のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

Janine De Lorenzo's Solo Piano Christmas Concert 2020

2020-12-18 | 仲間
 気付けば明日のことになってしまいました。
 KAでキーボードを担当していたジャニンがクリスマスコンサートをします。SideDoorAccess (https://sidedooraccess.com/shows/RaVCneKPtVWMT9qmbOcd)でチケットを購入することが出来ます。
 日本はメルボルンと時差が二時間のようですので、日本時間ですと午前九時からのようです。コンサートは九十分で十ドルです。

《オーストラリア》
12月20日
メルボルンタイム11時

《日本》
12月20日
9時

《アメリカ》
12月19日
マウンテンタイム17時
パシフィックタイム16時
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サラとのお別れ

2013-07-06 | 仲間
 バイグーには、本当にお世話になっていて、特に車を運転出来なかった時には、いつも気に掛けてもらいました。車の修理中で足が無く、やきもきしている彼。一度でも多く引越しを手伝えるように、今朝は八時過ぎに出掛けて、彼の荷物を一度だけ運びました。
 それから駆け足で美容院へ行き、髪を切りました。
 ビューイングと言うサラとのお別れには、白い花を供えることになっていたので、買いに行きました。あまり白い花がなく、工夫をしなければなりませんでした。
 葬儀場に着くと、ステージ・マネージメントのみなさんなどが集まっていました。マリーヘレンさんは、
「みんなフォーマルな装い。でも、私の国でそれを着るのは、家族の人だけなのよ。だから私はこんなにカジュアルで。」
 そこにコーチのアルが訪れました。彼もスーツを着ていました。確かに、今日は礼服の人が多く見られましたが、私もフォーマルな喪服ではなく、黒い洋服を選んで着ただけでした。彼女はグレーの服でしたが、色の付いた服を着ている人もいました。
 みなさん、待ち合わせをしていたようなので、私は一人で中に入って行きました。名前を書き、サラの胸に置いて欲しいという白いバラを受け取り、中へ進みました。棺に入ったサラが、遠くに見えました。自分が持って行った花をテーブルに置くと、リオネルがそっと腕組みをして、一緒に歩いてくれました。彼はきっと、私のように独りぼっちで来た人に付き添ってあげようと、その場に残っていたのでしょう。サラに会うと涙が溢れました。リオネルを強く握りしめていました。いろいろなことを思い出し、さらに涙が出ました。今日来られなかった人達の思いも込めて、合掌しました。
 リオネルは、左に座っているのがサラのお姉さんで、とても良く似ていると、サラの方に歩きながら教えてくれていたのですが、お会いすると本当にそっくりで、
「ああ、サラだわ。」
 と、頬に触れてしまいました。彼女は
「そう言われます。」
 と微笑んで、
「彼女は安らかに眠っています。」
 と言ってから、お礼を言いました。一人一人にこうやって声を掛けていらっしゃるのでしょう。何と強い人なのかと思いました。
 お姉さんにご挨拶してからも涙が溢れてきて、予想を越えてたくさん泣きました。少し落ち着いて外に出ると、また涙が出てきて、ヴィクトリアがハグしてくれました。それから、ジムさんがいらして、彼の腕の中で泣いていました。
 ようやく落ち着き、彼らにお礼を言うと、注意深く運転を始めました。時々涙を流しながら、気を付けて運転しました。
 バイグーの住む、ラスベガスと住所に記されない南東の地域から、西の美容院、サラとのお別れに北へ向かい、今度は東に昨日の引っ越し時に壊れた車の窓の修理へ。予約をしてありましたが、一時間ほど待ってから説明があり、修理を開始。その後一時間十五分ほどで修理は終わりました。
 予想より早く終わり、バイグーに電話をすると、丁度トラックを借りたところだと言うので、貸し倉庫へ向かいました。中国人の仲間が次々に集まり、荷物を積み出しました。小さな荷物は、私の車に載せました。
 昨日と今日で、引越しがほとんど済みました。今日は忙しく、朝晩はダンホーのお母さんの手作りブリトー、昼にパン一つしか食べられないほどでした。でも、こういう時は、忙しくしていた方がいいです。頭も働かないので、身体を動かして、仲間と一緒に何かが出来て良かったです。
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July 4th

