ドルフィンベルベット

マイペース人馬の自由な日記

平凡な人馬だけど

2012年11月01日 12時57分29秒 | 乗馬10年

クー太郎が19歳になり、そろそろ引退(競技)の時期を考えるようになりました。
最近ふと、これまでの乗馬人生を振り返ることが多くなりました。

ところで、大学の馬術部出身の人に「乗馬」というと、「乗馬」じゃなくて「馬術です」と正されることがありますが、乗馬と馬術って何が違うんでしょうね?

乗馬を始めたばかりの頃は、私も上達の意欲があり、競技にも興味がありました。
当時いたクラブが競技会場で、私も使役があったので、「いるなら出ておこう」ということで、毎回参加していました。
今のクラブに来てから5年間は競技会から遠ざかっていましたが、この12月に(恐らく最後の)馬場馬術競技会に出ようと思っています。

私もクー太郎も3課目で終わります。
自馬にする前から3級試験、2課目、3課目と、常にクー太郎と一緒に踏んできました。
4課目をしてみたいと思ったこともありましたが、クー太郎は障害も得意だったので、3課目&100cmの複合競技を目指していました。

100cmに挑戦したいと言った時に、当時調教をお願いしていたロシア人に「100cmを飛ぶには120cmが飛べなければダメ」と言われ、それから練習が始まりました。
最初に異常に気付いたのは当時の装蹄師Oさんでした。
歩く時に後肢を捻るようになっていたのです。
すぐに障害はやめました。クー太郎12歳の時です。

それまではあまりにも無知だったのです。
肢元のことも、背中のことも、内臓のことも。
それからは、クー太郎の体調を第一に考えるようになり、馬のことを勉強しました。

無理をせず過ごしてきた結果は「平凡な人馬」ですが、私は本当に本当に幸せでした。
クー太郎と、クー太郎に巡り合わせてくれた神様に感謝感謝です。

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健診後のご褒美

2011年06月22日 21時21分27秒 | 乗馬10年

今日はダミ子姉さん、デビ子とともに人間ドックに行ってきました

無病息災ならぬ、一病息災で、今回も特に大きな問題はありませんでした
腎結石もいつの間にか消失。さらに、嬉しいことに腹囲が3.5㎝減りました
これはもちろん、今日のために、必死にウェストのツイスト運動をしていたからです
去年と同じ体重に持っていくために、プチダイエットもしました。

健診でイチバン辛いのは、朝ごはんが食べられないことです
なので終わってからはご褒美として思いっきり美味しいものを食べま~す

たまたま1週間前にテレビで見た神山町の『魚力』という魚屋&定食屋さんに行って、念願のさば味噌煮定食を食べました
味噌たっぷり
味も美味しく、岡江久美子さんは味噌だけを持ち帰ったことがあるとか。
ご飯はお代わり自由ですが、1杯目から一口でも残したら「500円」だそうです
同じ味噌煮を食べたデビ子とともに、ご飯を1杯お代わりして、ペロリと平らげました

入り口でメニューの札を取ります。
裏には番号が振ってあり、その日のラッキーナンバーに当たると、小鉢を1品サービスしてくれます。

場所を変えてデザート

あぁ~、甘いものを食べている時は本当にしあわせです

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馬の学校

2011年06月17日 19時25分58秒 | 乗馬10年
クー太郎がいたクラブには馬の仕事を目指すための学校が併設されています。
JRAの三浦騎手もいました。
恐らく、この手の学校としてはパイオニア的な存在だったと思います。
多い時は100名位入学していましたが、動物相手の仕事の勉強ですから、甘くはありません。
続けられない学生さんもたくさんいました。

職業学校の暗部というかカラクリというか、勉強という名目で、馬房掃除や馬の世話など、良いように使役されているような印象を受けることもありました。

中学生くらいのの学生さんもいれば、大学生くらいの学生さんもいました。
イライラして動物にあたることもありました。
馬房掃除の時に、ふてくされて鉄の扉を思いっきり閉めてみたり…
ふてくされてではなく、故意にそいうことをする学生もいました。

本当はその場でぶん殴ってやりたかったのですが、人質ならぬ馬質を取られている身としては、強いことは言えませんでした。

もちろん、性格の良い学生さんも大勢いました。
みんな馬に対してとても優しいのです。
しかも礼儀正しい。
三浦君もその一人です。
動物相手の仕事ですから、そういう学生さんしか残らないようにできているようです。
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自馬

