オモロかったあの頃!!

~ナニワ少年ヒストリー~   HN アキラ

継続は力なり2

2016-03-31 10:58:28 | 日記
思えば商売の町大阪。

周りの友達の家も
植木屋、果物屋、魚屋
お菓子屋(駄菓子だけでなく、野菜もあったような)
風呂屋(僕達の憧れの仕事友達は小4から番台に座っていた)
等、多種多彩でした。

だから、ソロバン教室が
賑わっていたんですね
先生の人柄もあったんでしょうね  
ダジャレもウケていて
みんな先生が好きでした

もう一つのソロバン教室は
賑わっていなかったので。
それだけ楽しかったソロバンを
僕が辞めたのは
先生の息子(20代)が原因でした。

息子はたまに教えることがありました。
明るい先生の子供とは思えないほど暗く
生徒と会話もしません

1階と2階で教えてもらいますが
1階は60代の先生。
2階は息子が教えます。

ある日、少し遅れて2階に参加した僕は
いつものようにソロバンの玉を弾いていました。
手を挙げて先生に当てられてから
口頭で答える方式です。

必死で問題に挑み手を挙げましたが、
僕だけ順番を飛ばされるんです

最後まで手を挙げても当ててもらえず、
1階に降りて先生に
「あの先生、何やの?僕を当ててくれへん。
最悪や、もう2階でするのイヤや~」


と言うと、先生は困った顔をしていました

今思うと、イヤイヤ親に言われて
やらされていたんでしょう。
子どもが好きでもないし、仕事に意欲もない。
そんなかんじでしょうか



結局、2階は息子で変わらず
僕の方が辞めました。

先生も、息子には跡を継いで欲しい
という希望を持っていたと思いますが
最後まであんな感じでした。
先生と息子は心の距離が少しあったんでしょうね。

今、子供たちを教えているのは
60代くらいのオバちゃんですが
当時の先生の娘でしょうか?
愛想は良く先生に似た性格のようです。
息子は途中で辞めたんでしょう

なら、僕は辞める必要があったのか?
今も納得できない今日この頃です


継続は力なり

2016-03-30 18:03:30 | 日記
「継続は力なり」と申しますが
皆さんは何か続けていますか?
又は続けた事がありますか?

僕も色んな習い事をしました!
以前に書いた野球もそうですが

姉の影響で小学校4年の頃始めた
ソロバンが最初の習い事でした。

商売人の多い大阪は
当時、ソロバン教室は大ブームで
子供達で溢れかえっていました!

クラスのほとんどが習っていて
初めてソロバン教室に
電話をした時に

友達のコッニンが出て
はい、○○ソロバン教室です
と元気よく応対してくれたので

先生やなくコッニン?
ここは、どんだけアバウトやねん
と思っていました。
 
「ねがいまして~は~1えんな~り~」

と1から教わりました

友達がたくさんいるので
友達に会いに行く感覚もありました

自分の級の少し前に行き
漫画が置いていたのを見るということも
楽しみの一つでした。

先生は60代でワンパターンな
おやじギャグ好きで

みんな寛大に笑っていました
8月には怪談。
12月はクリスマス会と楽しかったです。

6級ぐらいまでは教室でテストを受けて
5級からは高校に受けに行きました。

中学1年で
3級の時に辞めましたが
それには理由があったのです

(次回へ)

まさかまさかのパート3

2016-03-28 16:48:00 | 日記
釣り2
で「思い出したら桜ノ宮事件」
を書いていたら
思い出した話があるので
パート3として
書いてみたいと思います。

桜ノ宮事件は僕らが小学校で
みんなに面白おかしく伝えたことで
話題になり、
何か話していると
思い出したら~桜ノ宮やな~

というギャグにして笑っていました

そこから数ヵ月後の話ですが
桜ノ宮はヤバイということで
他の場所に釣りに行ってました。
色々行ったので場所は忘れたのですが
その日も友達3人(ニッシー、モント、僕)で
電車に乗り目的地まで行きました

そして、釣りが終わり帰ろうと
河川敷沿いを歩いていると
数人の小学生(同じ5年か6年ぐらい)
がいてこっちを見ています。

何か嫌な予感がしながら通り抜けようとしたら
すれ違いざまに向こうのよく肥えた少年が
モントの足に蹴りを入れてきました
(しかし、なんでこの頃の小学生は
こんなに好戦的なんでしょうか?)


