普通すぎる

2008-07-31 17:41:43 | 
やたらリアルな夢を見ていた。
それも、あまり重要なメッセージを感じない夢。

来月、帰省した時に、母と映画を観に行こうって話になってる。
これは現実の話。

で、さっき、夢の中で、わたしが兄に
「わたし、『ダークナイト』がちょっと気になるかも」
って言うと、兄が
「でも、お母さん、あんまりそういうの、好きちゃうんちゃう?」
って言って、わたしも、
「あぁ、うん」
とか言う。

だんだん、どこまでが夢の会話で、どれが現実だったか、わからなくなってしまいそう。
(わたしの友だちの友達には、わからなくなってる人がいるらしい。)
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深い人

2008-07-14 18:34:36 | 
ひとことで言うと、わたしは「深い人」になりたい。

たのしいのが好きな人とか、華やかなのが好きな人とか、
かっこいいのが好きな人とかいろいろいるだろうけど、
わたしは深いのが好きだ。

抽象的かなぁ。

もっと言えば、思慮深い、というか。
軽卒の反対、というか。

人の傷に敏感で、やさしくなれる、とか。
いろんな事情を考慮に入れて、公正な判断ができる、とか。
そういうこと。

だから、自分が軽卒な言動をしたな、と思うと、必要以上に羞恥する。
たぶん、そういうことは、わたしの在り方というか、
わたしの価値観の根幹に関わっている部分なのだろう。

自分の価値観で、人の在り方については判断したくないと思う。
それぞれの人が、自分にとって大切なことを知って、
それを守っていける社会になってほしいと思うから。

まず、自分が本気でそう願えるようになることだ。普段から。
よく知らない人のことはとやかく言わないけど、
家族とか仲のいい友だちとかには、自分の考え方を押しつけようとしてしまうことが時々あって、後で気づいて、‘しまった!’と思う。
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Someone Like You - Closer to You

2008-06-29 18:39:14 | 
Someone Like You - Closer to You


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かなしばり(?)

2008-04-03 16:03:54 | 
ここ数日、ちょっと微熱が続いていて、長時間寝てる。
起きてるとはなしに、また寝てる。

昨日、夜のまだ早い時間
うつぶせに寝てて、仰向けになろうとした。
仰向けになった、と思って、よく頬の感じとか腕の感じとか確かめてみると、まだ、うつぶせのままなんだ。
そんなことが何度も続いて、どうしても上を向けないと悟って、‘わたしの生きてきた道ってこういうこと、多かったよなぁ’って思った。
なんか、そういう日常だなぁ、って。

(意外と、大筋ではうまく行ったり、すごく救われる出会いがあったりして、日常の挫折感の埋め合わせはできてるんだけど。あぁ、そういう救われてる部分に日々、フィーチャーして思考を働かせるべきやなぁ。その方が、しあわせもんやなぁ。)

そんなこと思ってたら、やっとちゃんと目が覚めて、仰向けになることができた。
さっきまでは起きてるつもりだったけど、身体が起きてなかったんだな、ってわかった。

そんなことで、何度くり返してもダメだ、って思っても、時がくれば、自然にできるようになる瞬間がある、ってことが、実証(?)されました。
どんなに仰向けになれない、って思っても、目が覚めれば、仰向けになれる!
(仰向けが何の暗示か、何の暗示でもないのかは、知りませんが。)

よかった、よかった
‘絶対、無理’とかって、長い時間軸上で考えれば、たぶん、ないんだ。
時間をかけないから、無理って思うんやね。
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夢の電気。

2008-02-25 20:01:56 | 
夕方、眠っていたら、夢を見た。
断片しか、覚えていない。
この間、点灯管を換えた電気(参照2/18記)が、また点かなくなる夢。
それも、二重の蛍光灯が両方とも点かなくて、部屋が真っ暗になる夢だ。
実際に、片方しか点かなくなってた現実の生活の中で、まだ大丈夫な方の蛍光灯(小さい方)も、徐々に、不安定にちらついたり、急に消えてまた点いたりするようになってきていた時期があった(それは蛍光灯を換えて、ましになったんだけど)。
夢は、その映像のくり返しだった。
映像は同じ。感じてる気持ちも同じ。
The same old anxiety. あの、例の、いわれない不安。(いわれはあるか。)
ただ、見ている私は、当時の私でなくて、今の私(←点灯管交換後の)で、
‘あ~あ、点灯管換えたのに、どうしたことだろう。困ったなぁ。’
って思ってる。不安と焦燥感。よく慣れた失望感。
どう意味なんだろう?
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いながらにして夢の世界

