綺麗な公園の中に立つ教会の全景
■2016年12月24日(土)
この町の市長さんが発信したブレゼピオを見たさに、海の向こう、平たい顔族が住む国から旅人が訪ねたのに、実は期待したプレゼピオはありませんでした。通年は設置されていて、何らかの理由でこの年だけ飾られていなかったのか、今となっては分かりませんが、ちょっとがっかりではありました。
公園の中のモニュメント
サン・フランチェスコとオオカミの物語が生まれた時代のヴィットリーナ教会は、勿論人々が憩うようなこんな広々とした場所ではなく、木々の生い茂る寂しい村はずれにぽつんと立っていたはずで、今の場所は、後世、整備され作られたのだろうけれど、それにしても、物語にそぐわない、余りにも明るいエリアにあって、こちらも少々気持ちが削がれました。もっとも山の中のうっそうとしたところに教会があれば、こうして訪ねては来られなかったので、私の言い分はなんと身勝手なのでしょうね。
さて教会は、20人も入ればいっぱいになるほどの小さな内部でしたが、それでも信仰にまつわるフレスコ画が壁面に描かれていて、ほのかに浮かび上がる正面のキリストの像を目にすれば、信者ではないものの、敬虔な気持ちにさせられました。
フランチェスコがグッビオに滞在したのは、1207年からのわずかな期間でしたが、それまでの自らの行いを悔い改めて出家をし、故郷のアッシジを出たフランチェスコが最初にたどり着いたのがこのグッビオの町でした。当時人々は、近くに出没するオオカミに悩まされていましたが、家畜のみならず人間まで襲うこの獣を恐れて、人々は町の外へも出ることが出来ず、獰猛なオオカミ相手に為す術もないままでいました。そこでフランチェスコが身を挺してオオカミに会い、とつとつと説教をして彼を回心させるのですが、その場所がこのヴィットリーナ教会のそばでした。
サン・フランチェスコとオオカミ
オオカミがフランチェンコに手を掛けるこの動作は、フランチェスコの説得に対するオオカミのいわば、あなたの言うことに逆らいませんという“保証”を表しています。尻尾を垂れていることでも分かるように、平たく言えば、相手に畏敬の念を抱き、服従する姿勢でしょうか。
こうして、ようやく私は長年思い続けた目的の教会にたどり着いたのですが、フランチェスコとオオカミのこのエピソードは、単なるキリスト教伝道のための物語にとどまらず、オオカミを現代の、例えば、ミサイルや核実験をし続ける国や内戦で互いにいがみ合う人々に置き換えてみれば、何を為せば、安寧の秩序を保てるか、自ずと見えて来る気がするのでした。
それから、聖人がプレゼピオをもたらしたとの記事も見つけましたが、KAZUさん何かご存知ですか。
それとプレゼピオは、1223年に時の教皇に許しを得て、キリストの降誕を祝うため、フランチェスコが、今の原型を作ったのだそうです。実は今回、このことも書こうかと思ったものの長くなるので端折ったのですが、tomaさんの着眼点は凄いです。当時、字の読めない人たちのために、壁画やフレスコ画を使って、キリストの物語を伝えたのだろうと思いますが、フランチェスコも独自の祝い方を考案して人々にキリスト誕生のお話をしたのでしょうね。