2011年05月26日 13時16分22秒 | 乗馬10年

8年前(2003年)の5月1日から、クー太郎は我が家の一員になりました
と言っても、半自馬でしたが。
半自馬だから値段が半分ということではなく、ちゃんと1頭分、150万円を支払いました。
この後、全自馬にする際にひと悶着あったので、その馬を一生面倒みたいと言う人には、半自馬はお勧めしません

クー太郎を自馬にしたいと言った時、担当者のSさんは、「最後まで面倒みられますか?」といつになく真剣な顔で聞きました。
「もちろん、絶対に手放しません」と即答しましたが、馬を安易に売らない姿勢に、若いけれどいい人だなぁ、と関心しました。
後に、某クラブで「馬の福袋」なるものが出た時は、怒り心頭でしたね。

自馬になった時に、馬の健康手帳のコピーを貰いました。
本当に大事なものだから、原本は厳重に保管していると言われました。
そこには生産者、血統や競走馬名、生まれてからいつどこに移動したか、とか、予防注射等の記録が書いてあります
移動が多い馬は、2冊、3冊の手帳が紐で括られたりしています。

このネームボードはクラブからのプレゼントです。
無知な私は、勝手に英語表記をしていますが、これは本来、外産馬を意味するもののようです

10歳、まだピチピチしてます 

さて、クー太郎の身元?が分かったところで、クー太郎が生まれた所や、お父さん、お母さんに会いたくなりました
ただ、牧場の住所は書いてないので、生産者の名前を頼りに探すしかありません。
同じ名前の牧場に電話して、違っていたこともありました
最後は、日高の「競走馬のふるさと案内所」に電話をして、事情を説明したら、快く牧場と電話番号を教えてくれました

その年の夏、早速、門別のクー太郎の実家を訪ねました。
牧場です

クー太郎の後輩たち

クー太郎が生まれた?かもしれない馬房
同じ馬房が3つあり、そのどれか・・・、ということでした 

クー太郎のことを伝えると、実家のお母さんはとても驚いていました。
今までそういうことはなかったようです。
それから毎年、夏休みに遊びに行かせて貰い、ジンギスカンのバーベキューなど、いつも楽しませて貰っています
これも、クー太郎が運んでくれた“縁”です

クー太郎のお母さんは、21歳でクー太郎を産んでいるので、もういないことは覚悟していました。
お父さんは12歳だったのと、自馬にする前の年に、同じクラブの馬友が日高SSで写真を撮ってきたと聞いていたので、期待していました。
しかし、日高SSにはもうお父さんはいませんでした。
上長のMさんから、蹄葉炎になって所有者のえりもホースクラブに戻ったけれど、駄目だったと思う、と聞いて、思わず涙が出てしまいました
すると、事務所の奥からお父さん(ミラーズメイト)のパンフレットを数部持ってきてくれて、「こんなものしかないけど」と手渡してくれました。
馬の関係者は優しい、心の底からそう思いました 
ミラーズメイトは人には懐くけれど、馬沿いの悪い馬だったそうです
それから、持ち主が本当に大切にしていた馬で、相手を厳選して種付けをしていたので、頭数が少ないということも教えてくれました。

その後、せめてお墓参りだけでもできないかと、えりもホースクラブに電話をしましたが、借地なのでお墓はないということでした
それでも、お話を聞かせてくれるということだったので、所有者の息子さんにミラーズメイトの話や競走馬の話などをして頂きました。
そこで、ゼンノジェロニモの話も聞いたのです。

クー太郎の実家やお父さんのことを聞いて、どうしてクー太郎が可愛いのか、勝手に納得していました

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競技会の思い出

2011年05月25日 20時06分44秒 | 乗馬10年

クラブ内の競技会で、クー太郎と初めて馬場の課目(2課目だったかな?)で、常歩から速歩に移行するときに、低い柵を越えて馬場から出てしまいました
容赦なく失権でした
それにめげず、クラブ内の競技会にずーっと一緒に出場し続けました
その後は、クラブ内ではいつも入賞して、賞品を貰うこともたくさんありました
すべてはクー太郎のお陰です

当時のクラブは県内の競技会の会場になっていたため、私は救護班の係りをしながら、春と秋に毎回競技に出ることができました。
と言っても、乗馬を初めて2年程度ですから、屈撓などできるはずもなく、頭を下げるためにネックストレッチを装着して経路を回りました。もちろん、スタッフに確認してそうなったのですが・・・。
が、最後の敬礼時に、C審に呼び止められ、どうしたらわからずに止まっていたら、「あ、いいです」と言われてそのまま退場しました。
実は、一般の競技では道具はつけてはいけないそうなのです。
その後の競技会では、一般とは別に「トレーニング班」なる種目ができて、道具をつけて出る人はそこで、ということになりました。

