日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

正中山奥之院(市川市若宮)

2017-07-09 14:17:36 | 旅行
大本山・正中山法華経寺
このお寺のルーツのひとつは、かつて中山のとなり町・若宮にあった法華堂でした。


法華堂はもともと、日蓮聖人の大壇越である富木常忍公の邸(若宮館)にあったそうです。


現在、その地に法華経寺の奥之院があるというので訪問しました。
山号は法華経寺と同じ「正中山」のようです。
なので正確には「正中山奥之院」です。


本堂です。
屋根の中央に桔梗の紋が掲げられています。
法華経寺にも桔梗紋があったな~。富木家の家紋なんでしょうか?


富木常忍公(のちに出家して日常上人になる)のご尊像がありました。
富木常忍公は日蓮聖人の6才年上で、この地域の役人をしていた方のようです。


結構お年を召された頃のお姿でしょうか。
富木常忍公ご自身は82、3才までご存命だったようです。
当時としては長寿ですよね~!!


富木常忍公が66才の時に、日蓮聖人がご入滅されています。
「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも描かれています。
富木常忍夫妻の隣には、友人の太田乗明夫妻がいるのがわかります。


松葉ケ谷で念仏衆の焼き討ちに遭って一時避難したのも、小松原で東条景信に襲われたあとに身を寄せたのも、厳密にいえば中山でなくこの若宮の地でした。

日蓮聖人はこの地で合計百回にも及ぶお説法をした結果、多くの住民がその教えに帰依したようです。
ここ奥之院は「初転法輪の地」とも言われています。


富木常忍公の御廟も、この奥之院にあります。


この六角堂「常修堂」が御廟と思われます。
日蓮聖人の布教活動を支え続けた富木常忍公。
日蓮聖人ご入滅後に出家して日常上人になってからも生涯、宗門を支え続けました。
見返りを求めず、与え続けることに徹した・・・「布施」を体現した方だと思います。


だからでしょうか、本堂でこんな紙を下さいました。
「無財の七施」
ついつい「我」を優先させてしまいがちな毎日ですが・・・
いつも「施」を心掛けようと思います。
これならすぐにできそうですよね!

大切な、当たり前の事を気付かせてくれた奥之院、富木常忍公に感謝です。
この記事についてブログを書く
« 柳久根(富士河口湖町小立) | トップ | 江川家住宅(伊豆の国市韮山) »