけと言えます。

新時代を欲する神は今の状況を肯定しているでしょうし、何よりも人々の覚醒を望んでいるでしょう。

そこで私は一人の人間が出来る限りの力を振り絞って、神に仕えているのです。
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細分化され機能化されていく愛

2012-03-16 10:59:26 | 日記
愛とは人格に対して発せられる条件付けを必要としない感情です。

容姿や才能といった他人の一部にだけ向けられる愛というものは存在せず、それは愛に見えても自己愛の投影に過ぎないでしょう。

愛は社会を構築する上で必要不可欠な要素ですが、愛を憎むイルミーはそれが発露される余地が最小限になるように社会設計をしています。

まず愛の存在を前提とする職業は高度に専門化され、社会的に孤立化するよう他分野との交流が阻害されています。

そのような職業の一つである医師を例にとって考えてみましょう。

医師は患者の生活習慣や思考習慣には全く没交渉で、「病気」という定義に該当する症状のみを取り扱い、病の本質ではなく対症療法に専念します。

その病を生み出している本質は、偏った食習慣や、悔悟的な性格や、加害的な第三者の存在や、巨額の借金であったりしますが、他人が苦しんでいる大本を取り除いてやることなく、表層の現象にのみ対応するのは人間性に対する裏切りと言えなくもありません。

しかし、イルミーが主導する社会において、愛に関わる職業に携わる者はこの理を飲むことが強制されます。

胸部の医師は「これは腹部に問題がある患者だ」と感じても胸部のレントゲンしか取りません。

下手なアドバイスをして問題をこじらせたら訴えられるかも知れず、そのような一線を越えた愛にトラブルで報いんと常にイルミー達が目を光らせています。

看護師は退院した患者と廊下ですれ違っても他人の目を恐れてそそくさと逃げていきます。

本当の愛で接したら患者と結婚する看護師も出てくるでしょうが、それを職場の同僚たちが祝福出来る環境があると言えるでしょうか?

介護士はその勤務時間だけ老人達に優しく、タレントは舞台からのみ観客に愛を振りまきます。

日本人は元来、愛を「愛」と称さずに「情」と呼んできました。

「情に棹させば流される」と言いますが、本物の情ならそれは流されてもしかるべき性質のものではないでしょうか?

江戸時代の町火消しは、焼け出された人々に宿を提供したり、カンパを呼びかけて再起を助けたりしたと言います。

赤ひげ先生は、貧しい者からは治療費を取らず、時には夫婦喧嘩の仲裁すら買って出たでしょう。

愛が愛で在りつづけるためには、愛にある程度の自由度が必要です。

垣根を持たない性質を持つ愛を強引に社会機能化して囲い込もうとすると、その程度が行き過ぎた場合愛を壊してしまいます。

あまりにも細かい仕切りにもはや本物の愛は馴染まず、どんな隙間にも納まる偽善がその替わりに蔓延っていきます。

そこでどんどん愛を専門化し細分化しようとする社会潮流に抵抗しなければ、社会がイルミーの目指す「愛が全く存在しない社会」に変えられてしまいます。
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国は電力会社に対して原発稼動を命令出来ない

2012-03-15 18:24:03 | 福井大飯原発再稼動問題
朝日新聞によると、定期検査で停止している原発の再稼働の条件とされるストレステスト(耐性評価)について、内閣府の原子力安全委員会の検討会は13日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の1次評価で経済産業省原子力安全・保安院が妥当とした審査書の確認作業を終えた。

安全委は近く、審査の内容に問題はないとする確認書を出す。

安全委による確認作業は大飯3、4号機が初めて。

今後、原発の再稼働について、野田佳彦首相や関係閣僚が是非を判断することになる。


さて、この記事を読んで違和感を感じないでしょうか?

電力会社は一民間企業であって、その有する火力発電、水力発電、原子力発電の稼働率をどうするかはまさに経営の根幹事項と言えます。

そこで、大飯原発を稼動させるかどうかは、それを所有する関西電力がその責任において決する事項であり、国がくちばしをはさむべき問題では決してありません。

もし国が原発の稼動を関電に対して命令するのであれば、稼動した大飯原発3、4号機が、津波やテロによって莫大な損害を生じた場合、国がその賠償に関して100パーセントの責任を負うべきです。

「今や原子力損害賠償支援機構が成立しているのであるから、賠償問題が生じた時の国と電力会社の責任分担は事細かに定められており、その枠組みに従え」というのであれば、「全電力会社は既に実質国有化されており、個々の企業に経営責任は存せず、賠償問題は国に加えて全電力会社と全国の受益者が均等に負担すべき問題である」とでも言うのでしょうか?

経営責任が存在しないのであれば、どうして電力会社の安全管理努力を信頼出来ますか?

そのような無責任な構造自体が、企業の怠慢を招き、次の大事故を招き寄せてしまうことが分かりませんか?