2007-12-12 14:07:32 | 
考えてみれば小さい頃から自分の小さな世界に住んできた。

安心でひとりで楽しい世界。

小学校の卒業文集には「寝ているときと、ピアノを弾いているときと、まんがを描いているときが一番しあわせです☆」と書いている。

睡眠と音楽と創作活動。

不器用さゆえに不安の多い日常から解放してくれる三大要素。

中高生のときは“あたたかい場所で、生クリーム入りの紅茶を淹れて、すきな音楽をききながら、編み物をしていられればしあわせ”と思い、ロッキングチェアに座る、おばあちゃんになった自分の絵を描いたりしてた。

甘い飲み物と音楽と創作活動。

睡眠欲と食欲だったら、前者の圧勝だけど、眠れないときは甘い飲み物でからだの機嫌をとる。

(食べ物より飲み物がすき。変な言い方だけど。いかにもヴァイタリティに欠ける人間の意見っぽい。)

そういう、自分の好きなことを、長い間わすれていたんだけど、最近、思い出した。

いつからか「こうあるべき」という姿の方がつよくなって、ずいぶん、自分らしくないことをした時期があった。(それはそれで、経験としていいことかもしれないけど。)

今は、紅茶とaikoと面白い論文があれば、しあわせ。

その時々の趣味はちがうけど、傍目から見たらだいたい一緒だろう。

論文を読むのも、受動的なものではなくて、筆者が言ってることを自分の中に再構築していく、能動的な活動。

再構築というか、すでに自分の中にある知識体系にうまく組み込んでいくこと。


そういうことだけして生きてはいけないことがわかっているから、そういう時間帯が本当にうれしい。


そして、こういう生活を奨励してくれる少数の周りの人たち―家族とか友達とか先生とか―がわたしはだいすきだ。
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思い直し<自己弁護?>

2007-12-11 12:11:02 | 
昨日、卒業文集に将来の夢を「学者」と書かずに「考える人」(ロダンみたい…)って書いてたのが、かわいくない、というようなことを書いたが、考えてもみれば、その頃、まさか自分に学者とか研究者の道が開かれてるなんて、思いもしなかったという事実がある。

自分の社会的スキルの低さも省みず、大学2年くらいまではさすがに大学出たらひとまず就職はしなくては、と思っていたし、4年生で教育実習に行くまでは高校教師っていう線もありかな、と思っていた。(実際、行ったら、まだ年端のいかない子どもたちに‘教える’ということの責任の重さに、わたしはすぐ耐えられなくなるだろうと感じ、選択肢があるならやはり研究者を目指したいと思った。)

いや、実は小学生の頃は、大学生になれるかもわからないなぁ、大学生ってなんかわからんけどすごいなぁ、すごいんやろうなぁって思ってる、ほんまに田舎のおぼこい子どもだったんだ。

時とともに、自分の中の常識はどんどん変化していった。

人間の適応能力というのは、ふしぎなものだと思う。

郷に入っては郷に従え、といいますか。

昔の自分の常識を思い出したからと言って、今の自分がすごいとはとても思えないけど、ここまで自分を連れて来てしまった、社会の力とか家族の支えとか自分の意志とかに、しばし思いを馳せたいと思う。


生きていくことは、自分が何者であるかを知る道のりのような気がしている。

何者にもなりえない、と悲嘆しつづけた日々のあとで。
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子どもの頃の夢

2007-12-10 18:25:55 | 
わたしの最古の夢は「はかせ」だった。

幼稚園のころ描いた絵に、白衣を着て実験室で化学実験をやってる自分の様子を描いている。

最近、家族に言われたのが、小学生の頃の文集にも「博士になりたい」と書いていたらしい。それで「ノーベル賞をとりた」かったらしい(笑)

その無謀さが今となってはうらやましい。

小学生高学年の頃は‘まんが家になりたい’と言っていたが、中学になって語学関係がいいなと思い、中学の文集には将来の夢の欄に「言語学や音声学について考える人」と書いている。

わたしは関西のいなかに育ち、公立の中学に通っていたので、まぁ、理解者は乏しかった。

近所の友達のおかあさんに「声楽家になりたいんやって?」と聞かれたくらい。

・・・そういう才能もほしいけど。

それにしても‘言語学者’じゃなくて‘言語学について考える人’と書いているところに自分らしいこだわりと偏屈さが見え隠れしている。

「考える人」なら、もうその夢は実現している。

というか、学部の2年生くらいから、もうだいぶ、「考え」てはいたんじゃないかなぁ。

なんで、「学者」と書かないんだ、わたし?