かくして、県大会の競技種目を改定する「きっかけ」を提供したのでした

でも、それ以降、道具をつけて出たことはありません。
クー太郎を自馬にしてからは、大勒の練習も始めました。

自馬にして始めての競技会

その年の11月。80cmの障碍競技です。これは60cm位の障害でしょうか。



左は当時の担当者Sさん。見事優勝
試合に出る回数が多かったので、クー太郎のリボンはたくさんあります
何もわからず、ただ、出てるだけ、という感じでしたが、それはそれでとても楽しかったです
クー太郎に感謝です 

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クー太郎、18歳

2011年05月24日 12時12分45秒 | 乗馬10年
今日はクー太郎18歳のお誕生日です 

昨日帰りがけに上司にそう伝えると、「じゃぁ、お休み?」と聞かれました
「いいえ、ちゃんと働きますよ~
離れてはいるけれど、ちゃんと祝福しています
私はクー太郎のために頑張って働きます 


さて、乗馬クラブに入って初めての冬を迎えた時、クー太郎が居た新厩と呼ばれていた馬房には50頭くらいの馬がいましたが、気づいたらクー太郎一人だけ裸ん坊でした 
それまでも、馬友と一緒にお気に入りのお馬さんに馬着を買ってあげたりしていたので、これはクラブの策略か?とも思いましたが、もちろん、クー太郎にも馬着をプレゼントしました 
これが初めてのプレゼントです 

スタッフに「どうして馬着を着ていないんですか?」と聞くと、「この子は大丈夫」という返事が返ってきました 
クー太郎は短毛で、真冬でもツルっとしていました。
また、具合が悪い、ということは一度も聞いたことがありませんでした。
だけど、1頭だけ何も着ていないのはかわいそうに思えました 

その後、新しい馬着を購入したので、古い馬着はクー太郎の弟、ゼンノジェロニモにあげました。
ジェロニモはお父さんが同じミラーズメイトで、ミラーズメイトを所有していたえりもホースクラブで生産された馬なのだそうです。
クー太郎と同じように温厚なお馬さんで、今でも初級者クラスで頑張っているのでしょう 

クー太郎を自馬にしてから、毎年お誕生日祝いをしていましたが、最初は人参やリンゴだけだったのが、どんどんエスカレートして、乾草で編んだ籠にフルーツ盛り合わせとか作ってみたり…
クー太郎は何でも食べてくれたので嬉しかったですが、あまり良いことではないのかもしれません。

馬の誕生日はアテにならないと聞いてからは、プレゼントは控えめにしています 
だけど、クー太郎がこの世に生まれてきてくれたことを本当に本当に感謝しています
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体験乗馬

2011年05月23日 12時27分30秒 | 乗馬10年
会社のPCにある個人フォルダを整理していたら、10年前の体験乗馬の時の写真が出てきました 
クー太郎と出会った千葉の乗馬クラブです。
日付は2001年5月6日とありました。

乗っているのは、ビビアン?だったかな
当時既に20歳を超えていたと思います。 
道具をつけていますが、とてもおとなしいお馬さんでした

随分経ってから知ったことですが、体験乗馬用の馬はスタッフや(たまに希望するお客さん)が下乗りをしていたのですが、その際にわざとバランスを崩したりタイミングをずらしたりして騎乗するように社長さんに指導されるとのことでした。

初心者はバランスも何もないですから、誰が乗っても動くように下乗りをするのがポイントだったようです。

小さなサークル馬場ですが、指導員の指示が分からずに、手綱を引っ張って人馬転していることもありました
その時は、あの人は二度と馬に乗らないんだろうな…、と思ったりしていました。
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独り占め

2011年03月11日 12時47分59秒 | 乗馬10年

乗馬を始めて間もないころからずーっとクー太郎が大好きです

2002年1月2日
頸付きが低いせいか、いつも頭を下げていることが多かったのですが・・・


たまにはこんなこともしてました

2002年7月2日 クー太郎初騎乗1周年記念です 
見づらいかも知れませんが、ハート型にくりぬいた人参のネックレスをプレゼントしました 
でも、写真を撮るのはちょっと迷惑そうです

この頃はまだ自馬ではありませんが、クー太郎は屈撓しづらい馬だったことと、右手前の駆歩発進が苦手だったこともあり、人気がありませんでした
でも、それは私にとってはとてもラッキーなことでした 
だってクー太郎を独占できるのですから 

