男の子には誰しも自転車に目覚める頃があるようです。私の小学校中学年時、巷には変速機付きのスポーツタイプが出回り始めました。5段、15段、25段と変速機はグレードアップ。デスクブレーキにフラッシュライト。テレビCMも手伝って、ミヤタのエジMは離島の子どもたちの垂涎の的でした。しかし、それは高額商品。今のように周辺諸国から廉価な自転車が入るような時代ではありません。敗戦の傷跡から立ち直ろうとしていた昭和30年代後半、まさに日本そのものが途上国だったのですから。
そんな時代、まず酒屋のモトちゃんが買い、次にプロパン屋のミッちゃんが買い、魚屋の徳坊が買いというように、町内の同い年はだいたいエジMを手に入れました。やはり日銭のはいる商売人の家は違うと子どもながら思ったものです。しかし、父が日給月給の家大工の私の家ではそんなことが望めるべくもありません。自転車は欲しいけど言えない。言えないけど欲しい。そんな悶々がどれくらい続いたことでしょう。
そんなある日、鉄工所を営む叔父から連絡がありました。無愛想に「自転車いるか?」「えっ?」「自転車いるか?」要らないはずがない。「いる。」「そしたら2、3日したら持っち来けん」恐る恐る尋ねます、「耕ちゃん、それエジM?」「そう、ミヤタの自転車ばい」やった。「ありがとう」。それからの数日は、うちにもエジMが来る、来たらみんなとあそこに行って、ここ行って、と夢は枯れ野を駆けめぐる状態。みんなとどこそこ行くかと相談していました。そして、自転車が来ると聞いていた日、学校を終わって家にとって帰ると玄関先に、うちのエジMが鎮座していました。しっかり前輪の前カバーにエジMのマークを着けて…。
でも、その自転車には変速機が着いていません。フラシュライトもありません。もちろんデスクブレーキなどとんでもない。母が言います。「耕ちゃんにお礼の電話せんね」…「うん」…「はよせんね」…「うん」…「もしもし、ボク、じ・て・ん・しゃ・ありがとう」「おお、カッコ良かろうが、だいぶ錆ちょったけん銀ペンばしっかり塗っちょったけんな」…「ありがとう」「丁度マルタ商会に立石が壊れたけん出したったい、壊れたトコはしっかり溶接しちょったけん大丈夫ばい、あれやったらどんなモンでん運べるけん…やっぱミヤタん自転車は強かつ」…「ありがとう」…。
マルタ商会とは叔父と取引のあるクズ鉄屋さん。ぼくもよく造船所の近くでクズ鉄を拾い、お金に換えてアイスまんじゅうを買って食べました。そこに立石製氷店が荷台の壊れた古い配達用の自転車をおろして、叔父が目敏く見つけてリメイクし、いやいやそんなハイカラなものじゃなく溶接して、錆を落として錆止めの銀ペンを塗って、うちのエジMとして送り届けてくれたのです。
約束の遠乗りの日。空は晴れ渡り、快適な自転車日和。でも、みんなの奇異な目に曝されてドンヨリ暗い私。でも、マア〜以前の自転車のないことを思えばあるだけましかと、出発しました。目的地は猿岩。割とアップダウンのきつい海辺へ降りていくコースです。下りは良かったんですよ。でも、上りになると抱えたハンデの大きさが身に沁みてきました。なんせ氷を運ぶほど強いエジMですから、その車体の重たいこと。鉄の塊そのもの。おまけに叔父が丁寧に補強して鉄片を溶接しています。ましてや、変速機なしのノーマル仕様。こげどもこげども差は開くばかり。その日一日大変なことになりました。情けないやら悲しいやら、でも、自分の自転車があることの小さな満足感も密かに感じ始めていたのも事実。何はともあれ自分の自転車っていいですよね。私って小さな幸せに満足するタイプなんです。
そんなこんなのエジMの日々に転換期が訪れました。うちの家からの下り坂は急勾配で左にカーブしています。スピードを出し過ぎるとまわりきれず、砂利にタイヤを取られて、流れてこけてしまいます。徳坊の自転車が砂利の上を流れて、ご本人ともども擦り傷だらけになってからは、みんなこの坂を恐る恐るより一層慎重に下りていくようになりました。しかし、私に失うものはありません。うちのエジMは元々傷だらけ、頑丈そのもの。ドンドンこいでドンドン下ってドンドン流れてドンドンこけて、それでも平気。自転車を庇うから自分が怪我をするわけで、乗り捨て御免をやれば自転車が流れても本人に怪我はありません。最後は前輪にブレーキを掛けてドリフトのまねごとまでしていました。そうこうするうち、みんなの視線が羨望の眼差しに変わり、ジャンケンして借りる順番を決めるようになりました。
そんな毎日が過ぎていったある日、うちのエジMは空を飛んだのです。スピードに乗りすぎてハンドルが切れず、左にカーブせず真っ直ぐ道を飛び出してしまいました。3メートル下の刈り入れの終わったばかりの田んぼに落ちて、いやあれは綺麗に弧を描いて飛んでいったのです。まるで満月を背に飛ぶETの自転車のように。うちのエジMは伝説となりました。「空飛ぶエジM」と…。
もちろんみんなそれからは飛ぶことに夢中になりました。手を離すタイミングを外すと下半身をハンドルにぶつけて男子特有の痛みを味わいます。その痛みと背中合わせのスリルがたまりません。そのスリルをかいくぐったときの爽快感が何とも言えないのです。しかし、そんな日々も長くは続きませんでした。なぜなら、田んぼの持ち主のオッチャンにこっぴどく怒られ、みんな親にボコボコにどつかれたからです。そりゃ〜そうです。田んぼは畝も溝もボロボロになってしまっていたのですから。
そうこうするうち、いつしかみんななぜか自転車にあまり乗らなくなりました。うちのエジMも納屋の奥に収まってしまい、確か、大学生の時、帰省したときにはまだあったはずなのに、思い出してこの前帰ったときに見ると、そこには弟が使っていたスポーツタイプが朽ち果てて置いてあるだけでした。うちのエジMは何処に行ったのでしょう。それを尋ねる母も今はもういません。無いと無性に逢いたくなるうちのエジM。
そんなことを思い懐かしむ私が失ったもの、それはエジMそのものというよりも、抜けるような青空の下の歓声と毎日が楽しくてずっとそんな日が続くと信じていたあの頃の私自身なのかもしれません。