モントが
イターッ、何すんねん?」

と言うと、少年は
俺は空手やってんねんぞ
おまえら何かやってんのか?


と、言ってきました。

すかさず、モントは
あーやってるで~ソロバンと習字や

と言ったら相手は
アホか~そんなん聞いてへんわ~

と怒ってきました。

そこで僕はすかさず
空手もやってるで~(間を開けて)
ま、言うても通信教育やけどな~


と、当時、吉本新喜劇のスター岡八郎の鉄板ギャグで返しました。

向こうの少年は怒り狂い
おまえら~なめてんのか~

と大激怒しています

そこで、モントは
そんなに言うなら、こっちも武器を使うぞ~
すぐに取ってくるからそこで待っとけ~ビビルなよ


と言うと相手は
誰がビビるかい、待ったるわ

と言ったので僕らは
よっしゃーほな待っとけよ

と言い残して電車で家に帰りました
相手は果たしていつまで待っていたのか?
それは誰にもわかりません

僕らも桜ノ宮事件で知恵をつけ
戦わずして勝つ方法をそれぞれ模索して
今回を迎えました。

結果、皆無傷で帰ることができ
学校でのネタももらえました。

こうして、一歩ずつ大人の階段を登る
ナニワの少年たちでした

釣り2

2016-03-27 13:37:39 | 日記
釣りが大好きだった
小学校5年生の頃
思い出したら桜ノ宮事件
というのがありました!

JR 大阪環状線の駅で
桜ノ宮」という駅があります!

花見で有名で造幣局の通り等
大阪でも有数の花見スポットです!

その桜ノ宮駅から少し行ったところで
よくフナや鯉釣りに
学校から帰ってから行きました。

ある日、友達のニッシーと二人で
桜ノ宮に釣りに行きました。

釣りを終わり
夜御飯迄に帰ろうと

当時流行った「デカント」という
外側はオレンジ中側はバニラの
キャンディーを食べながら
桜ノ宮駅に急いでいると

突然、後ろから声がしました。
ええもん食うてるやんけ~
の声と共に
背中に衝撃が走りました。

背中に蹴りを入れられたのです。
振り返ると地元のヤンチャそうな
小学校56年と中学生合計10人ぐらいが
ニヤニヤしていました

次はニッシーに向かって
俺インディアン

と意味不明なことを言いながら
背中に蹴りを入れてきました。

僕らは、これはヤバイという空気になり
必死で考えた結果
泣く真似で乗り切ろうとしました

その結果、
おいこいつ泣いてるやんけ
という言葉で
向こうからの攻撃は終わり作戦は成功しました

中学生が

ゴメンな~、こいつらヤンチャやねん。」

と言ってきました。

これで、難を逃れ無事駅に向かいましたが
ニッシーが
アキラ、ホンマに泣いてるかと思ったわ~
と言われ

僕は
必死に考えたがな、どうやったら切り抜けられるか
と答えました

知らない土地に行くことはリスクがあり
人生は誰も助けてはくれないので

ピンチを工夫して切り抜ける
意識をもたせてくれるキッカケになった
出来事でした

釣り

2016-03-26 08:41:02 | 日記

小学校5年生の頃から
友達の影響で釣りに行くようになりました!

淀川でハゼ釣りに始まり
ヘラブナや鯉釣り。海釣り。ルアー釣り。
と変化しました。

今思うと、一番の影響は
3年生の頃に知り合いのオッチャンに
釣り堀でニジマス釣りに連れて行って
もらいめっちゃオモロかったのがキッカケ
だったように思います♪

釣ったニジマスは買い取りで
美味しかったのを覚えています!
普段は魚をあまり好きでは
ないのですが
この時は、人生最高に
美味しかったと記憶してます!

日曜日の朝は6時代にしていた
飛び出せ釣り仲間
という番組を見ていました。

以前に書きましたが物を値切ったのは
竿が初めてでした。

どんどん、釣りの魅力にはまり
のめり込みました。

日曜日毎に電車に乗って
朝早くから釣りに出かけました。


テレビでは
釣りキチ三平という番組が始まり
更に好きになっていきました。

ついには、日曜日迄待ちきれずに
平日の学校帰りに行くようになりました。

カバンを置いてすぐに竿や道具を持ち
自転車で走って釣りにいきました。
あの釣れた時の達成感にはまりました。

そんな時に起こったのが
「思い出したら桜ノ宮事件」
でした。

(次回へ続く)