2010-07-04 | 仲間
 ごそごそと音がするので目を覚ますと、まだ8時半。モントリオール時間のジュリはもう起きて、コーヒーを買いに行く準備をしていました。
「コーヒーなら家にあるけれど…。」
「でも、確かコーヒー屋さんそこにあったわよね。いいの、散歩がてら行ってくるから。」
 週末の冷蔵庫は何もないので、ジュリが出掛けている間にパンを仕込みました。
 彼女が戻ると、たくさん話しをしました。モントリオールに一部屋、自分の住むところを買うことに決めた彼女は、絵を描きながら楽しそうにその話をしてくれました。パンが焼けると、朝食を簡単に済ませました。
 それからは、ジュリにお付き合いして…。
 まずはマリレンに会いに行きました。約束したパン屋さんに行くと…ああ、今日はJuly 4th、独立記念日でした。それならと、違うカフェに行きましたが、こちらもお休み。どこもお休みかもしれないと、ジュリが以前よく通ったスーパーに寄り、彼女のお気に入りの飲み物などを買ってマリレンの家に行くことにしました。
 プールサイドで、しばらくおしゃべり。オーガニックのスイカはとても美味しかったです。マリレンの出産の話を初めて聞くことが出来ました。いろいろと大変なことが出産前にあったようですが、良いお医者様に恵まれて、無事出産出来たようです。素晴らしい体験だったと彼女は言い、女性にしかできない貴重な体験だと思うと言いました。ジュリは、子供がとても欲しいようで、身を乗り出すように話を聞いていました。そして、年齢的なことも考えているので、シングルマザーでもいいと言いました。同じ年の私ですが、出産はどちらかというと他人事。でも、自分がしたことのない体験を聞くのは大好きなので、私も興味深く話を聞きました。
 バイグーは、中国人のセレブリティのコンサートに行くと言っていたので、その前に何とか会えるように連絡をしました。ショーが始まった頃に仲間でよく行ったお茶屋さん。彼の話は表情豊かでいつも面白くて、ときに昔のことを懐かしみながら、話に花が咲きました。
 さて、お次はジャニン。時間的に何か持って行こうかと連絡をすると、ハンバーガーなら用意していると。グルメハンバーガーと言います。それならそれを楽しみに、飲み物などだけ持って行きました。行きがけ、大きな花火が上がるのが、遠くの方にたくさん見えました。ジュリは良くジャニンの家に行っていたのですが、ちょっと迷ってしまい、そのうちに住宅街で花火花火。July 4thは花火をする日だとは知っていましたが、これほどの花火を見たのは今年が初めて。どうやら、午後9時というのがその時間のようです。
 ようやくジャニンの家に着くと、仲間が数人集まっていました。グルメバーガーの準備も丁度出来上がったところで、外のテーブルで、イタリアのパンに肉と野菜を好きなだけ挟んで、とても美味しく頂きました。花火はいつまでも続いていて、時々激し過ぎて、話が聞こえないほどでした。
 大きな花火を持って来ていた人が居たので、私達もすることにしたのですが、彼女は花火を置く位置を決めて置いてから火を付けるということをせず、花火に火を付けてからどこに置こうか探していたので、本当に怖かったです。直径20センチ以上はある大きな箱に入った花火をそこですることを、ジャニンだけでなくみなで心配したのですが、庭先でするには丁度良いほどの花火が見られました。
 朝早かったので、とても眠いです。でも、ジュリのお蔭で、今日は友達とゆっくりと話ができ、とても楽しい一日となりました。
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WANTED

2009-09-17 | 仲間
 ジーナはせっせと『WANTED』を貼っていました。まあ、よく作ったこと。
「30枚作ろうかと思ったけれど25枚にして良かったわ。1枚は自分の記念に取って置くとしても、至る所に貼れたわ。」
 私は今日も大きな声で笑いました。困ったことは、人々がそれを目にする度に「ノリコのアイディアなの。」と彼女が言うことです。
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1年と2か月