実はお気に入りの馬をめぐっては、ものすごいバトルがあったりもしました。
ここではとても書けませんが、自馬にしてからとても陰湿な嫌がらせをされた馬友もいます。
大抵は女性のお客さんが多いところなので、馬だけでなく指導員を巡っても、色々なドラマがありますよね。

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正装に憧れて

2011年03月07日 20時14分25秒 | 乗馬10年

クラブに入会した年の暮れに、クリスマス競技会(運動会)がありました。
私は「部班」に出たような出なかったような…、よく覚えていません(笑)
ただ、上手な人たちが正装をして騎乗する姿に見とれていました。

やっぱり乗馬は正装ですよね。
いつかはあんな恰好で馬に乗ってみたいと思ったものでした。

乗馬を初めて1年が過ぎた夏に、全乗振3級の試験を受けることになりました。
上ランが着られるのが嬉しくて、小田急ハルクの馬具屋さんでバーゲン品のジャケットと白キュロットを買いました。
ただし、ブーツは相変わらずレンタルだった気がします。

馬はクー太郎です。
個人レッスンを取って練習するようになってから、いつも同じ指導員Sさんにレッスンを見て貰い、そして馬はいつもクー太郎でした。
クラブでは馬の担当スタッフも一応決まっていましたが、クー太郎の担当者(その後再び担当になるのですが)は別の馬場に詰めていたので、滅多に会うことはありませんでした。
そこで、ダメ元でSさんにクー太郎の「担当になって欲しい」と伝えたら、それが叶いました。
またまた私はラッキーでした。

実はクー太郎は右の駆歩が苦手で、発進が反対手前になってしまうことが殆どでした。
それを何とか調教してもらい、3級の経路ではきちんと正手前で発進することができました。
ちなみに、3級には合格しましたが、今思うと、時期尚早でしたね。
まともに図形も描けていなかったと思います。

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パッシェGG

2011年03月01日 19時21分21秒 | 乗馬10年
どうしたら上手に乗れるようになるのか?
みんなで色々考えていたときに、どこからか「鞍を買ったら良いのでは?」という話が聞こえてきました。
当時お世話になっていたスタッフSさんに聞いても、「やっぱり鞍が良いと違う」というのです。
オススメはパッシェのGG。
クラブにも常に鞍や馬具は置いてありましたが、それと同じものでした。

年末のキャンペーンで20%オフということで、馬友と3人で鞍を買うことにしました。
2割引と言ってもすべてそろえると50万円近くになります。
一応考えましたが、旦那にはナイショで買うことにしました。
ちなみに、途中で障碍鞍も買いましたが、バレずにそのまま10年経過しています。

確か当時の定価は48万円で、そこから2割引です。
3人で購入ということで、交渉しておまけをたくさんつけて貰ったりしました。
手続きをしている時に、スタッフIさんが明細票を持ってきました。

その金額を見て、3人で固まってしまいました。
なんと、24万いくらか…
そうです、それは仕入れ伝票だったのです。
別のスタッフが青ざめた顔でやってきて「それは…」と指摘。
Iさんは顔色一つ変えずに、「間違えました」と言いました。
私たちは「黙ってますから」とだけ伝え、3人で笑っていました。

仕入れ値と売値が違うことは社会人ですから理解できます。
でも、そこでパッシェGGが25万程度で仕入れられていることを知ってしまいました。

パッシェの鞍は硬いです。
色がバハナ(茶色)だったせいもあるのでしょうか。
試乗させてもらった鞍とは雲泥の差がありました。

最初は鞍ツボを作らないと大変です。
私は背が同じ位のスタッフSさんに乗って貰い、鞍ツボをある程度作って貰いました。
その後は「鞍ツボ」サービスはなくなったので、私は本当にラッキーでした。

自分のレッスンで使う時は、それはそれは大変でした。
「もっと前に乗って」と何度も言われ、「もうこれ以上前にいけません」と言うまで前に乗りました。
今でもあれは拷問のようにキツかったと思います。
なので、今の鞍は絶対に手放せませんし、パッシェをもう一度買う気にもなれません。

数年前にKNという鞍に乗り、これは柔らかくて乗りやすいと思いました。
人それぞれに合う鞍合わない鞍があると思います。
私の個人的な意見ですが、すぐに使える鞍を買うなら、良い鞍ツボがついている中古のパッシェか、比較的新しい鞍で試乗して乗りやすいのが良いのかな?と思います。
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