山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

おほかたの秋のあはれを思ひやれ‥‥

2006-11-23 07:04:22 | 文化・芸術
Kanonmichi

-四方のたより- 行き交う人びと-「かんのんみち」の茶谷祐三子

17年ぶりに相対した彼女は、嘗て私の知る面影とはまるで異なり、別人格の趣さえあった。
一昨日(11/18)、土曜の午後、谷町4丁目近くの山本能楽堂へと、インド舞踊や巫女舞をする茶谷祐三子が踊る「かんのんみち」を観るべく出かけた。


1989(S64)年6月4日の天安門事件、その2週間前の5月19日から24日、われわれ一行は上海・瀋陽・北京を巡っていた。一行とは瀋陽(満州時代の奉天)で開催中の中国評劇交流祭に現代舞踊の公演をするため組織した12名の訪中団である。民主化を求めて天安門前広場へ集結するデモ隊は日毎にその数を膨らませ、北京の学生たちばかりではなく中国各地からの学生や労働者たちで連日100万を越える人びとで溢れかえっていたが、5月20日戒厳令が布告され緊張は一気に高まり、旅行者たちは北京市内に入れなくなった。
われわれ一行が瀋陽での公演を無事済ませ、空路北京へと移動したのが23日。市内に入れぬわれわれは仕方なくその日は万里の長城へと観光に、翌日も些か時間をもてあまし気味に頤和園などを拝観して帰国の途に着くのだが、一行のなかで一人、戒厳令下の北京に残ったのが茶谷祐三子だった。


彼女が私の前に登場したのは、ということは稽古場に通ってくるようになったのはという意味だが、その数ヶ月前だったろう。中国公演のメンバーに加わったのは、この機会を捉えて心中秘かに期するものがあったのだろう。大学を出て数年、会社勤めではどうやら人間関係に適応しかね挫折したらしく、当時すでに27歳になっていたという彼女は、自身を没入すべき対象を求めながらも長く混迷の淵に彷徨っていたように見受けられた。尋ねれど、探せど、見つからない、出口なしの状況に、心は傷みすでに病みつつあったとも見えた。
その彼女がひとり、十日後にはあの人民解放軍によるデモ隊大量殺戮の流血、天安門事件となる北京に残り、彼女にすれば必死の、不退転の、放浪の旅へと立っていったのだった。


西へ西へと歩いたであろう彼女が、インドへ辿り着いたのがいつ頃であったかは、詳しくは知らない。旅路の果てはインド舞踊の師の許であった。いや本来の旅のはじまりというべきか、その師に内弟子として受け容れられた時より、彼女の探し求めていた没入の対象を得て、師資相伝の舞踊修業がはじまったのだろうから。
以来十数年、すでに師は此の世の人ではないと聞く。インドで知り合ったスイス人と結婚し、彼とスイスで数年を過ごしたものの、言葉の壁も厚い遠く異郷の地の暮しのなかで、彼女の舞踊の道は閉ざされ気味にあったのだろう。彼女はその道行きの新天地を自身の故郷へと求め、3年ほど前に日本へ帰ってきたらしい。彼女の生きざまに理解のある彼は、互いに遠く離れた暮しを受け容れ、時折往き来しあっているとも聞く。


今回の山本能楽堂での公演は、彼女自身の初めての創造作業だという。帰国後の彼女の活動は、どこで習得したかはしらないが、巫女舞をおちこちの神社で奉納舞として演じたり、インド舞踊を伝統音楽や民族音楽系の演奏者たちと組んで各地でイベント企画し披露するといった形でひろげてきているようだ。
舞台は、舞ひとりに演奏者4人。古層を伝える薩摩琵琶や尺八、さらにはvoiceも使う井上大輔、アイリッシュハープ奏者のみつゆきなる人、アボリジニに伝わるディジュリドゥなど民俗楽器奏者の榊原MARI大司、それに和太鼓の長田正雄でなる。
文字どおり起承転結の4場構成、各場で衣装を替え、舞いの様式も変えているが、なんといっても第2場のインド舞踊を踏まえた踊りが佳い。はじめに記したように、私の知る17年前の彼女とはまったく別人格の踊り手と見まがうほどに、所作も表情も達意の芸となっていた。巫女舞に漂う精神世界を讃える向きもあろけれど、これは私の関心領域にあらず評価対象外としておきたい。
惜しむらくは、和太鼓の音世界と他の3者のそれとの競演が、交叉することなくどこまでも異質のままに終ったということ。和太鼓固有の伝承奏法そのままにこれを駆使されてはコラボレートに成り得ないのは、私などには自明の理であろうと思われるのだが、なぜ他の競演者たちはこれを許してしまったか、どうにも腑に落ちない。
さらに苦言を呈すれば、全体で1時間半余という所要時間の長さだ。時間はその密度と相関するが、和太鼓の異和がつきまとうコラボレートの失敗は、時間の流れをただ冗漫なものにしてしまったというしかない。このあたり誰が構成者としての視点を担うにせよ、今後の大きな課題となるだろう。


ともあれ、ひとりの舞踊家とこのようにして邂逅できたことはなかなかにないことで、まこと悦ばしいかぎりではある。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-96>
 散りくもる峰の木の葉の風の上に月はしぐれぬ有明の山  冷泉為相

藤谷和歌集、冬、月前落葉といふこと。
邦雄曰く、各句に尋常ならぬ技巧の端々がみえて、一読するにも心構えが要る。「散りくもる」、「月はしぐれぬ」など、うつかり読み過しそうなところが、実は要になっている。しかも、「月」は「風の上に」と、身をかわすような妙趣を見せるから油断は禁物。ただあまり凝った修辞を煩わしいとする人もあろうか。異腹の長兄の為氏とは41歳の差あり、と。


 おほかたの秋のあはれを思ひやれ月に心はあくがれぬとも  紫式部

千載集、秋上、題知らず。
邦雄曰く、あはれは月のみならずと、わが心に聞かす語勢、切々たるものあり。佳作に乏しいこの閨秀作家の貴重な一首。紫式部集では詞書「また同じ筋、九月、月明き夜」が添えられ、新古今入選の「入る方はさやかなりける月影をうはの空にも待ちし宵かな」と関わりのあることが判る。月は男にとっての新しい愛人、秋は即「飽き」との懸詞であろうか、と。


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