心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

秩父・大持山とウノタワ(1)

2020年06月05日 | 奥秩父・秩父


大持山(1,294m)


 秩父の山というと、杉の樹が多いというイメージを持っていましたが、11月に武甲山に登った時の紅葉はとても鮮やかで美しく、杉だけの山ではなかったと思いました。
 武甲山から稜線を南に下り、子持山・大持山・横倉山とたどった先に、「ウノタワ」という地名があります。
 「ウノタワ」というのは、とても不思議な響きです。1,452ページもある分厚い『角川日本地名大辞典11 埼玉県』(1980年)をひいても、「鵜ノ木」の次が「鵜森」(うのもり)で、ウノタワは出てきませんでした。しかし、ウノタワの「ウ」は鵜では?という気がしました。
 武甲山に登る時と同じく、西武秩父線の横瀬駅からタクシーで石灰石工場の横を通り、一の鳥居まで行きます。武甲山へ行くには、西に向かって表参道を歩きますが、今日は南の方角へ、妻坂峠へ向かって歩きます。
 右下に沢が見えます。流れは細いですが水音は小さくありません。その後すぐガードレールが現れ、細い林道と交差します。林道には「通行止」の標識が立ち、踏切のように先がふさがれていました。
 沢が途切れ、なだらかな丘のような斜面を登ると妻坂峠でした。妻坂峠は地名大辞典にも項目が出てきます。


 「~ 元亀3年3月5日の鉢形城(寄居町)の北条氏邦と推定される印判状に、上杉一揆が名栗川沿いに秩父方面へ出陣したことを述べ、「都摩坂」を越えて持山にたてこもった旨が見える。峠の名は、鎌倉初期の頃、秩父の庄司畠山重忠が鎌倉へ行くとき、妻にこの峠まで見送らせたとの伝説に由来する。峠には、石仏が1基置かれてある。 ~」
 (『角川日本地名大辞典11 埼玉県』(角川書店))
 
 妻坂峠は、ずっと昔から秩父へ行き来するための大切な道であったとのことです。ここを通って行くのが、地形的に行きやすい道だった感じがします。
 1980年に発行された辞典に書かれている1基の石仏が確かにありました。延享4年(1747年)に建てられたという説明書きがついていました。長い間、雨風にさらされて耐えてきたことが伝わってくる小さな石仏でした。
 ここから、飯能市と横瀬町の境目をたどって大持山まで登ります。急な坂が多いです。広葉樹が増えて、明るい道になりました。片側は植林された杉林、反対側は自然のままの森という場所もよく出てきました。
 




  (登頂:2017年10月下旬) (つづく) 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。