馬糞風リターンズ

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敦賀市散策(2)・・・歴史散歩

2016年09月15日 | ドライブ・旅行
敦賀は古い歴史のある街です。今、敦賀市では大河ドラマで片岡愛之助が演じる大谷吉継で注目されています。街のあちらこちらに「敦賀城主・大谷吉継」とのぼり旗が立てられています。駅構内にも大きな観光ポスターが掲げてあります。
大谷吉継は秀吉の小姓として重用され着実にその地位を高めました。秀吉には加藤清正、福島政則など幼少の頃から子飼いの武将、また近江長浜時代の石田三成、大谷吉継もその一人です。特に吉継の母親が淀殿の侍女であったことから他の子飼いの武将とは若干異なった立ち位置にあったともいわれています。俗説ですが吉継の母が淀殿の取次役であったことから秀吉との接点も多く、吉継は秀吉の隠し子などとも。また、秀吉には子種がなかったとされ、秀吉の子・秀頼は吉継と茶々との間にできたなどとも後世のうわさ話になっています。天生十七年(1589)敦賀城主となり慶長五年(1600)関ケ原の合戦で大名クラスで唯一死亡(自刀)、その間一二年間軍事・物流の最重要拠点敦賀城下の整備拡充に才覚を発揮しました。敦賀城は江戸幕府の下、元和(1616)の「一国一城令」により破却され、昭和二〇年の戦火により敦賀市街の文化財の多くが焼失し現在吉継の時代の遺物は殆どなくなりました。
敦賀城礎石がある真願寺は改修工事中

敦賀市観光パンフレットには「吉継ゆかりの地」として真願寺をはじめ数か所のお寺や神社が記載されていますが多くは古文書が保管されているようで観光アイテムとしては魅力に欠けるものです。歴史上の人物像はドラマ、映画、小説などでの描かれ方で大きくイメージが左右されます。今放映されている大河ドラマでの大谷吉継のイメージは果たして実像を投影しているのだろうか?演じる片岡愛之助も敦賀を訪れ歓迎されたそうです。
宿啊の眼病で失明、輿に乗って関ケ原に陣取り、藤堂高虎と激突、善戦するも小早川秀次、脇坂安治らの裏切りで横槍を受けて大谷軍は壊滅、陣中で自刃。享年三六歳。辞世「契りあらば 六つの巷に 待てしばし 遅れ先立つことはありとも」
敦賀市では「芭蕉探訪ウォーク」も予定されているようです。当ブログも奥の細道を取り上げたことがあります。「おくのほそ道」を読み、描きしてみよう。(17)敦賀・種の浜(いろのはま)
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