そう書いてくれていれば、ていうか、そう書ける素直さがあれば、もう少しいろいろくるしまずに済んだ気がする。もう少し紆余曲折が少なかった気がする。

ただ、こだわっていたのは、‘職業学者’みたいにはなりたくなかったんだ。

仕事だからやる、っていうのは、なんか情熱に欠ける気がした。

大学の先生でもいろんな方がいらして、本当に‘研究者’だなぁ、すごいなぁと思える方と、運よく職につけたんでとりあえずやってるっていう感じのする方も、正直、いらっしゃったと思う。

今は、いろんなタイプの人がいて、大学とか学会が動いていくんだなぁと思っているけど、もうすこし若い頃は、たまたま頭よくて運もよくてなんとなく学者になったっていうタイプの人は、正直、やだなぁと思っていた。

学問や研究に愛情がないと。

まぁ、そう思っていたけど、そうやって精神的に研究にあまりに重きを置いてしまう人達って、わたしや同じ勉強会の人達とかそうなんだけど、まぁ、うつになりやすい。

もっと、普通の人間としての生活をバランスよくこなす器用さが、ちゃんと生きていくには必要みたいなんだ。

うぅ~む、割り切りって大切・・・。

みんな、くるしんで、それから気づいている。

まぁ、わたしはあんまり人前では研究愛を語らないので、そういうタイプとも思われないみたいだけど。

話はだいぶ、とびましたが、とりあえず、子どもの頃に夢見た、研究室にこもって非日常的な思考に没頭する、という生活は今のところ、ある程度、実現できているわけです。突っ走ってきて、よかった気がします。あとは、ここから収入を得る手段を確立しなければならないと思いますが。(それがまた一山も、ふた山も越えなきゃです。)

社会的な不適応を起こしかけながら、ぎりぎりの所で救われている。

それって、どういう意味があるんやろう?
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2007-11-20 15:58:42 | 
かねがね「夢っていうのは、本質的じゃない」ってことを何度か主張しているのですが(岡本太郎さんも「可能性なんて甘えだ」と言っている)、この頃は現実がきびしいので、夢を語りたいと思います。

やっぱり、関わりたいのは「言語起源」研究だと思う。

もちろん、19世紀比較言語学的アプローチ(今でも本気でそういうことやってる人いるんだろうか??)からではなくて、もっと、今生きてる人間相手に言語の発生を探っていくやり方で。

脳科学とか、認知心理学とか、進化心理学と関わって。

って思って、ふとさっき、一応わたしも入れていただいている大学のラボの封筒を見たら「進化認知科学」の文字が…!

Ah-oh,灯台下暗しですね。

I have been in the right place.

…あんまりチンパンジー興味ないんだけどなぁ。鳥とかも、そんなに。

一方で、脳の部位の話を聞いても、今までいまいち興味もてなかったんだけど。

あぁ、だから、そうなんだ。
夢と現実にはけっこう差があって、現実の物事は夢で見たような形をしていないことが多い。

だからって、夢みたいじゃないから現実がだめとは限らなくて、思ったふうじゃないからだめとは限らなくて、むしろ思ったよりもいいかもしれなくて。

うん。

そこは、きっと、ちゃんと携わってみなければ、わからない。

現実を知ることは、最初はがっかりしても、だんだんよくわかってくると楽しくなってくる。そうだったはずだ。
コメント (2)
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ぐずる

2007-10-27 13:38:46 | 
はじめるときも終えるときもぐずるから、作業がはかどらないんだ。


だいたい心的な問題。

はじめるには準備不足だから、とか、

おわるには力を出し切ってない気がする、とか。


空想上の準備万端とか、今出せるはずのない力とか、

わすれてしまえ。


夢は持ってていい。

But that's not what you can actually live on.


たぶん、わたしは今、むかし自分が夢見た場所にいる。

だから、今、この場所にいる自分というのをできるだけ正確にとらえたい。


ひとりの人間にもいろんな時期があるんだ。
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