マイノリティにも強くタブー視されるマイノリティと、そうでないマイノリティがある。
もちろん受け取る側の意識が大きいが。
このことは言えるけど、このことは言えないっていうのが、あるはずだ。
結局、お茶を濁す感じになってしまうことが多い。
女優さんの「実はわたし、○○なんです」みたいな、たとえば「酒癖せがわるい」とか、そんな毒にも薬にもならないこと。
いや、まぁ、それはあまりにも、だけど。
最近、セクシュアル・マイノリティに関する本をいろいろ見ていて、一部の性同一性障害の人が「同性愛とは違うんです」っていう時の言い方が、’区別として違う’っていう以上に’いっしょにしないで’感が出ている気がして、すこし気になった。
で、考えたんだけど、私はカムアウトすると、ある有名でない新興宗教のもと育っていて、そのことがいろんな場面で自分の課題になってきたんだけど、この事実を言う時に’あの有名な新興宗教とは違うんです’ってことを言いたくなってしまうんだ。
乗り越えるべき偏見は自分の中にある、というか。
自分じゃないものとして認識されたくないってことなんだろうけど。
うーん、こう考えると、前述の性同一性障害の人の発言も「自分を誤解・誤認しないで」って意味なんだろうな。
でも、同性愛の人は傷つくかもしれない。
自分の居場所を獲得していくってどういうことだろう。
他の人を人身御供にしてしまう場合がある。
だけど、そこまで気を使っていられるほど自分が強くない場合もよくある。
強さにもいろいろあって、わめかない強さもあれば、叫び続ける強さもあるな。
ここ1年ほど(震災以降だと思いますが)思っていることは、死ぬ時、人生後悔したくないってこと。
それを行動指針にしている。










