ドローンの日本人研究の第一人者は千葉大学の教授を退職し、今は特別教授になっている野波氏。驚くことに、彼は母校福井大学の工学部、しかも同じ課の機械出身。私や彼が入学した当時、機械科は産業機械科と二つに分かれていて、機械系学科として定員45名X2の90名で一括募集していた。競争率は4、5倍だっただろうか。
その中に野波氏はいたのだ。彼は若い時にNASAに直接論文を送って認められ、1985年にNASAの研究員になり、3年後の1988年にはNASAのシニア研究員と千葉大学の助教授になっている。1994年には千葉大教授、2014年には65歳で定年退職し、特別教授の身分だが、アマゾンのドローンで配達などの実験を率いているようだ。
つまり、バリバリ活動中。すごいなあ!
私は頭が悪かったので、産業機械を選んだという覚えがあるが、はっきりしない。ただ、一般教養の授業をサボって、単位が足りないでの留年した時、機械科の白髪の主任教授に呼び出され、入学試験の成績は、90人中トップだったと知らされた上で、こっぴどく説教された覚えがある。
確かに、入学試験は自信があった。5科目の試験で、4つの数学、英語、国語、理科の問題で非常にラッキーが続いた。50年以上も前の、カビの生えたようなクソな話だが、50年経過後、当然だけど、その間にロクでもない人生を送れば、比較のしようがないほど、雲泥の差がつくというわけだ。
ドローンは、今一番興味があるので、一度会ってみたいなあ。
その中に野波氏はいたのだ。彼は若い時にNASAに直接論文を送って認められ、1985年にNASAの研究員になり、3年後の1988年にはNASAのシニア研究員と千葉大学の助教授になっている。1994年には千葉大教授、2014年には65歳で定年退職し、特別教授の身分だが、アマゾンのドローンで配達などの実験を率いているようだ。
つまり、バリバリ活動中。すごいなあ!
私は頭が悪かったので、産業機械を選んだという覚えがあるが、はっきりしない。ただ、一般教養の授業をサボって、単位が足りないでの留年した時、機械科の白髪の主任教授に呼び出され、入学試験の成績は、90人中トップだったと知らされた上で、こっぴどく説教された覚えがある。
確かに、入学試験は自信があった。5科目の試験で、4つの数学、英語、国語、理科の問題で非常にラッキーが続いた。50年以上も前の、カビの生えたようなクソな話だが、50年経過後、当然だけど、その間にロクでもない人生を送れば、比較のしようがないほど、雲泥の差がつくというわけだ。
ドローンは、今一番興味があるので、一度会ってみたいなあ。