わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

贈;「炭水化物を止めて人類止めるの?ダイエット偽善主義ニッポン人達」江

2015年10月08日 | 医学と健康

ダイエット、ダイエットというけどね。

喰うに困っている世界から食糧輸入しなければ喰っていけない国のひとが、食べきれないで残した食料を大量廃棄しして、それでも痩せたい?

ってどういこと?

そんな奴はドンドン食って食いまくって逝け~~  (って、自分に言うかよ)

まあ、太る体質と痩せる体質の違いはどうしようもないのかねえ。ボクなどは後者だから残った食べ物はなかなか捨てるのがおしくて、つい食べてしまう。(その前に、クンクン臭いかぐのは必須・・・そしてこの低度ならと・・・)

だが、太らない・・・・・困った悶だ

それなのに、ダイエットと称して、日本人は米を食うべからずなどと補座いている医者が居ると言うから、世も末だねえ~~~

世界中がその国の主食(炭水化物だろ?)を止めてどうするの?

食えない奴が人を食ったことを言うんじゃ無い!

と言っても食えないのは、煮ても焼いても食えない奴のことで、本当に食えない人は世界中に居るという現実を忘れているんじゃ無いの?

それなら、腹いっぱい食べなきゃよいだけだろうが?

その分、輸入しなくて済む、そしたら飢餓の人たちにも食料が回る。
それを大量廃棄してまで輸入して、しかも自国の主食である米や穀物などを食べないという食事法だって? チャンチャラおかしいぞ。

 

松本英聖著  「二十一世紀の医学革命へ」 (1995年刊)より

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

21世紀の医学革命へ


43P

    第四章、「善意」の現代医学が生んだ悲劇 
      -現代文明を告発している飢餓の子供たち ー


     先進国に収奪される貧しき多数の途上国
 ある国連会議であったというこぼれ話。
 その日、難民救援会議を終えた各国政府代表たちは、昼間の緊迫した会議から解放され、ホッとした面もちで恒例の晩餐会に集った。
 豪華なシャンデリアが輝く会場のテーブルには、美しく盛りつけられた山海の珍味がところ狭しと並び、ほのかな香りと共に和やかな雰囲気を醸し出していった。

  「乾杯!」……国際会議の恒例によってホスト国の代表が開宴の音頭をとったlj、まさにそのときである。
 
 「ちょっと待て!」-と叫んで一人の途上国代表がグラスを床に叩きつけ、何事か声高にしゃべり出した。
呆気にとられる会衆を前に、彼はこうぶち上げた。

  「諸君、見給え!こんな食べきれないほど贅沢な料理を楽しみ、酒を酌み交わすとは、一体どういう了見だ。
こうしている間にも、我々の国では大勢の子供たちが飢えに泣き、死んでいるのだ。

 今日我々がここにやって来たのは、同情を求めるためではない。
諸君に苦しみを分かち合って貰いたいのだ。
我々は諸君の残飯をあさるよりは、人間としての尊厳を保つため、むしろ餓死の道を選ぶ!・」
 この高邁な見識に場内は水を打ったように静まり返り、むろん宴会はお流れーー。

 胸のすくような啖呵とは、まさにこのようなことを言うのであろう。

 実際の話、厚いステーキや高価なロブスターをつつきながら、難民救済を話題に優雅な一夜を過ごす。
たとえ会議の後とは言え、許しがたい傲慢無礼であり、「偽善者め!・」と罵られても二言もあるまい。

 現にこの会議を主催したユニセフ(国連児童救済基金)の発表によれば、いま世界中で五億人もの子供たちがひもじさに泣き、また途上国人口の約半数(一八億)が栄養不良と推定されているのだ。
 現時点で先進諸国の人口は約二一億であるから、美食飽食にうつつを抜かす先進国民一人に対して一・五人の人々が食糧難で苦しみ、栄養不良に陥っている勘定になる。

