鎌倉幕府から危険人物として伊豆配流を言い渡され、あろうことか陸地ではない伊東の俎岩(まないたいわ)に置き去りにされた日蓮聖人。
川奈の漁師・弥三郎さんは、俎岩に置き去りにされた日蓮聖人を自分の船に乗せ、助けました。
そして危険を顧みず、日蓮聖人を岩屋の奥に30日余りも匿い、夫婦で給仕しました。
これらの彫刻は、弥三郎夫婦の家の跡に建てられた蓮慶寺の本堂にあります。
見事ですよね~!
お岩屋から坂道を登ること7~8分、川奈の港を囲む山の中腹に、蓮慶寺はあります。
本堂です。
何といっても左右に立てられたのぼりが印象的です。
「東京舩守会」が寄贈されたようです。
あるんですね!舩守会。
山号はそのまま「舩守山」です。
日蓮聖人像がありました。
わ~!お若い頃のご尊像でしょうね。
清澄・旭ケ森にあるご尊像の分身、と刻まれていました。
てことは4月28日の立教開宗の第一声をあげられた時のお姿ですよね。
調べてみると日蓮聖人31才のお姿になります。
福島さんという方が、旭ケ森のご尊像を殊のほか尊び、ご自身の喜寿に際して発願されたそうです。
日蓮聖人像は各地にありますが、それぞれに個性があります。
いろんなご霊跡を巡っていると、自分にしっくりくるご尊像が必ずあります。
ご霊跡を再び訪れるきっかけになれば良いと思います。
境内はほぼ斜面です。
どこからでもお岩屋の方面を望むことができます。
斜面のいちばん上に、龍王様がお祀りされています。
ご霊跡を守って下さっているようです。
舩守弥三郎夫妻の墓所です。
中央が弥三郎夫妻の墓石、そして左右にあるのがこのお寺を開いた五世代後の子孫・蓮慶上人夫妻の墓石です。
日蓮聖人から弥三郎さんは「清信」、奥様は「妙清」の法号を頂いたそうですよ!
歴代お上人の御廟を参拝。
日蓮聖人のほか、六老僧の一人・日興上人と、そのお弟子さんの日目上人の名前が刻まれていました。
開山を日蓮聖人と仰ぎ、二祖が日興上人、三祖が日目上人ということでよろしいでしょうか。
最後に本堂横にある小さなお堂「舩守堂」をお参りしました。
このお寺を守護して下さっている善神・舩守龍神様をお祀りしているそうです。
海上従事の人、水を使う仕事をする人にご利益があるそうです。
僕も30年近く、趣味でサーフィンをしてます。これから先も、楽しく波乗りできるよう、お参りさせて頂きました。
さて、心優しい漁師夫婦にお岩屋で匿われ、何とか命をつなぐことはできた日蓮聖人。
監視が厳しいこの伊東の地で、この後どうやって立場を回復してゆくのでしょうか?
次回を請うご期待~!