2009-05-31 | 仲間
 いよいよ今日、友達がラスベガスを去って行きます。午後から、アパートを引き払う手伝いをしました。仲間や自分のために、彼らが持って行かない物を頂いて、また、寄付できそうな物も頂くと、車が物でいっぱいになりました。
 伺った時は、今晩発つというのにこのままで大丈夫なのか、と思うほどでしたが、片付くものです。友人がラスベガスに来て、必要なものを揃えるのに付き合ったのが、1年と2か月前。あの時買ったものがどんどんと部屋から運び出されて、すっかり何もない部屋になりました。
 一度私は自分のところに戻り、頂いた茣蓙をすぐに敷きました。茣蓙の上に座るとひんやりと気持ちの良いこと。この夏は少し快適に過ごせそうです。こんなに快適なら、早く自分で買えば良かったのでしょうが、ここに座り、この心地良さを感じる度に友達のことを思い出せるのもまた嬉しいことです。
 その後また、彼らと彼らの仲間と集まり、最後の最後のひとときを過ごしました。もう空港へ向かうという時に、友人はようやく実感が湧いてきたと言って淋しがっていました。旅立ちは、少々の不安があってもワクワクするものです。そして、残される者はとても淋しいものです。でも、大きな組織から離れて、自由に羽ばたいている彼の姿を目に浮かべれば、彼を笑顔で見送ることもできます。
 彼らは日本へ帰らずに、モントリオールでしばらくの時を過ごします。あの素敵な街で暮らせるとは、少し羨ましいです。そしてあの街なら、彼の才能も充分に生かされることでしょう。
 彼らとの出会いに感謝して。
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送別会、『楽』にて

2009-05-30 | 仲間
 バトン競技を続けながら指導をしている友人が、生徒さん達を連れて観に来てくれました。私は、輝く未来のバトントワラー達のためにと、思いを込めて舞台に立っていたのですが、届いていたのかいなかったのか。私も若い時は、表現することが今よりももっと得意ではなかったので、分からないことではありません。少しでも心に残ることがありましたように。
 ショーが終わると、明日ラスベガスを去る友人と奥様を囲んで送別会。思いがけずたくさんの日本人が集まりました。そのうちの一人は、同じ時期にモントリオールで時を過ごして以来、ラスベガスでは一度も彼に会っていないのに「ああ、淋しくなるな。」と。そう言ってから本人もそれに気付いたのですが、やっぱり「淋しくなるな。」と。それも何度も。みんなで笑いました。
 私も毎日会っていた訳ではありませんが、一緒に楽しい時をたくさん過ごしただけに、本当に淋しくなります。毎日会っていた同じショーの仲間は、どんなに淋しいことでしょう。
 今日は友人のお蔭でみんなが集まり、淋しいながらも楽しいひと時を過ごすことが出来ました。今度は誰かの送別会となる前に、みんなでまた集まることが出来たらいいなと思いました。
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大切にすること

2009-05-24 | 仲間
 クレベーフがニコニコしてやって来ました。
「ノリコの羽、頭に付けているんだ。これが最後まで頭に付いているかで幸運を占っているの。」
 そして最後のお辞儀の時に彼の方を向くと、彼はお客様にお辞儀をしてからその羽を頭から取り、正面にいる私に見せてくれました。
 二回目のショーの途中、彼がまたニコニコしてやって来ました。羽はまだ頭に付いていました。嬉しそうな彼に話し掛けると、
「覚えている?黄色い小さな花。僕が渡した花をノリコはショーの間持っていてくれたじゃない。約束通り僕に戻してくれて、そのあと僕はノリコにサインしてもらって…。」
 彼が森のシーンで使う紙ふぶきで、小さな花を作ってくれたことを思い出しました。
「あの花、僕は大切にしているんだ。この羽はその花の横に飾るの。小さなことに思えるかもしれないけれど、僕にとってはとても大きなことなんだ。」
 それは私にとっても大きなことで、とても心に響きました。涙が出そうになりながら、彼とハグをしました。
 舞台でのあのような彼の表現は、そんなところからも生まれてきているようです。6日目のショーは、心温かに無事に終わりました。
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カタカナなしで