当ブログは原子力損害賠償支援機構をして、西欧社会が崇拝する悪魔の一種「ガーゴイル」だと評しましたが、責任の所在を曖昧にして、もっとも悪しき者がなした過ちのつけをすべての良き者たちが蒙らざるを得ない形の最悪の護送船団方式こそ、その名称に相応しいと考えたからです。

この仕組みは積極的に悪しきことを成そうとする企業が存在せず、かつすべての企業の経営能力は同等であるという前提で作られています。

そんな訳がありません。

イルミーという名の悪魔は、積極的に悪しきことを成す者が全ての良き者を巻き添えにして、奈落へ導くことを目論んでいます。

善良な人間は積極的に悪を成そうとは考えませんが、西洋という名の擦れた悪党集団は、その歴史が始まって以来、積極的に悪を成すことによって社会集団を導き続けてきたのです。

心が裏返ってしまった者にとって、良きことを成すよりも悪しきことを成す方が100倍容易です。

何故ならば良きことを成すには優れた能力が必要でその発生を誰も予見出来ませんが、悪しきことを成すのは劣った者にも可能であり、能力を要しない故に結果も容易に想定出来てコントロールしやすいのです。

イルミーたちが福島を超える大規模な原発災害を関西地方で起こそうとしていることは今となっては自明と言えますが、若狭湾原発銀座において大飯原発は古いタイプの炉であり、その再稼動には慎重を期すべきで、国際情勢が不安定でかつ民主党政権下の今、稼動させるのは自殺行為だと考えます。

また、当ブログは福島原発事故を原子炉冷却装置に設置された小型爆弾によるテロと推理していますが、もしそれらが公の説明通りに「たった震度5の地震によって4基の原子炉全てで炉の水漏れを起こしたような代物」であるならば、GEに損害賠償請求が出来るはずではないですか?

何故そうしないのでしょう?

それは日本の有力者は皆、今回の事故がテロで生じたことを知っているからです。

テロならば次にまた起きるではありませんか、チョルノブイリを超える大原発事故が。
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イルミーとは何か? (再)

2012-03-13 12:41:45 | 日記
イルミーとは造語です。

今世界中の先進国は財政赤字で苦しんでおり、国債をはじめとする膨大な国家債務の金利負担に苦しんでいます。

金利負担はますますの財政支出を強いるので、先進各国はその分何かを切り詰めざるを得ず、そのつけは雇用の喪失や社会保障の削減の形で国民に負担を強いています。

赤字の国があるのなら黒字の国もありそうなものですが、貿易収支が黒字で、よって財政も黒字となっている先進国は存在しません。

つまり、先進各国の財政を苦しめている債権者は、それぞれの国家の内部に存在するのです。

では何故そこに課税して、各国は倒産寸前の危機を回避しないのでしょうか?

一国だけがそれを為すことが問題だとしても、先進各国は蔵相会議を毎年何度も開催しているのですから、その折にそのことを議題にすべきではないでしょうか?

そして先進各国が協調して、1人勝ちの勝者である特殊な国民に課税して、財政を健全化すべきではないでしょうか?

そうしない訳は明白です。先進各国の首脳はすべからく、その1人勝ちの勝者のいいなりになっているのです。

しかし全く造反者が出ない今の状況を説明するためには、国民の目からは見えない秘密同盟のようなものを想定せざるを得ません。

それをイルミーと呼んでいます。

ですが、イルミーとは同盟という程度の生易しいものではありません。

それは裏切り者に死の制裁を課す、残忍なカルトであり、秘密結社です。

私たちは今やイルミーのことを語らなければ、国家首脳が何故国民を苦しめることばかりするのか説明できません。

そこを話題にしなければ、私たちはどんどん貧しくなっていく傾向に歯止めをかけることが出来ません。

どうかイルミーという言葉を使って、他人との議論を容易にしてください。

(追伸)
私はこの「イルミー」という単語が広まるかどうかが、当ブログとアマがえるブログで展開してきた主張が社会に受け入れられるかどうかを意味すると考えています。

イルミー陣営は明らかに「イルミー」という単語を異なる意味でその追随者たちに使うように強いて、私の主張する本来の意味でそれが使われないようにする言論操作を行っているようです。

一方で、世の中には私の主張に共感する人も少なくないようでありながら、「イルミー」という単語を使って下さる人は多くありません。

私のブログへの投稿者でこの「イルミー」という単語を使うのを忌避する者が多く見受けられますが、私はその行為によってそれらの者たちがイルミー陣営から遣わされた者たちだとまず仮定します。

極端な話、「イルミー」を使う者は味方であり、「イルミー」を使わない者は敵なのです。
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星を倒すために星を拾う

2012-03-13 12:19:55 | 日記
イルミーはカルトを紐帯として形成されている団体です。

そしてカルトとは遊牧民族の生贄の祭壇から生まれたものであり、イルミーたちはこの現代においても殺人儀式を執り行って祭壇を祭り、それを崇拝しています。

そこで、イルミーを悪魔崇拝と断じても過言ではないでしょう。

オカルトで結束できるという性質は、優しい目をした大型動物を殺し続けて来た遊牧民族の血に流れる業です。

そのイルミーが敵とするのは、愛情を拠り所にしている集団です。

人間社会は、尊敬を柱にして形成されるか、恐怖を柱にして形成されるか、二通りの可能性があります。

前者は人間の愛情を拠り所とし、後者は人間の卑怯さを拠り所とします。

両者は並び立たないために、特に後者は前者を激しく憎み、前者が発生する可能性を呪い続けています。

そこでイルミーは、愛情豊富でありながら卑怯さの陣営に居場所を求める者、つまり愛の陣営からの「跳ね返り」を重宝します。

ところで、人間の才能はその有する愛情によって育まれます。

本来この愛多き有能者はイルミー陣営にとって敵の最たる者なのですが、イルミー社会を形成するためにどうしても才能は必要なので、彼らは「跳ね返り者」を重宝し、それらはイルミーの出世の階段を駆け上がります。

