馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

近江八幡に行きました。

2016年11月07日 | 歴史
5日(土)ヴォーリズ学園で公開講座「女子教育の夜明けー広岡浅子、成瀬仁蔵、ヴォーリズ夫妻ー」がありました。表題の講演1は元日本女子大学学長・蟻川芳子氏、そして講演2「ヴォーリスに師事した最後の弟子が語る「W.M.ヴォーリズの生涯と建築作品に込められた思い」を矢野義氏が務められました。
  

 今回の公開講座の案内をしてくれたのが太田博・宏子夫妻です。実は講師の矢野義さんは太田ひろ子さんの叔父さんに当たる人です。講座の内容はNHK朝ドラ「あさが来た」で紹介された広岡浅子を中心とした人物、特に日本女子大学設立に関与した実在の人物像とそれらの人々と深くかかわった一柳満喜子・ヴォーリズ夫妻のお話でした。また矢野義氏は直にヴォーリズに仕えた数少ない現存の人で、ヴォーリズの人となりや人生観を実話に基きユーモアを交えてお話になりました。当ブログは自慢にもならないのですが人様の講演と云うものをめったに最後まで聞く辛抱がないのですが、今回はみっちり最後まで興味深く聞き入りました。
講演の前後の時間に余裕があったので近江八幡の観光名所を巡りました。近江八幡の掘割は時代劇のロケ地でお馴染みです。また絵を描く人にとっては画題に事欠かないところで、当ブログは仲間を案内して年に何回か訪れるところです。
しかしこれほど何回も訪れているところですが八幡山(鶴翼山)に上ったことがありませんでした。今回、ケーブルカーで八幡山山頂まで登りました。ここは羽柴秀次の居城で近江八幡城がありました。秀次切腹ご廃城となってしまい、その後江戸時代には近江八幡は幕府直轄地となってしまいます。
八幡山頂から西湖 背景に見える山の手前側は安土山(安土城)。
この八幡山城は築城当時、東西に内湖があり、南の平野部に城下町を配し、安土城に大変良く似た立地のお城と言われています。
  
安土城古地図
そもそも、織田信長が何故美濃の岐阜から近江に安土居城を移したのかがよく分かっていません。畿内をほぼ平定した信長が次に目指すのは京都のはずです。それが何故安土なのか?そしてその安土城は従来の戦闘目的と云うよりも豪華絢爛、人々の度肝を抜くような奇抜なお城を作りました。城と云うものは今までは籠城して戦うためのものでした。しかし安土城にはそんな常識を覆したお城だったようです。
当ブログは以前からも今も「何故、安土なの?」という疑問を持ち続けています。八幡山山頂から琵琶湖を眺めて、戦国時代当時の景観を思い浮かべて安土山を眺めてしばし戦国ロマンに浸りました。



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