 同じ人間に生まれ、同じ地球上に住みながら、こんな不公平が許されてよいのだろうか。

 経済大国に成長した日本では、にわかに信じがたいことではあるが、厳粛に受けとめるべきであろう。

 いま日本中がグルメブームにうつつを抜かしているが、つい五、六十年ほど前までは東北地方の貧農は主食の米を売って雑穀で飢えをしのいでいた。

 毎年のチャリティショーには何十万という人々が。
愛は地球を救う″をキャッチフレーズに、ささやかな善意を持ち寄り、奉仕のタレントと握手しながら難民救援に役立つことを願い、またそれを誇りにもしてきた。
心温まる快挙であり、理屈抜きで心からの声援を惜しむものではない。

 だがそれは、あくまでも一刻を争う緊急避難的な応急対策。
これで万事こと足れりと考えるなら、大きな間違いである。

 問題の本質は、そんなに生やさしい事態ではなく、実は現代の科学技術文明の本質に関わる重大な問題であり、先進国文明のあり方自体が厳しく問われていることを正しく認識しなければならない。
 ともあれ、いま地球上では貧しい途上国は″飢え″に悩み、豊かな先進国は。
飽食″ゆえの死病にとりつかれて苦しんでいる。
一方は量的欠乏であるが、それは南北経済格差と食糧の生産配分を支配する非情な市場メカニズムが生み出した構造的惨禍であり、その渦中に彼らは求めずして巻き込まれているのだ。
何という悲惨な運命であろうか。

 これに引き替え、富が一方的に集中する先進諸国では、あくなき欲望追求が産み出した食生活の質的欠陥 (反自然的生活)によって、自らの生命を縮めるという笑うに笑えない悲劇を出現した。
一体、先進国と途上国とでは、どちらの業がより深いのであろうか。
 このように見てくると、途上国の。
飢え″は、単に救援物資を送るだけでは決して解決し得ないことであって、むしろ病根は先進国文明の収奪的構造にあると言わねばならない。




45P
    〝飢えの構造〟の主因は非生産的な肉食

  「台風が吹けばおけ屋が儲かる」というもって廻った話があるが、この話と実によく似ているのが。
飢えの構造″―-、即ち端的に言えば、〝先進国民が肉を食うと途上国民が飢える″という肉食の知られざる側面である。

 さて、肉食をしようとすれば、まず肉を取るための動物を飼う必要あり、そのためにはエサが必要となる。

 この飼料(農産物)を人間の可食食糧に換算すると、数字のはじき方にもよるが、それはさておき、おおよそ牛一頭につき九~十人分、豚は四~五人分、鶏なら二大二人分、単純平均すれば、動物一匹当たり五~六人分の食糧が飼料として消費される勘定になる。
 夕食に二百gのステーキを食べたとすると、実はその十倍(二㎏)に当たる農産物をペロリと平らげたことになるわけで、ポークなら五倍のI㎏、チキンなら二、三倍の五百gの農産物に相当する。

 ここでよく考えてもらいたいことは、もともと二㎏あった飼料(農産物)が、牛肉にすると、わずか十分の一に減るということだ。
当たり前のことと思えるが、実はここが大事な点である。

 かつてエングルスは、このようなカラクリのことを「量から質への転化」(自然弁証法の法則)と呼んだ。
 このカラクリを肉食に当てはめてみると、肉食という食形態は、素食(農産物)中心のつましい食生活なら数人の人が充分養えるはずの食糧を独り占めにしてしまう、実に欲張った贅沢な食形態である。
栄養学的に言えば、一人では食べきれない量の炭水化物(農産物)を。
肉というたんぱく質に質的に転化することによってペロリと平らげることができるわけだ。
 視点を変えて言えば、他人の食糧を奪って自分だけがいい思いをするという、実に身勝手かつ収奪的な食形態と見ることもできる。

 肉という字は内に人と書くが、人の食物を奪って内(体内)に入れると読めば、まさに文字どおりである。

 それはともかく、肉食もほどほどでつつましくやっているならまず問題はない。
人間が食べられない草を羊に食わせて乳や肉に転化する遊牧民や、余った残り物で細々と家畜を飼っていた頃(一九世紀末頃まで)なら、きわめて合理的かつ自然な食形態であったからだ。

