そして五十年後の今、美食飽食の付け回しとして慢性病が激増すると共に、出生率の激減と高齢化社会の出現によって、民族のバイタリティが失われ、民族滅亡の危機に曝されるに到った。ーーー引用記事より
ボク老人、じゃない!! ボケ老人の増加と介護地獄の世相。そして、少子化・・・
まさに20年前の予測が・・・・・
しかし、人類はいま脱屁、じゃない! 脱皮の時期を迎えているとも言われる。
これから地獄をみるか天国を見るか
それはのぞき穴の彷徨で決まる。いやボク老人の彷徨じゃないぞ。視点、観点の方向だよ。
どん詰まりにも見える世界人類の危機感と、それに対応する人類の孵化、蝶になって飛んで行け~~♪ (そろそろ脳の限界に来ているらしいな・・・オレ)
松本英聖・医事論集
第二巻 「医学と生命」
より (一九九四年一〇月三〇日初版)
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
第四章、人類最後の戦い -- 人口抑制か欲望節制か
●目前に迫った食糧危機
六十三億五千万人--、これが『西暦二千年の地球』が予測する今世紀末の世界人口であるが、西暦二千三十年には百億に達する。
現在の地球人口は五六億人だから四十年足らずで倍になる勘定。
一方、地球の食糧供給可能量は、八〇億人(三十年後)が限界というのが大方の一致した予測。
しかし、先程述べた西丸説では、土壌流失や都市化あるいは異常気象などの不確定要素を考慮すると、破局はもっと早くなるだろうし、本年七月に同氏が計算した地球の定員をオーバーしたから、贅沢が出来るのも後僅か、ということだ。
一方、こうした悲観論に対して、ハーマン・カーン氏に代表される薬観論者は、科学技術の進歩によって地球定員は二百億人まで大丈夫だと太鼓判を押す。
無論、そうあって欲しいが、しかし、現在の人口爆発が続く限り、百年足らずで二百億人に達するから、その時どうするか。
結論的には、今からその時に備える以外に道はあるまい。
仏説『法滅尽経』によれば、仏法が滅し去ってから五六億七千万年後、弥勒下生となり地上天国が出現すると説かれている。
余りにも遠い将来のこと故、一つの譬え話として真面に信じる人は仏教冢にも少ない。
しかし、この五六億七千万年を五六億七千万人と読み替えると、世界人口がこの数に達した時(一九九四年七月)を転機として、世界は破局に突入し、既成秩序は悉ぐ崩壊し、その廃虚の中から新しい時代が始まる、ということになり、俄かに現実味を帯びてくる。
昨今の世界情勢や日本の政治・経済の混迷を見ると、まさに破局の予兆を思わせ、実に不気味である。
そこで問題となるのは、「年」を「人」と読み替えることの是非である。
この点について、最近、大脳生理学者の東晃史博士(国立生理学研究所・岡崎)が《時間と空間は相互変換する》という驚くべき新理論を展開した著書『アインシュタインの悩みとファインマンの悩みの解消に向けて--宇宙と意識--』(技術出版)を発表されているが、この東理論によると年(時間)と人口(空間現象)の読み替え(時間と空間の相互変換)が理論的に可能なのである。
その考え方のポイントは《医学の神話》の項で簡単に触れたので参照されたい。
なお東理論は有名な船井幸雄氏の著書『日本の最前線』(PHP研究所)で紹介され、大反響を呼んでいるので是非一読をお奨めする。
ところで、今述べた人口食糧問題の対策を考える場食誰しも頭に浮かぶのは産児制限よる人口抑制策。
人間が考えうる唯一つの人道的口減らし策だから、この問題に最も厳しいカソリック教会も、条件付き(排卵周期によるコントロール)でこれを認めている。
また、WHOの世界人口会議は、プロスタグランデン(ホルモンの一種)を用いた新しい経口避妊薬(ピルよりも安全かつ有効と言われているが……)の使用可否を巡って『家族計画会議』が開かれるという熱の入れよう。
要するに人口はネズミ算的(等比級数)に増えるが、食糧は足し算的(等差級数)にしか増えない。
だから食糧供給量に見合うよう人口を抑制しなければならない--という考え方が新マルサス主義である(この考え方は、食糧の量的条件のみを見て、質的条件を無視した机上の空論であることは既述した)。
そして、この新マルサス主義を地で行き見事に成功したのが、我が大和民族であった。
当時(戦後)の大混乱と極度の食糧難の最中、四つの島に閉じ込められた一億の民が。
生き残るか、死を選ぶか″というギリギリの状況下で選んだ道だが、今、世界(途上国)が置かれている状況は、当時の日本とそっくり。
当時の日本はこの難局を見事に乗り切り、僅か五十年で世界の経済大国へと成長したため、今世紀最大の奇蹟を演じた人口食糧問題の優等生として、世界史にその名を残したのである。
だがその真相は--、喰うため生き残るためとは言え、形振(なりふり)構わず、恥も外聞もかなぐり捨てて、胎児殺し(中絶)に狂奔したというのが実体。
そして五十年後の今、美食飽食の付け回しとして慢性病が激増すると共に、出生率の激減と高齢化社会の出現によって、民族のバイタリティが失われ、民族滅亡の危機に曝されるに到った。
まさに新マルサス主義の破綻であるが、それとは別に胎児殺しに狂奔した当然の酬いと見ることも出来よう。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
備えあれば憂いなし
と言うが
その「備え」は無かったのかな?
だから「憂い」(心配、不安)は残るわけだ。
昔は「胎児殺し」をさんざんやっておいて、
いま「少子化担当相」まで作っているこのハレンチ学園、じゃない、国家国民。
ワタシが始めてハレンチという言葉を知ったのは永井豪氏のお陰だが
大人になってから破廉恥という漢字がある事をしって、股股おどろいたわけ。
次回はそのハレンチ堕胎についての考察をご紹介したい。