昨今、立派な才能を有する見た目高潔な人物でありながら、イルミー陣営で大きな役割を果たしている日本人が目につきます。

イルミー集団はそうした「跳ね返り者」を皆で持ち上げ、スポットライトを当てて英雄扱いし、下々の者たちの心の支えとしています。

ここで、イルミー集団でしっかり洗脳されているのは組織幹部だけで、下の者達はカルトによる軽い催眠に導かれているに過ぎませんが、彼らはどうしても社会に愛の要素を求めてしまうので、心のよりどころとする支柱が必要となります。

その支柱となっている者たちが、見た目高潔な有能者たちなのです。

しかしもちろんそうした「跳ね返り者」たちは、イルミーの命令に従って愛の陣営に打撃となるような裏切り行為を繰り返しているため、その豊かな心を日々滅ぼしています。

そして、その者を信じた善良な人々をもまた、その歯牙にかけて滅ぼしています。

「跳ね返り者」を尊敬するイルミー集団の下々の者たちは、その過程を悲しい目で見つめながら、「世の中とはこうしたものだ」と自分たちの成功の苦さをかみ締めます。

しかしながら、イルミー組織が卑怯さを紐帯として形成されているということはつまり、イジメを好む僻んだ心を持つ人々によって構成されているということです。

そこで、イルミー構成員が心に愛のない卑怯者ばかりであったならば、組織はすぐにその醜さを露呈し、構成員同士の足の引っ張りあいで瓦解していくに違いありません。

よって、私は「跳ね返り者」たちに言いたく思います。

イルミー幹部たちは、あなたがたを仲間と看做していません。

敵陣営を裏切った者として、敵を倒す過程で重宝されているだけで、敵がいなくなればいずれ不要とされます。

どうか人間の卑怯さを己の哲学で否定して、持って生まれた魂が喜ぶような生き方をして欲しいと思います。
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仁王立ちしたインディアンの子供

2012-03-12 12:43:15 | 日記
アメリカのベイエリアのとある公園にインディアンの少女がいました。

それは風通しがよくて爽やかですが、すぐ近くにベイのコンビナート群も見渡せて、少し哀愁を感じさせるような土地でした。

私が子供を滑り台で遊ばせていると、その子は怒った顔で私たちの横に立ちました。

小太りで我儘そうに見えるその子は、どうも「ここは自分の縄張りだからどいてくれ」と圧力をかけているようでした。

私は驚き、公園が皆の共有であることを説明し、一緒に仲良く遊ぼうとその子に諭しました。

するとその子は「納得した」ではなく「負けた」という顔をして、くるりと背を向けて去っていきました。

私は呆然としながら、この子の態度にも一理あるかも知れないと思いました。

かつてアメリカの大地はインディアンのものでした。

そこへ白人が入植してきて、特に西海岸のインディアンたちは皆殺しになりました。

ヨセミテ渓谷のインディアンは1人残らず殺されましたし、ラッセン高原のインディアンたちは全滅したはずのところ男性1人だけが生存していて、当時の新聞の大スクープとなり、その後その男性にはアメリカ市民権が与えられました。

さて、我欲に長けた感じのするその少女は、インディアンの名族の血を引いているのでしょうか?

この土地が本来自分のものであるなら、よそ者をどかせるのは当然でしょうし、そのよそ者が小賢しい理屈を述べて手に負えなければ、憎憎しく去ったというのも自然な振る舞いだったのかも知れません。

ところで、多くの日本人は気付いていないことですが、アメリカ人の多くは日本人をインディアンと同類だと見做しています。

私たちは長年この日本列島に住み、文化的統一体を形成してきたからこそ、ここが自分の土地だと思っています。

ですが、今やこの日本国で指導者然としている人々は、日本人という民族性に背を向け、グローバリズムに尻尾を振り、このブログで述べてきたイルミーの非人道性すら己の力であるかの如く快哉をもって迎える者ばかりとなっています。

例えば昨今日本の名所・旧跡が次々と世界遺産指定を受けていますが、グローバリズムがやがて世界全体を覆ったとき、そこは会員だけが訪れることの出来る特別な土地となり、会費が払えない日本人は足を踏み入れることも出来なくされるのではないでしょうか?

今後ますます蔓延っていくに違いない見えない身分制の影響で弱い立場に追いやられた多くの日本人が、蔓延する病気や汚染食物でその数を大きく減じた後、日本人支配者の血をひく子供が、あのインディアンの子供のように日本のどこかで仁王立ちする日が来るように思われてなりません。
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