 ところが、今世紀になると、事情は一変した。

 経済の高度成長と肉食礼賛の栄養観に導かれて肉食消費量は飛躍的に急増し、とくに今日のような美食飽食時代を迎えると、その巨大な食肉需要を賄うために、昔とは比べられないほど大量の農産物が飼料として容赦なく消費される時代を出現した。

 しかし、地球という限られた生態空間(エコシステム)においては、食糧生産性には当然一定の限界がある。
であるから食肉生産が異常増加すれば他の農産物の生産は、その飼料分だけ抑制されることになるわけ。

 そこで問題になるのは、地球上における総農業生産量の限界点である。



47P
    魚の大量消費も地球資源の横取り

 いま地球上の可耕地供給総量は多めに見積もって約三十二億㌶と推定されているから、現在の農業技術で養える人口は八十億人がやっと。
仮に技術改良で生産性を増加したとしても、百億人までは無理とされている。
これ以上は定員オーバーだ。

 しかし実際には、農地表土の流失や砂漠化、あるいは農薬などによる土壌汚染や土壌酸性化、さらに人口増に伴う都市化や工業用地への転用などで肥沃な耕地面積は急速に蚕食されているため、地球の食糧供給能力の限界は七十億人程度がギリギリと言われており、その限界期は二十年後に到来することが確実視されている。

 一方、生産者側から見れば、市場メカニズムによって売れる(儲かる)農産物は作るが、採算の合わないものは容赦なく切り捨てられ、余った農地は休耕地として遊ばせた方が得になるという現象が起きる。
昨今のコメ市場開放や、それに対應して強行されている減反生産を見れば、その辺の事情がよく分かるであろう。

 では魚食の方はどうか。

 昔のように近海もので食膳を賑わしていた時代は全く問題はなかった。
その程度の贅沢は自然の許容範囲内での営みだからだ。
 
  だが、いまは違う。
船団を組み、遠く南洋、北洋まで出かけて大量漁獲し、あるいは七つの海に出没して公海上とはいえ、地球の漁業資源を喰い荒らし、金にものを言わせて魚を買い漁りだしたから非難ごうごう。
エコノミック・アニマルと罵られ、捕鯨問題では世界中から袋叩き。
いまや広いと思った海も狭くなっているのだ。
 たとえ肉は食べずとも、魚を大量消費する限り、地球資源を横取りして喰い潰していることに変わりはない。

 このようなわけで、日本を含めた経済大国の勝手気ままな食形態(動蛋食)によって地球の食糧生産のバランスが大きく狂ってきた。
収益の高い先進国向けの穀物(精白食品)や畜産用飼料(養魚用も含む)の生産は伸びても、途上国向けの儲からない雑穀生産は見向きもされない。

 その結果どうなるか。
金持ち先進国だけに食糧が集中し(精白食品と動物性食品およびその飼料という形で)、その集中した分だけ貧しい途上国の食糧事情が逼迫するというアンバランス、つまり。
食糧遍在″に拍車がかかるわけだ。
 この市場メカニズムを支配しているのは採算性という名の。
資本の論理″であり、そこでは一片の情け容赦も通用しない。
まさに喰うか喰われるかの弱肉強食の世界である。



49P
     いかなる主義であれ肉食前提は偽善者

 先に述べた晩餐会における途上国代表の怒りには、こうした先進国の横暴に対する貧しき人民の怒りが込められていることを決して忘れてはなるまい。

 資本主義の資本を四本(死本)と読み変えれば、まさに死本(肉食)主義だ。
肉食=血・赤・危険・戦争・死を意味し、また肉の字は前に述べたように他人の食物を掠め取る収奪的食形態を意味する。