2008-02-16 | 仲間
「観ていましたか?」
「観てない。コンピュータで最後の仕事してたから。観てれば良かった。」
 何かが起きた時「観てれば良かった。」といつも彼女が言うことをふと思い出しました。来週から彼女は居ないのに、毎日何かが起きては困る…。

 アーティストが去って行く時のような雰囲気でした。彼女は自分が去ることを大袈裟にしないのに。どれだけ彼女がみんなに慕われていたのかを改めて感じました。
 私は今日は泣かない、今日は絶対に泣かないと決め、込み上げてくるものを何度も抑えながら過ごしました。そして今日も、4年間彼女と過ごした日々の出来事を思い出しながら舞台に立ちました。
 彼女と話をするときに持ち出さないのが“カタカナ”。日本語で話していても他の人に何を話しているのかが分かってしまうからです。例えば、“ミュージシャン”ではなく“音楽家”、“メイク”ではなく“化粧”、“ウィッグ”ではなく“かつら”。よく彼女が使うもので面白いのが、“アーティスト”ではなく“芸人”、“Eメール”ではなく“電子手紙”。人の名前もそのままでは分かってしまうので、説明されます。“青い髪の人”や“黄色い人”など特徴のあるキャラクターはそのままで分かりやすいものです。“双子の男の子の本当の彼氏”、“森の妖精の恋人役”、これぐらいまでもすぐにピンときます。“黒髪でくるくるの闘牛の国の人”、“背の高い中国人でお金持ちのお坊ちゃま”、この辺から少し考えることが必要になり、“子供が一人いて今二人目を妊娠中で乳母役の代役の代役の代役ぐらいの人の旦那”とか、“ラ行から始まる国の出身で元芸人でブカンになってまた芸人になった人”、こうなってくると言う方も理解する方も時間が掛かります。
 こんなパズルみたいな暗号みたいな会話も、ここですることはなくなりました。
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エリン、キダムへ

2007-12-22 | 仲間
 キダムから来たアーティストのエリンが、またキダムに戻ることになりました。肩の手術をして、キダムを離れ、その後もいろいろと調子が悪く、KAでも思うように舞台が踏めず、やきもきしていた彼女。結局、キダムに戻ることになりました。と言うより、戻れることになったと言った方がいいのかもしれません。ショーが終わってからのパーティで、フィジオの話を聞くと、キダムでもう一度受け入れてもらえるまで、肩の調子が思ったよりも良くなったとのこと。「彼女が居なくなってしまうのは私のせいなの…。」と、彼女の回復に大きな力を注いだフィジオの人が言っていました。
 力強く見える彼女です。でも私には彼女の繊細な心がいつも見えるので、気に掛けていました。大好きなキダムに戻って、心から笑える毎日が送れますように。
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ジャニンとズラの誕生会

2007-06-09 | 仲間
 従者役のアナトリが2回目のショーのジャグリングまでして、モントリオールに向かいました。その後は代役が入ってつなぎました。彼は東京で始まるショーに参加することになるかもしれず、そのワークショップに行きました。
 
 さて、今晩はイベントあり。6日が誕生日だったズラと、ショーが終わって日にちが変わったら誕生日のジャニンの誕生会を居酒屋で開きました。居酒屋でするパーティーは大体私がアレンジすることになります。ラスベガスに来てからは、ほとんど人の誘いにのるだけの楽な暮らしをしているので、この時ばかりは稀のシャキッとするときです。
 ズラは21歳に、お酒が飲める歳になりました。ジャニンは44歳。ズラの歳を知ったジャニンは「私の娘といってもおかしくない歳なのね。ということはお腹にいる赤ちゃんは、孫か…。」みなで笑いました。
 今日はさまざまな国籍の20人が集まりました。ショーが始まった頃からみなで通っているこの居酒屋、毎回のように居酒屋デビューのアーティストを加え、日本人以外にとっては、得体の知れないものを勧めては楽しんでいます。
 みなの笑顔が集まって、幸せな週末の始まりでした。
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