Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

鉄棒の前回りが出来ないまま、大人になった

2004年10月11日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、鉄棒の前回りが出来ないまま、大人になったでした。

前日までの無理がたたり、
ずっと部屋でボヤボヤしている今日だったわけですが、
コンビニさんに買出しに行ったとき、
途中のマンション内にある小さな公園で遊ぶ、
きっと大学生くらいのカップルがいて、
女子が男子に鉄棒の逆上がり指導している光景を見かけました。

通り過ぎた一瞬の間ですけど、その姿を見て、
思い出し、想い出したことがありました。

まずは思い出したこと。

隙があると、自分の器用貧乏っぷりを取り上げ、
なんでもすぐ出来る発言をする私ではありますけど、
実は、鉄棒を成功したことは一度もありません。

逆上がりならば、今日見たカップル男子も含め、
わりとたくさんいそうですけど、
私は前回りさえも出来ませんからね、
そこまでの弱者は、なかなかいないと思います。

鉄棒を握って前に体を倒すこと自身、すでにコワイのに、
それを握り続けて回れだなんて、行為としてムチャ過ぎですもん。

単純に握った手も痛いですし、
足を地面から離して体を回すなんて、そんなコワイことすると、
コワさでネコみたいに体が硬直して、鉄棒を握り続けることなんて、
そんなの、どうしたって出来ないじゃないですか。

…ということで、鉄棒の授業中の私は、
ただ鉄捧を握り締め続け、蹴り上げるフリだけして、
決して回ることなく、時間が過ぎるのを待っていました。

先生に補助されて、背中を押されて回っても、
体が地面と水平になる前に、手を放していました。

そうして私は、鉄棒をする度、
いつも地面に体を打ちつけて、
痛みの中、空を見ていました。

そして鉄棒がもっとコワく、
もっと嫌いになっていきました。。。

もひとつ、へりくつな自分から想像するに、
棒持って回る意味が理解できなかったというのも、
理由として、大いにあるでしょう。

そもそも信用できませんよ、鉄の棒なんて。

あんな存在意義が不明なものに、
なんで体を預けなければいけないですか。

それ以上に回ることに果たしてなんの意味があるのか、
それが理解出来ないんです。

回ることが意味だと言われたとしても、
別に立つところまでしなくても棒握って回ったんだからそれでいいじゃん、
捧握って体が回転したことで当初目的は達成してるじゃん、
って、そうひねくれて、立つことまで考えられないんでしょうね。

で、ここで想い出したことの方に、
強引に話を展開させていくわけなんですけど、
付き合った彼女に対する態度も、
そいえば私は、へりくつ鉄棒みたいに考えていたな、
次があったら、これを改めなきゃいけないな、
とか想い出したわけです。

私は、付き合う前まではマメに接するのに、
付き合うと途端に、彼女を大切にしなくなるというか、
もう信頼関係の深い存在だからと安心し切って、甘え切って、
二の次、三の次の場所に置いても我慢できるよね、
って、手を離してしまっていたんです。

二の次、三の次は、さすがに言い過ぎなんですけど、
彼女だからって特別扱いをすることはなくて、
遊びの順番は約束した人順で、彼女のために空けとくなんてせずに、
彼女なんだから、遊ぶ気になったらいつでも遊べるんだから我慢してねって、
友達との約束を最も大事にしてしまっていたんです。

私と長い付き合いのある、お友達さんはわかると思うんですけど、
近場ではなく、離れた存在になって、それでいて関係が深くなればなるほど、
そのお友達さんに対する対応がテキトーになっていくんです。

それは別にお友達さんに興味がなくなったわけでなくて、
近場のときは、いちいち確認しあいが楽しかったですけど、
もうそんな、いちいち確認しあう仲でもないだろ、
そんなのなくてもずっと友達だろって、すぐ甘えちゃうんですよね。

確かに友達同士ならば、それでもいいのかもしれないですけど、
それを彼女にまで発展させてしまうというのが、ねぇ。。。

付き合う前までは日々電話をしていたくせに、
付き合った後は友達の予定を優先させて、夜遅くまで遊びきって、
日々の電話とかなしでもいいや、
ってとこまでテキトーになっていくわけです。

私としては、それは逆に信頼の証であって、
信じているからこそ、手を離すわけです。

そんなのは、単なる甘え、自惚れ、と言われそうですし、
実際そうなんですけどね。。。

でも、なにも言わずすべてを許すのが包容力ある大きい男だ、
みたいな思い込みの幻想があったんでしょうね。

いや、ありました、ごめんなさい。

だから彼女が友達と遊ぶなんて日には、
夜遅くなっても日々の連絡がなくて、どんなに心配であっても、
彼女から連絡が来るまでは、私から連絡せずで、
我慢することが包容力だ、なんて意味不明な信念で、
後々、彼女に怒られてたりしましたからね。

本当にその人が大事ならば、
大事な存在だからなんてとこに甘えず、
態度で示さなければ伝わらないわけです。

態度で示さない方が信頼の証だなんて言われても、
そんなの誰も納得できるわけないんです。

私だってそんな素っ気無いの嫌ですもん。
今考えると、なんでそんな我慢の方にいくかわけわかんないです。

付き合う前が頑張り屋さんなので、
そのギャップが酷すぎるのもまた問題なわけです。

けど自分のものに対して興味湧かないんですよね。

とか冗談でも発言すると、
今後、誰にも相手にされなくなりそうだ。。。

ともかく、そんなところで愛想をつかされて、
いつも人に話すときは、前の彼女については、
すんなり別れたかのように振舞っているんですけど、
実際は、オレ変わるから、って泣き声で言ってましたからね、
ほとほと情けない奴です。

あははは。

というか、本当は付き合いだしたとしても、
そこでは終わりではなく、その関係を維持しようと、
日々頑張り続けなければいけないんですよね。

変な自信や自惚れは持たず、
いつ他に向いてもおかしくないんだって、
常に自分の方を向かしておくんだって、
付き合う前よりも、より頑張って頑張って、
愛を伝え続けなければいけないんですよね。

そんなこともまともに理解できてなかった私は、
ほとほと恋愛経験が希薄すぎるというか、
人間関係のなんたるかを理解してなかったんでしょうね。。。

地面から離れて回ったんだからそれでいいじゃんって、
足を離した途端、握り続ける頑張りをしなくなった、
少年の日の鉄棒と同じように。

そうして手を離した私は、
当然のように愛想を尽かされてフラれて、
やっぱり痛みと共に空を見上げるわけです。

そして女性がもっとコワく、
もっと臆病になっていきました。。。

しかし鉄棒も彼女も、どちらも自分勝手で自分勝手に、
背中を痛めているだけですね、こう考えると。

25歳のいい大人が書くようなことではない、
とは自分でも思いますけどね。

まだ鉄棒の出来ないお子供さんですから、
そこのところはね、温かな目で、
穏やかに見守っていただければと思います。

次は上手く回りますよ。

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