 これに対して、穀菜食(素食)は、草・緑・安全・平和など生命(甦り)のシンボルと言えよう。
 このように考えれば、東西(米ソ)の対立も元をただせば肉食をめぐる食糧争奪の覇権争いであり、また南北経済格差を生み出している根本原因は、先進国(白人)による途上国(有色人民)の食糧収奪を正当化する。
肉食の論理″(市場原理)ーー、つまり。
〝欲望充足型″文明が仕掛けた災いである、と謎が解けてくるではないか。

 この意味で自由主義はもちろん、今でこそ崩壊したが社会主義もマルキシズムも、あるいはまた神の恩寵や平和を説く宗教家たちにしても、彼らが肉食をほしいままにいている限り、彼ら自身仮面をかぶった自然の収奪者であり、貧しき人民の食物を奪って君臨する偽善者と言わざるを得ない。

 この肉食のカラクリによって、豊かな先進国はますます富み、美食飽食に拍車がかかるが、その一方、貧しい途上国はつるべ落としに飢餓線上へと転落して行く。
これが。
飢え”と。
飽食”の両極端を生み出す肉食の実体であり、また現代文明の実像でもある。

 果たして、このような身勝手かつ貪欲きわまりない欲望充足型現代文明の収奪的構造と繁栄は、いつまで続けうるのであろうか。

 実はすでに破局は始まり、見果てぬ夢にうつつを抜かすときは終わった。

 一刻も早く自然を無視した肉食礼賛(美食飽食)に終止符を打ち、健全な食生活に帰るべきときが来た。

 とは言え、「世のため人のために肉食を慎め」ということではない。
肉を食べたければ食べればよいし、 「いまのうちだ……」と、せっせとグルメ漁りをすることも各自の自由。
誰も止めたりすることはできない。
 だが、美食飽食をほしいままにする限り、我とわが身を台無しにし、やがて身も心も滅ぼすことだけハッキリと警告しておく。

 天網恢々、疎にして漏らさず。
神の掟と自然の摂理に逆らうものは必ず滅び去る運命を覚悟しなければならない。
その破局はすでに始まっている。

 「情は人のためならず」という言葉があるが、食事を正すことは誰のためでもない。
自分自身のためであり、そうすることによって自分が救われると共に、世界もまた救われるということである。
そこで穀菜食に関連した歴史的教訓を紹介しておこう。



51P
    肉食を廃して奏功したヒンドヘーデの政策

 話は第一次大戦中のヨーロッパにさかのぼる。
 その頃、デンマークでは国外からの食糧ルートが遮断され、極度の食糧難に陥った。
 このとき、食糧庁長官であったヒントへ上ア博士(栄養学者)は、当時ヨーロッパを支配していたルプナー (ドイツ)の栄養学説(肉食礼賛説)を断固廃して、国内の豚をすべて殺すよう布告し、その飼料を国民に配給した。
豚肉一人前を取るために五人分の穀物が飼料として消えることを知っていたからだ。

 こうしてデンマーク国民は質素な穀菜食に徹したが、その結果は国民の健康状態が素晴らしく改善され、慢性病死因が三四%も激減し、死亡率は人口千人当たり一一・五人から一〇・四人に低下するという奇跡をもたらした。
 民族の存亡をかけた貴重なデータであるだけに、この教訓の意義は大きく、とくに迫りくる食糧危機に対処する唯一の道として、これ以上確かな解答はあるまい。



ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

24時間テレビ 「愛は地球を救う」などは偽善の代表みたいな揉んだね。

赤い羽根って高い羽になってシマッタ。あれもそういう偽善組織の維持の為なんだろう年。

だって給料払わなきゃ。退職金も慰労金も  羽売って鷲らが潤う♪

まあ、ダイエットしたいなら、素食すればそれで済む。

腹すいてから食べよう。

まあ、そのうち喰いたくても喰えない時期が一度はあるだろうからね。

いまの内に腹いっぱいおこ~~う♪

ワシの酒の言い訳と同じだね。

明日から酒は止めるぞ~~! だから今日は一杯、いやいっぱい飲むのだ。

それを毎日繰り返して数年~~~

 

 

 


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